この記事は特集エジプト大規模デモの一部である。
エジプトの#jan25関連のツイッター界は進行中の政情不安の話題でもちきりだ。観察者にとって、屋上は特等席となった。スエズで、イアン・リー @ianinegypt が思いを綴っている:
#jan25がついたツイートの多くは英語なので、現地における組織的活動のためというよりも、ツイートが広まり国際的なニュースとなることを意図しているらしいとわかる。比喩の上でもソーシャルメディアは屋上の特等席だといえる。
ジュリアン・エルラフィーのツイートからはこの雰囲気がよくわかる。彼女は映画監督アムル・サラマの写実的なエッセイを翻訳し、英語版をツイートしている。
http://on.fb.me/g7OWvMは@AmrMSalamaの記事の英語版です。より多くの人が読めるように、RT してください、お願いします。#Egypt #Jan25
サラマのエッセイは、警察が殴打する様子を生々しく描き、自分自身をデモ参加者として観察し報道しているため、メディアでも取りあげている。彼はまず自分自身を映画の役になぞらえている。
道路にはだれもいなかったが、地平線に群集が見えた。最初は抗議しているのかと思ったが、よく見たらみな黒服を着ており、黒い棒を握りしめながら我々に近づいてきている。わたしは昔の戦争映画のシーンを思いだした。たとえばブレイブハートやグラディエーターだ。まるで昔の戦場そのものだった。気がつくと、接近する警察に向かい我先にと走りよる人々の一人になっていた。
サラマのエッセイは急に厳粛なムードになる。彼はアクション・ヒーローから戦争の犠牲者のレポーターの役に変わるのだ:
愛用のiPhoneを手に、写真を撮りビデオを録画しようとしていたら、たくさんの兵士たちに囲まれ、棒で激しく殴打された。打たれたせいで頭・顔・腹・足が痛い。
殴打は長引き、サラマは道路から引きずりだされ、何度もぶたれた。
そして感じのいい兵士たちに付き添われて、われわれはビルに入った。彼は入り口を閉め、私の足をひっかけて転倒させた。そして、乱暴に手ひどく繰り返し殴打されたのだ。
彼が自分がソーシャル・メディアの標的になる様子も思い浮かべたと伝えている。
家族の姿を思い浮かべた。家族への影響はどうなるのだろう。監督になったけれどまだ撮り終えていない映画のことも考えた。きっとフェイスブック上でわたしの特集ページが作られるだろう。題名は「わたしたちはみなアムル・サラマなのだ」となるのではないか。内務省の通達についても想像した。iPhone を誤飲して死んだに違いないと発表するのだろう。
彼は逃げ出すことができた。彼は自分の動機を特定している。
わたしが気づいたのは、自分の状況を認識していることこそが大切だと言うことだ。なぜ自分が殴打されているのか、なぜ自分が抗議しているのか、シンボルや複雑な政治への要求がないのに、自分がずっとなぜ耐えているのか、わかったんだ。より良いエジプト、つまり統治者の誰かに絶対的で永続的な権力が付与されることのないエジプト、社会階層に大きな落差のないエジプトを実現したいからなんだ。
Nora Shalaby は抗議活動のさまざまな側面が伺える Flickr上の写真集を提供している。人の群れや祝祭の様子をいきいきと描いた夜の写真だ。
アルジャジャーラは過激な「アマチュアが路上で撮ったビデオ」を編集し、まとめを掲載している。malakndawood撮影の抗議者たちが給水車をひっくり返す劇的なビデオも含まれている。
http://www.youtube.com/watch?v=OoKQLr439Ww&feature=player_embedded
屋上から撮った MFMAegy のビデオは、有名な抗議活動のイメージがもっともよく反映されているかもしれない。1月25日の様子を撮影したこのビデオはエジプト版の天安門の瞬間を同じようなカメラのアングルで撮影している。
この記事は特集エジプト大規模デモの一部である。