放射性廃棄物とは、原子炉で使われて残った核燃料のことをいう。それは危険な放射性物質であり、何千年も放射線を出し続ける。
台湾初の原子力発電所が1970年に建設されて4年後、台湾原子力委員会は、放射性廃棄物を蘭島(中国語・蘭嶼)で保管することを決めた。そこには達悟族(別名・雅美) が代々住んでいる。あれから20年以上がたち、放射性廃棄物を収めた容器が、さびのために腐食してきたが、だれもこの問題に対処する用意ができていないようだ。
蘭島には放射性廃棄物の保管施設が2か所ある。台湾本島からの船が毎週、風光明媚な島に放射性廃棄物を搬入しており、その数は容器で年間45,000個に上る。
これらの放射性廃棄物保管施設は、達悟族の運命を果てしなく変えてしまった。公共テレビのウェブサイトによるキャンペーンで、達悟族は、政府が平和な元の姿を我々の子供達に返すべきだとに要求した:
bambicrow民國六十九年核廢料從台灣漂洋過海到蘭嶼,從此以後,伴隨著蘭嶼小朋友長大的,除了飛魚、迷你豬,還有核廢料桶。
ある詳細な報告によると、達悟族は、放射性廃棄物保管施設が建設されることを知らなかった:
當年貯存場地施工的時候,鄉民根本不知道是在建核廢料貯存場。當時的鄉長江瓦斯甚至不懂中文!少數鄉民聽施工的人說是正在蓋「罐頭工廠」,今天運送廢料的專用碼頭被說成某種軍事用途的港口……。
1987年になってようやく、達悟族は放射性廃棄物の危険性を知った。それから搬入反対を叫び始め、闘いは20年以上続いている。1995年には「悪魔の放射性廃棄物追放宣言」を発表した:
雅美族,全球只有三千人,一個吟詩的民族,一個和平的民族,我們不願意再以我們族人的血肉之軀去作為台電核能人體實驗的對象。
以下は、ドキュメント’The borderland‘の抜粋であり、蘭島での達悟族の生活と文化がビデオで紹介されるとともに、1分20秒から2分58秒の間では、1987年の放射性廃棄物反対運動が、歴史的に貴重な写真で表現されている:
2002年12月31日、達悟族は台湾電力会社との契約を終結させた。しかしながら、台湾政府には島から放射性廃棄物を運び出す計画はまったくなく、その時以来、達悟族の次の闘いは、廃棄物問題の解決を政府に強く求めることになった。
以下は、蘭島についての放射性廃棄物特集だが、リポーターのインタビューに対し、実行可能な解決法を提示できる環境学者や政府関係者、反対派は1人もいなかった:
最初に放射性廃棄物容器が蘭島に蓄積されてから26年後の2008年、政府がようやく行動を起こし、これらの安全性に関する綿密な調査をした。the Orchid Island e-news websiteに再投稿されたローカルニュース報告によれば、調査結果は憂慮すべきものだった。台湾原子力委員会に任命された調査員たちは、次のように結論を出した:
首座開蓋檢整的壕溝貯放的四千多桶核廢料全部鏽蝕,部分廢料桶甚至已開膛剖肚。
核廢料桶禁不起蘭嶼高溫潮濕和高鹽分的惡劣環境,八十一年起陸續出現鏽蝕。
誰が放射性廃棄物に対処すべきか? 誰が責任を取るべきか? 放射性廃棄物はどこに移すべきか? Blogger Annpo は、放射性廃棄物の問題は、台湾のエネルギー政策、さらに原子力発電の安全性を見直す際に無視されるべきではないと指摘した:
當年,國家發展重工業,需要大量電力,今日國家依然要大力發展,生產更多需要被消化被解決的問題,發展之後留下的都是「債」。債,誰要還?誰來還?要不,根據用電統計,用電量最多的地區,作為核廢料掩埋場,好不?支持興建核電的,一人抱一桶回家,好不?