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日本:『カミングアウト・レターズ』

カテゴリー: 東アジア, 日本, 同性愛者の権利 (LGBT), 意見, 教育, 芸術・文化, 若者

COL cover [1]日本のLGBTコミュニティは、長い道のりを経て現在の社会的地位を得るまでになった。しかし、娯楽を求める視聴者受けのよいテレビに映る華やかな有名人は別として、セクシャルマイノリティの声はいまだほとんど広く聞かれることがない–おそらく、彼らを支え人生を共にする人々の声はなおさらだ。

『カミングアウト・レターズ』は、レズビアンやゲイの子どもたちとその親、教師と生との間でやりとりされた手紙を集め、日本の著明LGBTアクティビストRYOJI氏と砂川秀樹氏の二人により編集された本だ。本書は、子ども/生徒の経験だけではなく、その子ども/生徒たちにカミングアウトされた親や教師たちがそれにどの様に向き合い、対応し、乗り越えたかということを紹介しているという点で、今までに出版された多くLGBT書籍と一線を画している。12月にこの本が出版されてから、多くのブロガーが本の感想、自身の個人的な考えや経験について書いている。

ライターの伏見憲明氏は、本の感想 [2]をこの様にまとめている:

カミングアウトとは一方的に少数者の側がするものではなく、それを受け止める側とのコミュニケーションのことを言う(べきだ)。本書はそういう意味では、初めてカミングアウトを立体的にとらえた一冊になっている。差別に置かれながらも可能性に開かれている日本のゲイやレズビアンの「いま」を、見事に映し出しているだろう。

他のブロガーたちはこのテーマについて個人的な見解や意見を共有している。ブロガー [3]は、カミングアウトするということがどういう意味をもっているのかについて書いている:

ともあれ僕は、家族にはカミングアウトできていません。クリスチャン・ホームだから、っていうのも、理由の一端になきにしも非ず。ですが、それよりもむしろ大きいのは、両親の「孫に絵本を読んで聞かせたい」という希望、両祖母の「孫の結婚式が見たい・ひ孫の顔が見たい」という希望を、昔から浴びて育ってきたから。です。
そしてなによりも、自分がこんなにも愛されて育てられてきたことを、心の底から実感しているから。いつか言わなきゃ、いつか言わなきゃ、と、思いながらも、言えないまま、ここまで生きてきました。[…]

[…]
自分が誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。
子どもが誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。
本当は、ただそれだけの話。でも、自分の/子どもの生の核にも関わってくる、大切な話。
だからこそ、言いたい。だからこそ、言えない。だからこそ、話をしては悔やみ、話を聞いては怯える。
それが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。

でもやっぱり、ただ苦しくて切ないだけが、カミングアウトする、っていうことじゃない。

[…]
こんな自分だけど、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
どんなあなたでも、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
そんな風に互いを想いやり、確かめ合い、新しい関係を、これまでの関係を、これからも生きていくこと。
そのことを深く刻みこむことが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。

もう一人のブロガーAkaboshi [4]も、考えを共有している:

僕のような同性愛者が近親者にカミングアウトをためらう時って、「拒絶されて自分が傷つきたくない」のと同じくらい、「相手を傷つけたくない」という気持ちが働くのではないかと思う。同性しか好きになれないという自分の本性から、逃げ続けた思春期の経験がそうさせる。自分ですら大変だった思いを、なんで年老いた親に背負わせなければならないのか。そういう思いがあることは否定できない事実だ。もともとは社会に蔓延するホモフォビア(同性愛嫌悪)が原因なのだけど。

カミングアウトってものは、する相手との関係が近ければ近いほど、もしも壊れてしまった場合のリスクが大きい。だから失敗した場合にフォローが出来るかどうか自信が持てない限り、躊躇するのは仕方のない事だと思う。それを「だらしない」とか「意気地なし」とか強者の論理で責めたてるのは勝手だけど、世の中強い人ばかりではないことを、僕は自分を通して知っている。強くなってしまうと見えなくなってしまうことも、あるのではないかと思ったりする。同性愛者に生まれついたということだけでも結構シンドイのに、なぜ「カミングアウト」という行為をせねばならないという重圧まで背負い込まされなければならないのかと、本音では思ったりすることもある。

一方で、yejin [5]は在日であることと在日として「カミングアウト」するという経験を比べている:

マイノリティが抱える葛藤という点においては、「在日」とも共通する課題や問題を感じて、共感することが多々ありました。

しかし、彼らにとって大きな問題は、おそらく誰にとっても一番身近で、もっとも自分のことを理解してもらいたい、受け入れてもらいたいと思う相手である親に対して、なかなかカミングアウトできない、しても受容されないという現実があることだと思います。

ゲイやレズビアンの人は、強固な一般的社会通念という壁にはばまれ、うちのめされることが多いのではないか? 傷ついて誰にも明かせず自分を肯定できず生きているのではないか? そう思うと胸がしめつけられます。

何より自分を生んで育ててくれた親や、親しい友人たちを偽り、本当の自分を隠し通し続けるのは、心に大きな負担を背負って生きることだと思います。

でも日本社会は決してセクシャルマイノリティにとって優しい社会ではないと思います。親しい友人に対してであっても、いざカミングアウトしようとすれば、様々な反応を想定して心の準備をするに違いありません。

私も私なりに、友だちに「在日だよ」と話す時にはちょこっと勇気出してみたり、様々な反応に対する心構えをしたりします。それはそんなに深刻なものではないけど、間違いなく、いっこいっこの反応に対して自分の在りようを探ってきたかなーと思います。

今回の記事について、トピックの提供とブログエントリーの収集を手伝ってくださった悠々自的。 [6]のブロガー悠さんに心から感謝します。