韓国:同胞性はどこまで重視されるべきか?

韓国の同胞(danil minjok)重視は国際社会で問題となりつつある。とあるニュース報道によると:

国連の委員会は韓国に対し、韓国社会の多様性を認識し、人種的単一性に執着しないよう求めた。国連人種差別撤廃委員会は、公教育を通じて人権を喚起し、異なる人種、異民族を受け入れるよう同国に求めた。また、委員会は報告書のなかで、警察、弁護士、検察、判事といった司法関係者を対象にした特別講義を実施するようにも求めた。さらに、外国人、移住労働者、異人種間に出生した人びとなどに対する差別を禁止する制度や法律を改め、導入することも提案している。

同じ意見を持ち、提案に同意するブロガーは多い。

機会があって、海外に何度か出かけたことがあります。韓国の同胞観念は海外と交流する際の障害になると感じました。韓国では、路上で見かけた外国人をじっと見つめます。どこの国の人だ?観光客か?仕事で来てるのか?労働者だろうか?不法移民かも?そういうことを頭に思い浮かべて、彼らがどういう人たちなのか推測しようとするわけです。
自分がアメリカに仕事で行ったとき、私に興味を示す人は誰もいませんでした。私としては、自分が社会の一員であると感じて非常に気分がよかったんです。でもアルゼンチンにいたときは、アジア人的な外見のせいで自分は異邦人なんだということを感じました。歩いていると、誰もが私を不思議そうに見つめるんです。どこの国の人だ?観光客か?仕事で来てるのか?労働者だろうか?不法移民かも?そういう疑問が頭にわいていたにちがいありません。
韓国では、外国人との間に生まれる世代(hon-hyeol)は増える一方です。さらに、外国人労働者にでくわすことも珍しくありません。私たちはそうした変化に備える必要があります。地下鉄に外国人が乗っていたら、その隣の席は空いています。特に、黒人だったり、南アジアの人びとだったら、なおのことそうなのです。こういう社会は普通ではありません。同胞性が韓国社会にポジティブな影響を与える一方で、グローバル化しつつある世界でネガティブな影響を及ぼすこともあるでしょう。
私たちは、もっと広い視野を持つべきです。

その一方で、国連が同胞観念に否定的な姿勢をとることを疑問に思うブロガーも少なくない。

1.同胞=純血=わが優れた民族にとってプラス・・・
なぜこういう考えがでてくるのだろうか? こういう解釈は被害者根性からでていると思うのだが、どうだろうか?

2.同胞=幸せな家庭生活=他民族を認識する=世界平和
韓国は他国を攻撃した過去がないので、2のほうが適切ではないか?

同胞性を主張して、国連の提案に反対する意見は多い。

韓国の同胞観念に関する国連のコメントについて書きたいと思います。同胞というのは、年月をかけて形成された文化コミュニティです。韓国人は、数千年前から、朝鮮半島で、同じ血が流れているということに基づいて文化コミュニティを形成してきました。もちろん、中国人や満州人、日本人などもいましたが。でも彼らは韓国人に同化したので、何も問題はなかったのです。

ところが、数十万、数百万という外国人が韓国にやってくるようになり、それぞれの街を作るようになりました。もし、彼らの文化コミュニティが韓国の文化コミュニティと対立するようになり、それぞれの自治を作り上げようとしたら、些細な問題どころではなくなります。もし彼らが、多民族国家になるように求めて韓国政府に圧力をかけ、彼らの祖先の歴史を韓国の歴史に書き込むよう要求したら、私たちはどう対処したらよいというのでしょうか?

米国は先住民を虐殺して、多民族国家、多人種国家となっていますが、韓国は事情が異違います。私たちの先祖は外部の攻撃から国を守り、中国に同化することはありませんでした。文化的独自性、朝鮮人、韓国人としてのアイデンティティを維持したというわけです。

移住労働者を受け入れるべきではないと言うつもりはありません。移住労働者がこの国にやってきて、私たちの文化コミュニティに同化するのであれば何も問題はありません。が、米国で起きているように、数十万、数百万もの労働者がやってきてチャイナタウンだ、日本人街だ、コリアンタウンだというものを作りあげて、その地の主であるかのようにふるまうのはとめるべきです。

より大きな恩恵をもたらすために、多国籍資本はすべての国がひとつの経済秩序、ひとつの文化のもとに統合するほうが好ましいと考えています。国家や民族といった概念をなくしたいというわけです。FTA(自由貿易協定)によってモノや資本の流通、労働人口の移動性を高め、多民族性を推進することによって、韓国のような単一民族の文化コミュニティをなくしたいのでしょう。

同胞観念が差別の原因なのではなく、資本主義が問題なのだと考えるネット市民もいる。

私の考えは違います。差別が存在するのは同胞観念が問題ではないと思います。私たちが差別するのは、持たざる人びとであり、持たざる民族です。私が思うに、韓国人は人種や民族ということをそれほど気にしません。重要なのは、相手が裕福であるかないかということです。相手が白人であれば、また話は違ってきます。同胞であっても貧しければ無視されます。

南北朝鮮の統一には同胞性が鍵だとするブロガーが少なくないことは興味深い。

北朝鮮との統一には、同胞観念が重要な牽引力になります。もし韓国が多民族国家になったとしたら、北朝鮮は我々を同胞とみなさなくなり、統一は今以上に難しくなるでしょう。私たちは国連のとんでもない発言に惑わされないようにしなくてはいけません。

別の意見もある。

ひとつ、聞きたいことがあります。
統一について考えたことはあるんでしょうか? 南北朝鮮の統一問題について語る度に横槍が入りますが、一番の正当性とはいったい何でしょうか?
それは、同胞であるということです。私たちはこれを放棄したいのでしょうか? 南北朝鮮は別々に国連に加盟していますが、両国を結び付けているものは同胞であるということです。もし、韓国が米国のように多民族国家になってしまったら、統一に向けて北朝鮮を説得できると思いますか?多民族国家という状況で、複数の人種からなる韓国人が統一を積極的に支持すると思いますか? そういう人びとが、統一に向けた過程で生じる犠牲を甘受すると思いますか?

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