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ミャンマー:アウンサンスーチー解放から1年

カテゴリー: 東アジア, ミャンマー (ビルマ), 市民メディア, 政治

昨年2010年,11月13日、アウンサンスーチー [1] が(訳者注:自宅軟禁状態から)解放され、ミャンマー国内のみならず世界中のミャンマー人が喜んだ。そして今、解放から1年が経とうとしている。
Maydarwii [2]はスーチーが解放されるや否や、自身のブログに書き込んだ。

試験が済むまではもうブログを書くのはやめておこうと思っていましたが、今日うれしいことがあったのでブログを書きます。私が聞いた曖昧なニュースのせいで、昨日から心が不安定でした。というのも、この種のニュースはいつも聞いていますが、間違いであったということが度々あったからです。このニュースが真実であってほしいと思う一方で前向きに感じることができないでいました。今朝、外出前に朝食をとっていると、私の叔父が昨日聞いたニュースはまだ未確認なものだというのを聞き、私は少しがっかりしました。1時に帰宅後、空腹だったのでランチを作っていると叔父がキッチンに入ってきて喜んで知らせてくれました。「彼女は解放されたよ!」私たちはテーブルに置いたランチをほったらかしにして、テレビの前に行き、長い間ニュースを見ていました。自分たちが空腹であることなんて忘れていました。結局、私たちはこのニュースを聞くことを何年も待っていたのです。
 私は大喜びするあまり、マザーSuu(訳者注:アウンサンスーチーのことを親しみを込めてこう呼ぶ人もいる)の家の前で歓喜する大勢の人たちを見て、鳥肌がたち、涙がだんだん溢れ出てきました。テレビにぼやっと映されたマザーSuuの顔から目をそらすことができませんでした。私は幸せを感じると同時に悲しみも感じました。私の心は何とも言えない気持ちで圧倒されました。

[3]アウンサンスーチー2011年10月8日 FlickrユーザーUtenriksdeptによる写真(CCBY-ND20)

Htoo Tayzarは、解放された次の日、ミャンマーの人々に向けたアウンサンスーチーのスピーチを聞くため国民民主連盟(National League for Democracy/NLD)本部に行ったミャンマー人のブロガーの1人であり、彼はこう書いている。

午前10時半、すでに大勢の人が集まっており、その多くが”We Love Su”(「私たちはSuを愛している」)と書かれたポスターを掲げていました。そこには、交通警察を除いて、制服を着た人はだれもいないことに気付きました。本部の真正面にあるビンロウの実の売店や喫茶店にもたくさんの人がいました。そして、たくさんのおじいさんやおばあさんが、小さな子供を腕に抱えている姿も見ました。異なる世代の人々が集まってきました。

Htoo Tayzarは、「ちゃんと立っていられないほど混雑していて、写真を撮るためには爪先立ちで立たなくてはならなかった」と記しながらも、このイベントで写真 [4] をたくさん撮っていた。

一方で、ミャンマーの俳優であり、彼が活動している無料葬送サービス協会(Free Funeral Service Society/ FFSS)で多くの人の心をつかんでいるKyaw Thuは自作の絵 [5] をスーチーに渡した。スーチーの解放についてどう感じるかと聞かれたとき、彼はこう語った。

私たちは今、自分たちの人生に暖かい光を持っています。ゴールを失いたくないのです。私は恐怖のせいで働けなくなる生活を送りたくはありません。今、「マザー」Suuには私達が進む道の先頭に立ち、私たちを導くことができます。彼女の解放をただ喜んでいるだけではいけません。重要なのは彼女の指導に従っていくことなのです。

地方紙の多くは、アウンサンスーチーの解放を見出しにすることは許されず、解放に関する報道は発行停止 [6]となったと伝えられている。

更に、他9紙がアウンサンスーチーの開放のニュースを1面に掲載したという理由で1週間の発行停止 [7] となった。

しかし、新政府が2011年に発足して以来、アウンサンスーチーのニュースに関する報道検閲は緩和された。彼女が書いた”My Holidays”というタイトルの記事はPyi Thu Khit誌(訳者注:Pyi Thu Khitは英語でThe people's ageという意)に掲載 [8]された。

彼女は2011年7月、息子とBagan [9]を旅した。この旅は自宅軟禁から解放され初めてYangonを出た旅であった。彼女は何百人という地元住民と挨拶を交わし、彼女と会えるとあって大喜びした人も多くいた。

ある住民はこう言っている。

「我が国の娘と会えてとても幸せです」と仏塔で花を売っている70歳の方が言っていました。「スーチーさん以外この国を1つにすることはできない」

彼女はまた、Kachin州に建設予定のMyitsoneダム計画 [10] の実施にも反対している。何年も軟禁状態にあった後、現在は社会や文化的な出来事の動きにも追いつきつつあるようだ。また、”Sketch of A River Art Exhibition [11]“をはじめ、インド大使館で開催されたラビンドラナート・タゴール生誕150年祝賀会 [12] サッカーの試合 [13] 、そして最近行われたBayday図書館 [14]のオープンセレモニーのようないくつかのイベントに参加している。そして ” the Art of Freedom Film Festival” [15]のスポンサーにもなる予定であり、出品者への賞の授与に関して財政面の責任を負っている。

2011年8月、ミャンマーのテイン・セイン大統領と初めて会い、彼女は「会談に『満足している』 [16]」と述べた。

また、米国の上院議員 ジョン・マケイン [17]など、外国の要人たちともあっている。

また、議会が選挙法を改正したら、アウンサンスーチーは自らの政党である国民民主連盟(NLD)の再登録 [18]について決定するであろうと述べている。

「NLDを政党登録するかどうかは、法にかかっている。だから、これ(政党を再登録するということ)について決めるためには、法律が承認されるのを待つ必要がある。この法が承認されれば、政党法に従って会合を持ち、この問題を決定するであろう。私たちはとてもはっきりとしている。法律に則ったことだけをする。だから、まだ決断できないでいる。なぜなら法が承認されていないからである。」

2011年11月13日、アウンサンスーチーは1年間の自由 [19]を祝い、NLD本部で記者会見を開く予定である。

校正は Shinichi Ichizawa が担当しました。