論争の的となった地方選挙が行われた11月28日金曜日、数百人が中央ナイジェリアのプラトー州ジョスで勃発した暴動により死亡したと伝えられている。
写真:市民ジャーナリズム・ポータル サハラ・レポーターズ(Sahara Reporters [1])より
ジョスの宣教師サラリン(Saralynn)は土曜日、暴動の状況を下記のように語った [2]。
ディビッドは6時45分頃、私を起こしこの場に留まるのは危険だと言った。寝ている間にも騒音が聞こえていたし、銃撃が始まったことにも気付いた。騒音はどんどん広まっていた。昨日この地域で地方選挙が行われ、政府は治安維持のため軍隊を派遣した。しかし、それは昨日のことだった。(・・・)
両親の園芸屋兼運転手が8時45分頃やって来た(・・・)。彼は私たちに路上の若者たちのことや燃えていたタイヤのこと、兵士のこと、ナイフや大きな杖を持った人びとのことなどについて話した。
Naijablog [3] のJeremy Weateは、ブロガーTalatu-Carmen [4]が他の百人と一緒に家に閉じ込められている伝えた。彼はまた、ジョスの様子を取引先に知らせるためザマニの農民が送ってきた手紙も投稿した。
ジョスの中を行き来することは容易ではなく、いつ状況が平常に戻るかも分からない。私たちは今日、多くの道が閉鎖されジョスの一部では24時間外出禁止令が出されているため、(家から30キロ離れた)農場へ行くことが出来ない。幸いにも農場では全て正常であり、ジョス付近の田舎では今のところ暴動は起きていない。しかし、誰も農産物をジョスまで配達してこないため、玉ねぎやじゃが芋などの農産物を入手することが不可能になっている。店や市場、銀行などジョスの全てが閉鎖し、町は完全に活気を失っている。住民はみな家に閉じ込められている。
The Glory O Nigeria….!のブロガーAdeola Aderounmu [5]は、「ナイジェリアでは、政治家はここ数年、政治と宗教を融合することに尽力してきた」、そしてナイジェリアの政治は「勝者独り占めゲーム」であると考えている。そのために、暴動による殺害の加害者に対する処罰が見過ごされるだろうと彼は考えている。
一方でMy NigeriaのNaija Pundit [6]は、今回の暴動が宗教に起因するとは考えていない。
現在ジョスで起きていることは、政治による公民権の略奪に対するものであり、宗教に起因するものではない。
[…]
ナイジェリアの新聞は暴動は不正な選挙が行われた結果であると報道しているが、BBCはこのことを手玉に取り、キリスト教対ムスリム教の問題へと結びつけて、明らかに西側諸国では受けが良いが、宗教的関係を大きく後退させるような話に変えてしまうのだ。
[…]
西欧メディアが言っていることは・・・、私が思うに、今度イギリスで経済に対する不満がわきあがった時に、ナイジェリアのメディアはアングロ・サクソン系白人と大陸ないし島で以前に支配されていた人々との人種戦争だと報道すればいい・・・
MootboxのOsize Omoluabiは、「ナイジェリアで起きる紛争と同じように、関係するすべての陣営が紛争の性質について一致していないようだ」と指摘する。
そして彼は次のように締め括っている。
[…]特筆すべきことは、全ての政党が協力し、政府のための構造基盤を整え、地域社会を構築し、異なる宗教組織のために草の根レベルでのネットワークを構築することができたならばジョスの町は、今のような状態にはなっていなかっただろうということである。どうして皆が協力することができないのだろうか?皆に行き渡るだけの十分な資源はないのだから。