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オランダ:祝祭、衣装…そして人種差別のホリデーシーズン?

カテゴリー: 西ヨーロッパ, オランダ, 市民メディア, 抗議, 歴史, 民族/人種, 芸術・文化
Zwarte Piets in The Hague, The Netherlands, November 2010, by Flickr user Gerard Stolk (CC-BY-NC) [1]

ツヴァルテ・ピート 2010年11月、オランダ、ハーグにて FlickrユーザーGerard Stolkによる写真 (CC-BY-NC)

オランダでは冬に ツヴァルテ・ピート [2] (黒人のピート) というキャラクターが、シンタクラース [3] (聖ニコラウス、 サンタクロース [3]は聖ニコラウスの伝説が起源) に同行する。毎年祝われる12月5日の晩または6日の朝に、良い子どもたち全員のためのお菓子やプレゼントを抱えてくるのである。この伝統的な祝日は、クリスマスに肩を並べ、重んじられている。

近年オランダでは、ツヴァルテ・ピートは定期的に起こる議論の一部となっている。顔を黒塗りにして祝祭の衣装を身にまとっているのを不快に思う国民がいるからである。物語の中で聖ニコラウスにお供するのはムーア人である。彼らはスペインからボートでやってきて、子どもたちにプレゼントを配る手伝いをするのだ。

この伝統を人種差別主義のシンボルと見なし抗議する人々もいるが、大衆的な人気を博している行事である。2011年の11月12日、ドルトレヒトで 「ツヴァルテ・ピートは人種差別だ」 (ブラックピートは人種差別) というTシャツを着た抗議者が警察官によって抑えこまれた [4]警察のこの非道な行為 [5]に非難の声もあがった。 このTシャツキャンペーンは、自らのTumblr [6]で写真を公開し、また、800名以上のフォロワーがいるFacebook [7] のページを持っている。

Stuff Dutch People Like [8] で、あるブロガーは、2010年にツヴァルテ・ピートの伝統 [9]についてこのように書いている。

今年もまたオランダに、アフロのかつらと真っ赤な唇、ばかげたピエロのみたいな衣装を着て顔を真っ黒に塗ったオランダ人に、町中で挨拶される季節がやってきたね。

Sinterklaas and Zwarte Piet [10]

聖ニコラウスとツヴァルテ・ピート ハーグ 2008年11月 撮影:Zemistor(CC-BY-ND)

オランダ人グラフィティ・アーティストでありブロガーであるBNEは、ツヴァルテ・ピートの写真を投稿し、このように問いかけている。「 オランダの聖ニコラウス祝日の伝統『ブラックピート』は人種差別? [11]

この「伝統」は数年の間に進化してきている。こうした描写が人を侮辱するものであると見なす団体からの抗議の増加が原因のひとつである。最近では、ツヴァルテ・ピートのその黒い顔は、煙突を通り抜けるときに顔がすすで覆われたためだという説もある。でも一体どんなすすが、こんな一様にむらのない燃えかすを残すのか、はっきりと説明できる者はいない。さらに悪いことに、どうしてこの「煙突の住人たち」はかつてオランダ植民地であったスリナムの黒人を面白おかしく真似たでたらめな訛りで話すのか、説明できる者もいない。

人類学者でブロガーのMartijn de Koningは 彼のブログ CLOSER [12]で「陽気な黒人奴隷-オランダにおける伝統と人種差別 [13]」と題しこのように説明している。

私はこの伝統における早急な変化を期待していない。このブラックピートは作り物であり、すでに歴史の過程で変化してしまった発明品だ。今の伝統は負の面を大幅に失っており、それは部分的には良い面もあるが、人種差別をさらに覆い隠してしまうというマイナス面もある。それでもやはり、私はこのオランダの伝統自体が、小さな子どもに歴史を通して人種差別、植民地主義、そして宗教について教えるのに最適だと思っている。おそらくそれは将来のための変化のスタート点となるのではないだろうか。

旅行サイト Off Track Planet [14]で、Anna Starostinetskaya は、 「ツヴァルテ・ピートって一体何なの? [15]」という質問にこのように答えている。

さてピートは子ども向けのお話なのか、それとも人種差別主義の象徴なのか。明確な答えなんてないと断言するわ。私たちはこの伝統が黒人を人種差別の対象として見ているわけではないとは言っていないし、アメリカ人が最もこのテーマについて強い感情を抱くのも理解できる。なぜならツヴァルテ・ピートは、視覚的に人種差別との結びつきが近すぎるから。でもアメリカ人も理解しなければならないわ。私たち自身の歴史が、私たちが知っている私たち自身の人種差別主義の過去が、その顔を黒く塗りたるという共通点だけで差別だと決めて込んでしまっていることを。ある意味人種差別主義なのかもしれないけど、私たちは私たち自身の人種差別主義の歴史と他の国の伝統を重ね合わせて同じことだと言うことはできないの。どちらにしても、スマーフでも小人でも世界の伝統を完全にアメリカナイズしてしまったものでもない、うまく中をとったものの存在を望むわ。

Sinterklaas arrives by boat in Arnhem [16]

聖ニコラウスがボートでアーネムに到着 2011年11月 撮影:Bas Boerman (CC-BY-NC)

ブログ Tiger Beatdown [17]でFlavoaが投稿した「オランダの黒い顔の季節の間に人種差別に抗議したら、袋叩きにされるか逮捕される [18]」のコメント欄で、Elfe [19] は上記に同調している。

私はどうしてこの伝統を人種差別だと思わないのか理解する必要があったからこの投稿を読んだの…彼らのことを「奴隷」もしくは「お手伝い」と彼らを呼ぶのは愚弄ではないわ。彼らはピエロではなく給仕なんだから。素敵な服を着た彼らは未開人のように骨を鼻に通して半裸で練り歩いたりしていないし、バナナスカートをつけた ジョセフィン・ベーカー [20] とも違うわ。 「タンタンのコンゴ探険 [21]」 では、顔を黒く塗った白人を見てアメリカの黒人がとても屈辱的に感じたというのはわかっているわ(でもその理由を理解するためには、アメリカで暮らしてみなければいけない。黒人が劇場で黒人の役を演じることさえ許されなかった時代に。)アフリカ人である私は、ツヴァルテ・ピートを黒人として見ていないわ。彼らは私や私が知っている他のアフリカ人のようには見えないもの。Nワードを使うことに決めたラッパーたちに対するのと同じように、もし不愉快なら私たちはただこの伝統を無視することができるのよ。私は個人的にはどうでもよかったわ。本当に低い自己評価をしていない限り、侮辱されているなんて感じないと思うわ。道徳的でなくって申し訳ないんだけど。

校正 Ayumi Nakajima