無政府状態の暴動や略奪がまた過ぎて、火曜の朝を迎えると、ロンドン中に破壊の波が押し寄せていた。暴動が始まった2011年8月6日土曜日以降、560人以上の人々が逮捕され、100人を超える人々が罰せられている。最近の動きでは、月曜夜にクロイドンで撃たれた男性が病院に搬送された後死亡し、暴力の果ての一人目の死者となった。
また、暴動を引き起こす原因となった先週木曜のマーク・ダガンの死について、警察の当初の主張とは異なり、ダガンは撃たれる前に警察に発砲してはいなかったことが確認された。しかし、武器を抜いてはいたことも確認されている。検死官によると、彼は胸を貫いた一回の発砲により死亡したという。
本日先刻、デイビット・キャメロン英首相は、今夜ロンドンに1万6000人の警察官が動員され―昨日より6000人増―、暴力の新たな発生に備えると発表した。首都で必要な人員が増大したため、警察の増援部隊が国の各地から送られた。また、首都中の店舗は早めの閉店と店先の板張りを指示されている。
暴力の爆発的な足跡は、その日1日を通して容赦なくオンラインにて広がっていった。靴から米に至るまでありとあらゆるものを盗み、所有物を炎上させる略奪者や、警察と衝突する集団、危険から逃れる住人、追跡される暴徒、ロンドン東部のダルストンで発見された暴徒が身分同定を防ぐ方法について書かれたリーフレットに至るまで、画像が出回った。
次のYouTubeの不穏な動画もまた、ロンドンでけがをした若者が地面から助け起こされ、また続いて若者の集団に略奪されている場面が映されている(正確な場所は不明)。
http://www.youtube.com/watch?v=6Gex_ya4-Oo
ペッカムのある店主は、月曜夜に目撃した暴力をLondonist.comに投稿している。
店の上階に住む店主として、そこにいて店のものを監視し得たことにほっとし、同時に恐ろしい思いをしました。だって、もし店に押し入られたら、実際私たちに何ができたでしょう?暗闇の中、略奪者がたった1メートル向こうにいるような状態で、店のシャッターのすぐ後ろに立っていたこともありました。このシャッターが持ちこたえてくれるのかどうかは疑問でした。通り過ぎてくれることを祈りました。恐怖で身じろぎできないまま、息をひそめ、彼らが私を見つけないようにと願いました。少し震えだしました。怒鳴りちらしながらも上機嫌の加害者の顔に浮かぶ、そのようなひどい軽蔑や激怒をこんなに近くで見ると、人間を形作っているのは何なのだろうかと問わざるを得ません。
Going Underground blogにて、Annie Moleは前の晩の暴動で「ロンドン住民であることが恥ずかしくなった」と述べている。
私には何もできません。ただショックと嫌悪感、少しの怯えを感じるだけです。私にはこの説明し難い行動がいつ収まるのか予測もつきません。そもそもどのようにして始まったのかもわからないのです。このロンドンが永遠に様変わりしてしまうかもしれません。
人々をより元気づけるニュースが今朝、首都における大規模掃除作戦という形で入ってきた。FacebookやTwitterのようなソーシャル・メディアのプラットフォームに助けられてボランティアの組織や情報の共有を行い、ロンドン中のコミュニティが動員されてがれきを片付けている。
次のような場面は一つ一つの結束の現れである。今日の午後、ロンドン南部のクラパム・ジャンクションにて、ボランディアたちが掃除の為に一斉に自分のほうきを持ち出した。ペッカムでは、地元住民達が板で打ち付けられた店に自分の近所のどこが好きかを記したポストイットを貼付けた。
不和と士気、二つの拮抗する流れの狭間で、イギリスは今この度の事件の理解に努めている。事件は政治指導者、警察、そして彼らが仕えるコミュニティ間における根深い緊張状態を浮き彫りにしている。
暴力を非難する声は広まっているが、社会的疎外・公民権の剥奪・暴動が起きた地域における警察とコミュニティの間の緊張が数十年間も一触即発の状態にあったことを挙げ、こういう事態が起きたことに対しては驚いていないという人が多い。Huffington Post で、Lola Adesioye は人種間の緊張がこの疎外の核心にあると述べている。
今回の暴動の背景には、アフリカ系イギリス人がいつも支配者層、特に警察にひどい扱いを受けているということがあるのだが、まだこの問題は解決していない。スラム街にすむアフリカ系の若者と警察の間の緊張はまだ解けていない。その反対に、疑惑ははびこっている。黒人の指導者は絶望的に欠けており、イギリスはこのような大きな課題にきちんと取り組もうとしていない。
もう一人のブロガーであるジャーナリストの Doug Saunders は人種間の緊張が今週おきた暴力につながったという考えに否定的である。
トッテナムは1985年のブロードウォーター・ファームでおきた恐ろしい暴動の舞台であった。あの暴動も警察の発砲がきっかけだったが、あのころのロンドンは今のロンドンと違う。人種間の間に深い溝があり、社会から疎外された怒れるカリブ人のコミュニティが白人のみで構成されている社会、特に人種差別主義者の警察隊を相手に相手に戦っていたのだ。今週の件は、そのときは反対で、暴動に加わる人々の肌の色も警察の肌の色も多様だ。
イギリスの作家 Kenan Malik にとっては、1980年代とは違い、今週の抗議者たちは具体的な政治的動機を欠いているようだ。
1980年代のデモは抑圧的な取り締まりと大量失業に対して直接的に異議を表明するものであった。あの暴動はスラム街における社会の枠組みを脅かし、政府に社会支配のメカニズムの再考を迫った。いまおきている暴動は大都市の警察を無能に見せ、政治家が我関せずであることを暴き、リバプールやバーミンガムなどロンドンの一部に破壊をもたらした。しかし、社会秩序に戦いを挑んでいるという印象はほとんどない。
彼はこうつけ加えている。
「抗議活動」と呼べる動きがどういう意味でも皆無で、代わりにちぐはぐな怒り、集団での暴行やティーンの破壊行動がごたまぜになっているのは、まさに公民権剥奪や社会的疎外、無駄に費やした人生のせいなのだ。
働く若者の Symeon Brown は考えを述べている。
@symeonbrown: この若者たちにマニフェストがないのは確かだけど、もし彼らの行動が政治的といえないのだとしたら、明らかに「政治的」の代わりとなる新しい言葉が必要だ。
副首相のNick Cleggを含め、多くは政府の賛否両論を呼ぶ厳格な処置が政治的・社会的動揺を招いたのだろうと考えている。
Hugh Salmon は Brand Republic でこう書いている。
連立政権は歴史に学ばなかったため、リストラが人々に与える影響に思いが及ばなかったのだ。
人間を理解せず、人間の行動にまったく思いが及ばないせいで、もし人員削減と同時に福利厚生も削減すれば、今週路上でわれわれが見たことの火種になるだろうと気が付かなかった。
Demotixは略奪の余波を写す写真のギャラリーを載せている。また、Guardian's Data Blog は全国でこれまでに確認されている暴動の地図をつくり、主要な事実や人物を紹介している。フリーランスのジャーナリスとである Neal Mann(@fieldproducer)はこの事件をカバーしているロンドンに拠点をおくレポーターのツイッターのリストをまとめている。