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イギリス:77歳、インスピレーションに満ちた人生

カテゴリー: 東・中央ヨーロッパ, 西ヨーロッパ, イギリス, ハンガリー, フランス, ルーマニア, 写真, 市民メディア, 意見, 70億人のアクション

Julie Kerteszは人生そのものを賛美しており、77歳という歳を謳歌している。定年しているが、とても活動的なJulieは、自分は物語の語り手 [1]であり写真家 [2]である、という。彼女は多作なブロガー [3]であり、映像作家 [4]でもあり、さらには最近スタンドアップコメディー [5]を始めたところだ。

彼女は、トランシルバニア(当時ハンガリー領、のちにルーマニア領となる)に生まれた。その後、30歳でフランスに移住し、2008年の7月からロンドンに住んでいる [6]

写真共有サイトFlickrでの彼女のフォロワーの一人であるPatrick Barry Barr [7]によると、彼女は「世代に関係なく、活動的で充実した学びと実践の人生を送りたいと思う人にとっての手本である。」。彼は以下の様に言っている [2](2005年)。

Julie70 [2]は、私たちが70代の人について考えがちであるようなその年齢にそぐわないような精神力を見せている。そして私は、彼女の情熱、知らない人に会って彼らとその情熱を共有することを楽しむさまに驚嘆する。私は5月11日に67歳になるが、歳をとったらまさしくJulie Kerteszのようになりたい。

Self portrait by Julie Kertesz [8]

セルフポートレイト – Julie Kertesz

Julieは学ぶ事を愛してやまず、勉強する事をやめてしまったことなどないのだ。ルーマニアの共産政権によって禁止されていた時 [9]でさえも。パリで働いていた頃、2人の子を持つ母として大学に戻り、物理学の博士号を取得したのは43歳のときだった。

 

彼女自身の人生の物語 [10]についてブログ上で書いているように、70歳以降の人生 [11]があるのだ。

私たちは諦めない!
私たちは皆何かをする。
より良い人生をおくるためか、生きたまま休息するためにか。
ああ、私はすでに諦めきったように見える老人、そして若い人達にも会った。
メトロで孤独な。
パリのメトロで彼らを見てご覧なさい。
私が昨日会った市場で働いている男性と、どんなに違うことか。
そして、こんなに沢山のそうでない私たち。
人生を出来る限り最大限に生きている。
そう、私たちはある程度の歳です。
でも、気持ちの中では歳をとっているなんて感じないの!

JulieはFlickrやブログ、そして自分の物語で他の人達を勇気づけている。彼女のブログのエントリー「自分自身を笑う勇気 [12]」(フランス語)についたコメントで、読者は彼女の挑戦に対して感謝 [13]を示している。

[…] tu sais Julie, tu es Une Sage, je le pense. Tu m'aides souvent dans des moments compliqués, je me dis “attends, l'effet Julie va se produire, ça va aller”.

[…] 知ってる、Julie、私はあなたがとても賢い女性だと思う。難しい状況の中でいつも私を助けてくれるの。私は自分自身に「まって、Julie効果が現れるはず。きっと大丈夫。」と言うの。

もしかすると、このような知恵の源は、喜んで新しい事に挑戦すること [14]なのかもしれない。下のビデオ [15]では、Julieは彼女の4つめの言語で25歳から70歳の間にあった初めての経験の数々について語っている。

丁度70歳の時に、Julieは写真 [2]を見いだした。2006年、彼女は2500人が写真について学ぶFlickr上のマスタークラス、 !afterclass! group [16](!放課後!)を創設した [17]。彼女は、people reading group [18] (本を読む人) 、the never too old group [19](歳のとりすぎなんてことはない) 、strangers no more [20](知らない人なんてもはや居ない)も立ち上げた。

見知らぬ人なんて、もはや居ない。私は彼らと会った。彼らと話した。そして彼らの事を忘れない。

この最後のグループは、他人に話しかけてみるように薦めている。そして、一つ一つの交流から、素晴らしい人間像が浮かび上がって来た。下の写真をクリックすれば、Julieが「人との交流」から見つけ出した楽しい物語 [21]を見つけ出せるはずだ。

この記事の校正はIsobe Ayako [22]が担当しました。