このポストはグローバルボイス特集記事リビア反政府デモ2011の一部です。
2011年8月20日、街中に何百と散在するモスクから、トリポリ解放への「人魚作戦」がAllahu Akbar (アッラーは偉大なり!)という呼び声で始まった。これが、トリポリ住民も悪に立ち向かう一人の市民として蜂起することを望んでいたのだと示す同意の合言葉だった。この計画後、トリポリの解放は息をのむような速さで展開した。
海外メディアがトリポリへと入った翌日は特に、次々に巻き起こる歴史のうねりが国際的なメディアに多く取り上げられている。
しかし、トリポリ解放におけるブロガーにとっての急展開は、8月21日の夜、私のツイッターのタイムラインになんとA.Adam(Flyingbirdies)のツイートが現れたことにつきる。A. AdamはかつてFlyingbirdiesという名のブログを開設していた。が、今は残念ながら消されているものの、彼のユーザーアカウントは今も有効である。
彼の書き込みが見られるということは、トリポリでインターネットが復旧したということであり、当然ながらアルジャジーラも速報でそれを伝えた。
Libya_United
@Jonny_Hallam ネットの復旧は本当だが全ての地域ではない、それははっきりと言える。
@flyingbirdies と@SL0wZErがトリポリからツイートしている。
8月22日
flyingbirdies
インターネットが遮断された3月3日から… ようやく解決した。 #Libya #Tripoli
8月21日
Libya_United
私のタイムラインでトリポリから最初のツイートRT @flyingbirdies ほっとした。
8月21日
flyingbirdies
ほっとした…
8月21日
A. Adamのトリポリからの最初のツイート。
何カ月も経た後にトリポリ住民は世界と再びつながることができ、彼らの感情や思い、意見をことばに表すことができ、信じられない気持ちであった。トリポリ住民の声を聞くこと、これが、世界が待ち望んでいたことだと私は思う。
驚くことにその後すぐ、多くのブログが開設され、Highlanderも久々にブログを書いた。
悪夢が終わることに非常に困惑しつつ幸せでもあるが、リビアの市民や家族の命が奪われたことは悲しい。
ブロガーのEmaには喜びがみなぎっていた。
どのことばも十分ではない。私たちの感じる「自由」を言い表せることばなんて無い。
Khadijateriは簡単に信じることができなかった。
とてつもなく長い6カ月だったが、終わったのだ。インターネットは復旧し今は2000通以上ものメールをゆっくりと読んでいる。
Kilmanibbbiのブロガー、Pudding[ar]
ついにトリポリの反体制派は私たちのためにインターネットへの接続を取り戻してくれ、私は再びブログを書ける。私はみんなにリビアの解放を祝福して、以前の記事にコメントを書くことにとりかかろう。
トリポリ解放後初の記事で、Puddingはコーランの詩に関する以前の記事について論じている。なぜなら、主に読者はこのブログの作者が他国によるリビア介入に反対して記事を書いたと思い込んでいたであろうからだ。
このことについては、いったんリビア市民の意見が世界に届き出し、 またNATO軍のリビアでの計画が分かってきた時に、より多くのことが明らかになってくると思われる。
リビア市民が自由に話すのを見ることができるのは良いことだ。
最後に、Libyan Violetのブログのことばで上記に挙げてきたリビア市民からのブログの紹介を締めくくろう。
まだ全部が終わったわけではなく、私たちの「すばらしい」国(この形容詞は本当にぴったりだ)ではまだ解放に向けて支援を必要としている地域がある。こうした地域はまだ完全に安全ではなく、殉教者の埋葬もままならず、牢屋に入れられたままの人や怪我をしても治療を受けていない人がおり、 子どもたちも不安を抱えたままだ。しかし、確かにこの戦いにおける最も過酷な時は終わったと私は期待している。
万華鏡のごとく様々な感情を自由に表現するリビア市民を目に出来たことは素晴らしかったし、ようやく開かれたリビアで人々がブログを始めるにつれ、もっともっとその鮮やかな表情が現れるよう期待している。
このポストはグローバルボイス特集記事リビア反政府デモ2011の一部です。
チェック担当者 Kazuko Ohchi