シンガポール:出稼ぎ労働者の物語

シンガポールの外国人労働者の数は増加を続けているが、その労働条件や住宅環境についてはほとんど知られていない。3名のインターンが、繁栄するシンガポールの出稼ぎ労働者の話を知りたくて、「Made by Migrants」というプロジェクトを立ち上げ、2週間にわたり建設労働者の日常生活を記録した。

Made by Migrantsは、BBH シンガポールのインターンのグループが企画した協同プロジェクトである。そのプロジェクトの目的は、出稼ぎ労働者達のモチベーションや、物語や、夢を公開して、彼らについての表面的な認識を一新することだ。

グループの一人、マンチェスター出身のIanは、出稼ぎ建設労働者たちと現場で2週間、共に生活し、共に仕事をする予定だ。彼は、自らの経験や周りの男たちの経験を、外の世界に伝えるために、記録する計画を立てている。

Kristen Hanは、このグループにインタビューをし、彼らのプロジェクトを振り返った。

最近では、出稼ぎ労働者に出会わないことが難しいほどだ。あらゆるところで彼らを見かける。道路整備をするものや、草刈りをするもの、また建築現場によじ登ったりするものもいる。誰もがこうした労働者について、良くも悪くも、何らかの意見を持っているようだ。これまで、経済、移民及び人権の点から議論が交わされてきた。しかし、こうした労働者とはいったい誰なのか?名前は?以前は何をしていたのか?どんな経緯でここに来たのか?故郷に残してきた者たちは?

Made by Migrantsは、こうした疑問に対する答えはでないかもしれないが、少なくともかすかな手掛かりを得るプロジェクトである。

私たちはこうした物語を通じて、出稼ぎ労働者とその原動力となる背景を理解し、ゴム長靴や蛍光安全ベスト以上の存在であることにも気づくことができるのだ。彼らは、私たちと同じ人間である。家族があり、責任を負い、夢を持つ人々である。

出稼ぎ労働者の寮の一室

建設労働者のありふれた1日

次のビデオは、22歳の中国人労働者への映像インタビューである。

これは、シンガポールで働く タイ人労働者へのインタビューである。

「シンガポールは、タイとはまったく違い、多くの家族が高層住宅に住んでいます。タイでは、私は自分の道路や土地や農地を持っていました。」

彼に両親について聞いてみた。

「両親は農業に従事していて、まあまあ成功していましたが、その後大金を失い、それが苦労の始まりでした。当時、16歳で、農業労働のおかげで頑健だった私は、ムエタイのボクサーになりました。5年間ボクサーとして戦いました。」

「私はすべてを失い、彼らはお金を必要としました。私は、お金がなく、国を離れなければなりませんでした。それ以来シンガポールに滞在しています。子供たちにはほとんど会っていません。シンガポールを楽しむことができ、また働くチャンスを得られたことに感謝しています。ですが、ここではお金が第一で、心は二の次です。この仕事のおかげで、自分の子供たちに教育を受けさせることができます。私の望みは、お金をためて、助けを必要とする故郷の人々のために小さな教会を建てることです。」

この記事の校正はAyako Teramotoが担当しました。

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