ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの暗殺から、10月7日で2年が経つ。今までに投獄された者は誰もいないが、3人の男がポリトコフスカヤ殺害に関与した疑いで、近く裁判にかけられる予定だ。
以下は、今日のロシア語ブロゴスフィアから集められた、追悼エントリーだ。
LJユーザーemarinichevaは、こう書いている[露]:
アンナ・ポリトコフスカヤは、2年前に殺された。私は葬儀の日のことを今日のことのように覚えている - 雨だった。多くの人びとが墓地にやって来た。よく見る顔。ある意味、彼らの隣にいることは慰めになった・・・なぜそんなにも苦痛だったのか?アンナのような人びとは、私たちに襲いかかる(そして最後には広く行き渡ってしまった)問題、嘘、偽善に立ち向かった。彼女はこの国の「新世界秩序」に形態的に合わなかったのだ。私たちは今では、そんな感じに、アンナなしで、地球上に彼女の存在なしで生きているのだ。辛いことだ。 […]
LJユーザーviking-nordはこう書く[露]:
2年前にアンナ・ポリトコフスカヤが殺害された。真のジャーナリスト、本物の市民、ロシアの愛国者。
一般的に、私たちは愛国心について、非常に歪んだ、そして私が思うに狂気じみた概念を持っている。多くの人びとは、通りでコーカサス人を叩きのめすこと、グルジアを爆撃すると、アメリカに尻を見せたりすることが愛国心だと思っている。ちがう、それは愛国心ではない。それは私たちの子孫に恥を残す以外何も意味のないことだ。
アンナ・ポリトコフスカヤがしていたことは、愛国的だった。真実を語り、高官たちの嘘を暴露し、世界平和のために闘い、小さいけども強力な力をもつ狂気の暴漢集団の中を一人で歩いていき、そして、彼らを恐れないことが愛国的なのだ。彼女を止められるのは、銃弾だけだった。彼女は出世も、また、政権に気に入られることも、機嫌取りまたは飼い慣らされたジャーナリストの地位も必要なかったから、彼女が望んでいたのは真実を伝えることだけだった。そして、彼女を黙らせることはできなかったし、賄賂を使うことも脅迫することもできなかった。
私はすべてにおいて彼女に賛成していたわけではないけど、ジャーナリスト、そして愛国者として尊敬していた。アンナ・ポリトコフスカヤを追悼するために私たちにできる一番のことは、言論の自由、人権の優先、民主国家のための闘いに勝つことだ。
私たちは忘れない・・・
LJユーザーgengriは、サンクトペテルブルクでこの日午後7時に行なわれる追悼集会の案内を投稿し、この集会が市当局から許可されていない理由を指摘している[露]:
[…]午後7時から9時まで、トロイツキー広場の公園で保守作業が行なわれるようだ。市当局の合法性問題委員会は、(ソロフスキー)石碑の近くではなく、プロスペクト・メタリストフの10月革命50周年記念公園で集会を行なうことを提案した。何という人たちなんだろう・・・
LJユーザーshoormanによれば、サンクトペテルブルクでの集会は、公式の禁止にも関わらずにソロフキー石碑の近くで行われる予定だという。このブロガーは、予定された集会についてメディアへの発表を行った地元政治家の言葉を引用した:
[…] どちらにしろ、アンナ・ポリトコフスカヤの追悼は、いつもの場所で行われる — トロツキー広場のソロフキー石碑だ。「誰でも来たいと思うときに石碑にやって来てよいのです。市当局の行動に見られるあからさまな皮肉はよそに、私たちはこの日この時間にソロフキー碑でアンナ・ポリトコフスカヤをしのびます。これは私たちの権利であるだけではなく、彼女に対する私たちの義務なのです。そしれそれにはいかなる委員会の許可も必要ありません。悲しみの時間がそうであるべきなように、すべては静かで平和的に行われます」と、集会主催者の一人で、ヤブロコ党サンクトペテルブルク支部のリーダー、マクシム・レズニクは述べた。[…]
LJユーザーtupikinは、モスクワ・プーシキン広場での集会と、ポリトコフスカヤ殺害の調査結果への期待について書いている[露]:
今日、2008年10月7日で、北コーカサスと(おそらく)モスクワにいる一部の人間を不安にさせる記事を書いていたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの殺害から2年が経つ。調査によって、(記事によって不安な思いをさせられていたのは)誰だったのかを断定するはずだ。しかし、その見込みはなさそうだ。今のこの国ではあり得ない。
今日のモスクワでの追悼集会に100万人が集まったら、もしかして真実が語られるかもしれない。それとも、それには200万人、もしくは300万人が必要?この国の政権を変えるにはどんな集会が必要なの?
今この瞬間に、モスクワのプーシキン広場で、ポリトコフスカヤをしのぶ会が実は始まっている。何人が参加するんだろう。500人以上は来ないと思う。そしてかなり雨が降っているから、多分合計で300人。
遅れてしまった人たちは、今からでも間に合うかもしれない。私も行くかもしれない。
LJユーザーpesnyasolveigは、今年のモスクワでの集会には参加したくなかったと書いている。理由はこのとおり[露]:
アンナ・ステパノーブナ(ポリトコフスカヤ)の追悼集会に行くかどうか分からない。今までは、すべての集会に参加してきた。でも今日は、気が進まない。前回、8月末の(ポリトコフスカヤ)の誕生日に、私はガルリ・カスパロフの話を聞いていたのだけど、とても辛かった。彼らは、思い出を交わし始めたから、辛かったのだ。彼らはするべきではないのにわざとらしい演出をして、あれは適当ではなかったし、人間的ではなかった。私は覚えている。そして皆に覚えていてほしい。今日は10月7日。アンナ・ポリトコフスカヤを思い出す日。
モスクワでの集会に参加したLJユーザーaleshruは、反対勢力連合「もう一つのロシア」の元メンバーであるミハイル・カシヤノフの笑顔の写真を投稿している。
LJユーザーposmixator[ウクライナ語]は、キエフの独立広場での小規模追悼集会の写真2枚を投稿している。
LJ markgrigorianは、ロンドンのFrontline Clubで10月6日に開かれた、RAW in WARアンナ・ポリトコフスカヤ賞2008について書き、写真を投稿している[露]:
年1度のアンナ・ポリトコフスカヤ賞のセレモニーが、ロンドンのFrontline Clubで行われた。
このイベントはすでに2回めを迎えた。今回、賞はアフガニスタンの活動家マラライ・ジョヤ(Malalai Joya[英])に贈られた。実に素晴らしい女性だ — 恐れ知らずで妙を得ている。彼女はカルザイ政権の汚職やタリバンの活動に立ち向かうほどの勇気がある。
その後、彼女は国会議員になったが、脅迫を受け、いつも隠れたり居場所を変えたりすることを余儀なくされている。彼女は議会から追い出されている。
マラライは背が高くないが、エネルギーに溢れ恐れを知らない。
彼女は賞を受け取った時泣き始め、そしてアメリカとイギリスに反対する熱のこもったスピーチを行った。
[…]
[ジョヤの写真]
グローズヌイ(チェチェンの首都)出身のジャーナリスト、ナタリヤ・エステミロワも同席していた。彼女はこの賞を昨年受賞した。今回、彼女はイングーシでの出来事について話した。とても短かったが、とても熱がこもっていた。
[エステミロワの写真]
実際、イングーシは非常に厳しい状態だ。現地での状況を内戦状態であると見なす政治家や専門家もいる。イングーシでの力の差、混乱、絶え間ない殺人、骨肉の争い・・・
アンナ・ポリトコフスカヤの姉、エレナ・クヂモバもまた同席していた。
[クヂモバの写真]
そして最後に、賞と年1度の会の主催者および提案者である、人権活動家でフェミニストのマリアンナ・カツァロバ。彼女は RAW in WAR (Reach All Women in War) の代表だ。
[カツァロバの写真]とても感傷的な夜となった。マリアンナ、よく頑張った!
LJユーザーtapirrは、アンナ・ポリトコフスカヤについてのロシア語の資料へのいくつかのリンクを投稿している。その中には、マーシャ・ノビコワによるアンナ・ポリトコフスカについてのドキュメンタリー『Anna, Seven Years on the Frontline(アンナ–前線での7年間)』(ロシア語、英語字幕)も含まれている。
LJユーザーI-dreamは、2006年2月のポリトコフスカヤの写真を投稿し、こう書いている[露]:
私が最後に見たときの彼女。