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ロシア: ソ連のチューインガム

カテゴリー: フランス, ロシア, ユーモア, 国際関係, 教育, 歴史, 若者, 食

Chewing gum wrapper [1]ソ連時代、他の多くのものと同様に、チューインガムも自由に手に入らなかった。本当の不足品(defitsit) [2]であったzhvachka(訳注:ジュバーチカ。ロシア語でチューインガムの意)は、当たり前のものではなかった―特に子供達にとっては。

LiveJournalユーザーのtvoronは、子供時代の体験 [3]を回想し、今となっては笑い話だが30年前の当時は忘れられないほど悲しかった出来事を投稿している(ロシア語):

1977年、私達がクラスで学年末の休日の準備をしていた頃、フランス人グループが私達の学校を訪れました。

その出来事は休憩時間の間に起こりました。フランス人たちは廊下を歩きまわって子供達にプレゼントを渡していました。

そのフランス人たちは子供達に何が足りないか、何をあげれば喜ぶのかをよく知っていました。私達にはチューインガムが足りなかった…

実のところ、チューインガムを欲しがる子供は何人かはいましたが、7歳半の私は1度だって食べたことすらなかったのでした。もちろん私はチューインガムのことは知っていて、一度ならず友達のナターシャが持っているのを見た事だってあります。彼女は両親が[ベリョースカ [4](外貨ショップ)で小切手で] 買ってくれたトゥッティフルッティの棒を見るからに幸せそうに口に運んでいました。ナターシャはケチな子ではありませんでした。ときどき口からその白いかたまりを出して、私に最後の数噛み分をくれようとしてくれました。でも、ちょっとそれは私には気持ち悪すぎました…。

しかし、ついに最高の瞬間が訪れました。そのフランス人は神聖なる品々を子供達に配ってくれたのです。ドラジェ(アーモンドを包んだ砂糖菓子)をもらった子もいれば、棒ガムをもらった子もいました。他にも小さいボールやキューブ…。そして私はにこやかな年配の女性から、不思議な平らでまるいメダルのようなものをもらいました。

金紙に包まれたメダルチョコレートは私にとっては目新しいものではありませんでした。でもメダルの形をしたチューインガムを見たのは生まれて初めてでした。そう。それはますます興味深いものでした。私はチューインガムを包んでいる金紙をはがそうとしましたがだめでした。何度かそっと噛んでみたところで、これがチューインガムではないことに気がついたのです。 それは見たこともない人物の横顔が彫られたつまらないがらくたでした。まさにそんなものでした…。

私は残りの授業や放課後の時間をショックを受けたまま座っていました。そして夜になって自分のアパートに帰ってきた途端大声で泣き出しました。私は望みが叶わなかったことを嘆き、両親が慰めようとする声も耳に入れませんでした。そしてナポレオン生誕200年を記念して発行されたそのコインのことなど全く気にも留めなかったのでした…。

この悲しい出来事について交わされた会話を一部ご紹介しよう:

tvoron:

[…] ところでそのニセジュバーチカを私はまだ持っているんです。よく見てみると実はすごくいいものだってわかったの。 ;)

roma_2:

うん。そのことを聞きたかったんだ。そのメダルはどうなった?

今の小学一年生はメダルをもらったくらいで泣かないね。たぶん全く逆なんじゃないかな :)

tvoron:

もう30年も箱にしまっています。時々取り出しては見ているんですよ。

ukropinka:

みじめな子だわ。

tvoron:

そんなことない。私の両親はひどく心を動かされて、あとで [パトリス・ルムンバ名称民族友好大学 [5]寮]のアラブ人から1パック買って来てくれたの。 […]

mamzik21:

[…] 1966年、私が小学校2年生の時に誰かがタバコ型風船ガムをくれたの。その時はずいぶん興奮したわ。すっかり得意げになって、クラスの女の子達は私をうらやましがっていたわ。私は小さなかけらを噛み切って何度も何度もかみ続けて、残りのガムをキャンディの紙に包んで長いことしまっておいたのよ… :)

tvoron:

ああ。わかるわ。噛んだり、しまったり、そしてまた噛んだり。そのタバコ型風船ガムはチェコスロバキア製じゃない?

mamzik21:

覚えてないわ。というかわからないな。イローチカ・ウシャコヴァという名前の女の子が私にくれたの。彼女の親が[通産省]だか[外務省]で働いていたんです。

multi_mouse:

なんてひどい。7歳の子供にとっては悲劇以外のなにものでもないわね。

私のママの診ていた患者さんの一人がチューインガムの大きな包みをママにプレゼントしたの。ママは毎週土曜日になると私の点数をチェックして、その週の点数が全部Aの時だけガムを私にくれたの。それは教育上意味があったけど、健康の面からいったら害のあるものだったでしょう。というのも、私はそのガムを3、4日、時には5日噛んでいたから。だって次の土曜日までもらえないでしょう。だからそれはひどく不健康なものよ。ガムなんて30分程度しか噛めないもので、長くても1時間でしょう。決して70時間以上噛むものじゃない。そして最後には真っ黒になって燃えたセロファンのように溶けていくのよ。それはきっとひどい毒になっているはずね。

***

ソ連時代のチューインガムについてもっと詳しく知るにはAlex NovikovskiのGum Wrapper Times: the Online Chewing Gum and Wrappers Collector's Newsletterに掲載されているこのページ [6]このページ [7]を読むといいだろう。

ソ連製のチューインガムの包装紙はこのページ [1]で見ることが出来る。

ソ連時代のエストニアのチューインガムのTVCMの映像はここで [8]見ることが出来る。

原文: Veronica Khokhlova [9]