ウルグアイは、2011年を1811年に始まった「解放運動」の200周年記念の年ー実際に独立が宣言されたのは1825年8月25日だがーとした。公式サイトやTwitter 、Facebook、Flickrのアカウントを通し、主催者らは今年開催予定の数多くのイベントについて発表した。
200周年記念祭は2月、正式に幕開けした。10月10日の月曜日にはホセ・アルティガス(ウルグアイの国民的英雄で「東方人の長」とも呼ばれる)の就任を記念した盛大な祭りが開かれ、首都モンテビデオの繁華街に設けられた4つの異なるステージでは、祭りの目玉である芸術的なパフォーマンスが一斉に披露された。El Observador 紙 [es]によると、30万人以上がこのイベントに参加したという。
ライブパフォーマンスやイベント主催者、また日が経つにつれ生じてくる様々な問題に対して賞賛[es] や批判[es] の両方があり、ウルグアイの人々の間で#bi100uyのハッシュタグが広く使われた。一方で、ブロガーらはこのイベントの様々な側面や200周年記念そのものに関してのコメントを残した。
Y honestamente no creo que el increible esfuerzo no solo económico sino humano que se está realizando para el Bicentenario (hay que reconocerlo, no sería posible sin el talento de muchas personas) se vea reflejado en más nacionalismo o una “reflexión histórica” más profunda en la gente. Al menos en mi caso, un gol de Forlán me hace sentir más uruguayo que el carnaval que se está preparando para esta noche, y lo que pienso sobre la historia de mi país no va a cambiar por ir a un concierto.
正直なところ、200周年祭に注がれた経済的そして人的な多大な努力が (多くの人の才能無しには実現不可能だったであろうことを、認めなくてはいけない)国家意識を高めたり、「歴史回想」を深めたりする結果に至るとは思わない。少なくとも、私の場合、今夜開かれるカーニバルよりも、Forlán(サッカー選手) のゴールの方が私のウルグアイ人としての意識を高めるし、コンサートに行く事で、自国の歴史に対する私の考えが変わる事はない。
Chrisitan Libonatti [es] は、ウルグアイの各主要新聞の10月11日号の一面を使ったスライドショーを作った。そこで彼は、全紙とも月曜の祭りに関するニュースを取り上げていたが、前日のイベントに一面全面を使ったのはたった2紙だけだったということを指摘した。
Esto es apenas un análisis para demostrar que habiendo miles de uruguayos caminando por las calles apenas dos medios le dedicaron su título principal. Un conflicto gremial, la inseguridad o cualquier otra cosa son más importantes que una fiesta popular.
Ni critico ni alabo ésto, sólo está bueno observarlo.
これはただの分析だが、通りを歩く何千のウルグアイ人に対して、たった2紙だけがこのイベントを大見出しにしたことになる。労働闘争、治安、その他諸々のことの方が国家の祭りよりも大事だったのだ。
私は称賛も批判もしない。ただ祭りを見るのはおもしろいというだけだ。
最後に、ウルグアイとその他の近隣諸国がこの200周年祭を祝う一方、ブロガーのAnna Donner Rybak [es] はヨーロッパの入植者たちが来る前からその土地に住んでいた原住民のことをさかのぼって考える。彼女はほとんどのウルグアイ人がヨーロッパ人の子孫であることを指摘しつつ、疑問を投げかけている。
¿Y quién es entonces “bien” uruguayo? me pregunto. Y me respondo que los más cercanos son los descendientes de nuestros indios.
[…] me pregunto porqué se honra la memoria de quienes han venido a exterminar a los verdaderos argentinos, uruguayos, peruanos, bolivianos.
誰が「本当の」ウルグアイ人なのだろうか?と私は疑問に思う。この「本当の」ウルグアイ人に最も近いのは原住民の子孫たちだろうと私は思う。
[…]本当のアルゼンチン人、ウルグアイ人、ペルー人、ボリビア人たちを根絶しに来た人々の記念をなぜ私たちが祝わねばならないのだろうか?