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ナイジェリア:活動家ケン・サロ・ウィワの処刑から15年

カテゴリー: サハラ以南アフリカ, ナイジェリア, 人権, 人道支援, 先住民, 市民メディア, 抗議, 政治, 法律, 環境, 行政, 言論の自由

15年前の11月10日、著名な活動家でナイジェリアの石油産業の厳しい批評家ケン・サロ・ウィワ [1]が、他8人の同僚とともに処刑された。サロ・ウィワは、石油産業により壊滅的な被害を受けたニジェール・デルタ [2]のための非暴力的活動で世界中に知られていた。多くのナイジェリア人にとって彼はヒーロだった。そして、彼の処刑は、悪名高いサニ・アバチャ [3]の独裁的政権とロイヤル・ダッチ・シェル社の活動に対する国際社会の怒りを呼んだ。

「オゴニ・ナイン」と呼ばれたサロ・ウィワと彼の同僚たちは、彼らの出身地域であるオゴニ [4]のための活動をしていた組織内の対立勢力メンバーである長老4人の殺害の容疑がかけられた。サロ・ウィワとMovement for the Survival of the Ogoni People [5](オゴニ族の生存のための運動)の8人のリーダーたちは、アバチャ政権が組織した特別軍事法廷で裁判にかけられた。この裁判は、この件を扱ったほぼすべての被告側弁護士が抗議のために辞任 [6]するというほど腐敗したものだった。 (裁判の証人も、後に嘘の証言をするよう賄賂が渡されたと認めている)。 それにもかかわらず、9人は有罪とされ、死刑判決を言い渡された。国際的な抗議をよそに、判決後まもなく彼らは絞首刑に処された。

BlacklooksSokari [7]は、サロ・ウィワが処刑された日を覚えている:

あの日を今でも覚えている。金曜日だった。処刑のすぐ前の週に、各国の元首や、宗教指導者、人権団体や個人が、アバチャ将軍に訴えて、絞首刑を阻もうとした。最後の瞬間まで、私たちは処刑は行われないと自分たちに信じ込ませてきた。土曜日の朝、電話が鳴ったとき私はベッドに横になり、天井を見つめていたのを覚えている。 ポート・ハーコートにいる親戚から、私がもうすでに分かっていたがそうして確認されたことを伝える電話だった。 MOSOPのメンバー8人、ケン・サロ・ウィワ、バリネム・キオベル、フェリックス・ヌアテ、ジョン・クプイネン、ダニエル・グボコ、バリボル・ベラ、ノルドゥ・エアウォ、サタデイ・ドゥベ、ポール・レブラが処刑されたのだ。

Myrne Whitman [8]は、サロ・ウィワが彼女に与えた影響について書いている:

[サロ・ウィワの作品は]彼の周りで見た虐待や、石油会社がオゴニ領土の地下から富を取り、その代わりに汚染され使い物にならなくなってしまったことなどに触れている。それが、世界がどう動いていて、なぜ私はできる限り自分の話を伝える必要があるかという世界観に影響を与えた。

ブログNigeriansTalkの中で、Temie Giwa [9]がサロ・ウィワと追悼している:

ケン・サロ・ウィワは、物心ついたころから私のヒーローだった。私は彼の人びとへの情熱と献身には畏怖の念を持っている。… 2年前に自分の死を予感していながらの彼の闘いに対する勇敢さは、私に奉仕の人生を歩み、恐れずにいようとさせる。彼の文学への傾倒、的を得た風刺の世界、ビジネスに対する彼の熱意は、すべて見習いたい概念だ。

彼は自分の信条を身をもって表す男だった。彼は争いを嫌ったが、彼の人びとを搾取する人間に対しては臨んでいった。彼は自分が犯してもいないひどい罪で死んだ平和的な男だった。彼はナイジェリア精神最良の産物であり、 そのおかげで私はこの国に希望を持っている。

11月10日の処刑後、オゴニ・ナインの遺族がオゴニ地域で操業する主要企業のシェル社を訴えた [10]。遺族はこの多国籍企業が、アバチャ政権によって行われた拷問や銃撃、不法な拘束、その他の不正に凶暴したとして、人道に対する犯罪を問うた。処刑から14年後の2009年6月、訴訟は1550万ドルで和解 [11]が成立しているが、シェル社は9人の死への責任を認めていない。訴訟後、ガーディアン紙が、処刑当時のシェル社のPR戦略を明らかにする秘密文書について報道している [12]。一連の内部メモで、同社は「連携を築き、反対派を孤立させ、議論を逸らせ」、「中道」活動家をシェル側の味方に引き入れ、マスコミとの接近を計ろうとする計画の概要をまとめている。

詳しくは、ニジェール・デルタの近況についてオーディオを聞けるRemember Saro-Wiwa [13]、またはMOSOPのウェブサイト [13]を参照のこと。