日本:62年後、いまなお思い起こす

広島・長崎への原爆投下から62周年のこの日、第二次世界大戦がどのように終わりをむかえたかという歴史と、この歴史が自身の国でどのように見られ教えられているのか、そしてこの歴史と現在のできごととのつながりについて、今週、多くのブロガーが考えをめぐらせた。アメリカでは、被爆者の体験談を集めた検閲がされていない新しいHBOのドキュメンタリーによって、原爆を使用した動機ついての議論が再び起きそうだ。他の英語メディアの番組でも、記念日についてのトピックが取り上げられたl。一方、日本では、長崎放送が原爆の生存者とのインタビューを翻訳したものを掲載している。このインタビューについて、あるブロガーは、 すべての人が読むべきだと書いている。


映画監督スティーヴ・オカザキ氏ドキュメンタリーWhite light, black rainについてのインタビュー

広島・長崎の原爆問題が日本の政局において現在でも存続することが、数週間前の久間章生前防衛大臣の有名な「原爆投下はしようがなかった」との発言で浮き彫りとなった。この発言は騒動を招き、最終的に大臣の辞任へと発展した。

今週は、日本や世界中のブロガーが広島と長崎の原爆投下を話題にしていた。ブロガーk2-s は子供の時に原爆について話を聞かされた経験を綴っている:

先日の広島に続き今日は長崎の原爆の日ですね。あと数日後には終戦記念日です。

私が子供のころ、祖父や親戚の人からよく戦争のことを聞かされました。空襲で防空壕に逃げ込んだときの話や、機銃が自分の目の前で撃たれていったこと、自分の家が燃えてなくなってしまったこと、そして目の前で人が亡くなっていくこと。

街を歩くと南方から帰ってきたという人たち、手がなかったり足がなかったりする人たちが街行く人にしきりに何かを訴えかけていたり。

ちょっと町外れに行くといたるところに防空壕のあとがあったり。

そして、この時期になると今よりももっともっと戦争について、平和についてみんなが考えていたように思います。戦争から時がたてば、それを体験した人も少なくなるのは当然でしょうし、人の記憶の中からも遠ざかっていくのは仕方のないことかもしれません。

でも今も地球のどこかでむごたらしいことが起きていることは事実ですし、絶対に忘れてはなりません。そのことをしっかり子供たちに伝えるのも大人の役目でしょう。

原爆投下後の広島
原爆投下後の広島

最近広島に引っ越したばかりのブロガー“sanaは、この話を伝えるのが過去にはどれだけ困難だったのかを説明している。

テレビでも、原爆記念日に合わせていろんなドキュメンタリーを放送しています。
私は今まで、被爆者の方こそが、原爆反対を積極的に働きかけたりしていると思っていました。
でも、それは違っていました。
原爆投下から60年経って、ようやく原爆について話すことができたと。
それまで、友人知人、家族にも誰にも話さず封印してきたと。
誰にも話さず、話せずにいた長い年月を知ったとき、本当の悲しみを垣間見た気がします。

でも、被爆者の方も平均年齢74歳になって、次の代に伝えることが難しくなっています。
だからこそ、自分が語らなければと、
封印していた気持ち、被爆当日の経験を涙ながらに話していました。
そんな方が少なくありません。

Atomic bombing of Nagasaki
長崎の原爆

その様な人びとの一人の経験を伝える言葉がkomonetで引用されている:

「ある日突然一緒に遊んでいたクラスメート達が亡くなっていった。そして遊び場だった多くの川はあまりの喉の渇きに水を求める人で埋め尽くされた。
けれども自分は生き残ってしまった。その無念の思いと一緒に生きてこれなかった幼なじみへの申し訳ない気持ちは今でも心の中で整理できない。
そのことはとてもつらすぎて今まで話す勇気はなかった。しかし、未来を託すあなたたちには話さなければならない。」

上の引用は日本人の見解だが、アメリカ人の経験を問うたブロガーもいた。あるブロガーはアメリカからの留学生をホームステイで受け入れた経験について書いている:

ちょうど今、我が家にはアメリカ人の男子高校生Charlieがホームステイをしています。6日の広島原爆記念日のニュースでは 「広島に原爆を落とした」 アメリカの高校の教科書にはどのように記載されているか・・・などのトピックがありました。Charlieもついこの間、アメリカが広島と長崎に原爆を投下した事実を習ったそうです。アメリカでは、今までは単に事実の羅列として原爆投下は扱われていたそうですが、9・11のテロ以降、なぜ原爆投下する必要があったのか、という議論もするようになってきたそうです。

とはいってもあくまでも、原爆投下によって広島や長崎で犠牲になった人以上の人を救うことができた、という見方が大半を占めているそうですが。教育は誰にどうやって教わるかによって、こんなに違うんだと改めて感じました。原爆投下はアメリカにとって、英断だったと若者は教えられているいるんだ、と思うと恐ろしいです。もっと恐ろしいのは広島と長崎の原爆投下によってどれだけたくさんの命が瞬時に奪われ、今も心と体の傷跡や後遺症に苦しめられている人がいることを教えられていないということです。しかしCharlieが原爆投下にも、今のイラク攻撃にも疑問を抱いていると聞いて、救われるような思いがしました。

私がアメリカに留学していた時、大戦中に朝鮮半島や中国に日本が侵略して支配していた頃、日本人がどれほどひどいことをしていたか、真実を初めて知りました。異国に行って初めて識る母国の影の部分というのは相当ショックなものです。きっとCharlieも今回同じような思いをしたのではないかと思います。

最後に、ブロガーNiphoneseは「核兵器—現代の危機」と題したエントリーの中で、広島・長崎の原爆記念日とアメリカで起きているイランに対する核兵器使用についての議論を関連付けた。

核兵器の違法性だとか,広島や長崎への原爆投下は正当だったか否かとか,そういう論議も大いに結構なのだが,もう少し現代のアクチュアルな問題に目を向けてもいいのではないだろうか。

なによりも昨春,イラン”核開発”をめぐってアメリカとイランの緊張が高まる中,ブッシュ政権が先制核攻撃をちらつかせてイランを恫喝していたことが想起されなければならない。この狂気としか言いようのない戦争策動に対し,”唯一の被爆国”であるわが国において,一体どれだけの人が危機意識を持っていたことか。一部の反核運動家などを除いて,ほとんど無関心に近い状態だったのではないだろうか。

原文:Chris Salzberg

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