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キューバ:変わらない経済と政治

カテゴリー: カリブ, キューバ, 人権, 市民メディア, 意見, 政治, 法律, 経済・ビジネス, 言論の自由, 食

少数ではあるもののキューバ人ブロガーたちが、経済的な懸案事項について声をあげている。そして、個人事業へのさらなる開放的なアプローチを含むキューバの近年の改革が、政治的変化にまで至るか見守っている。

祖国を離れたジャーナリスト Marc R. Mansferrer は、キューバ経済が大して変化したとは考えていない。そして、ブログ Uncommon Sense [1] [en] で、変化があるとしたら次のことくらいだと言った。

キューバの平均給与は、月に19ドルになる(訳注:リンク先の情報によるとキューバの2006年の平均給与は、16ドル)。
そう、 2012年にね [2].

ブログ Generation Y [3] [en] は、「永遠に続くデジャヴにとらわれているように感じている」と語った。

今日の昼、先週と全く同じ言葉を道端で聞いた。隣人は、20年前とほぼ変わらない問題に頭を抱えている。肉屋の前の長い列は1994年や2002年と変わらない。前にも同じ状況を見たことがあるように感じざるを得ない。市場で慢性的に不足した食べ物や日用品を求める姿は、何度も繰り返される光景の一つだ。人々は、わずかばかりの油、ソーセージ一パック、洗濯用せっけんを買い求めている。

このブログの運営者 Sanchez は、「私達が待ち望んでいた経済改革は個人事業を拡大させたが、一方で、滅多に語られることのない問題を生み出している」様子について語った [3] [en]。

小規模事業者が商品や原材料を購入するための卸市場が少ないために、個人事業者たちはもはや脆弱な小売に頼らざるを得なくなっている。彼らは、夜明けとともにパン屋や大量仕入れ向けの店に列をなす。レストランや軽食堂のキッチンで使用する商品を購入するためだ。大量購入による割引がなければ、野菜や穀物、肉の供給を維持するのは非常に大変で難しく、しかもお金がかかる。加えて、小売販売店の多くは一般消費者、つまり家庭内で消費する商品を購入する個人購買者向けの商品を極端に減らしている。

脆弱な国営の店は、このところの需要に備えられていない…。もしこの矛盾が解決できなければ、豚肉、ピーマン、ジャガイモなどが paladares と呼ばれる民営の個人経営レストランでしかお目にかかれなくなる日が来るだろう。また、今日、トイレットペーパーがないと耳にタコができるほど繰り返し嘆いていた隣人は、トイレットペーパーのその白さ、柔らかさなど、それがどのようなものか思い出すためには、新しいレストランに行かなくてはならくなるだろう。

ブログ Bad Handwriting [4] [en] の運営者 Regina Coyula はTemas(議論、テーマという意味)誌主催の会議に出席した。

主婦としての視点を広げることができた。芸術家や神父でさえも「個人事業者」であり、自営業者の労働人口が全体の20%に上ることを学んだ。また、被雇用者600名が以前の国の仕事をしている時よりも平均して6倍の給与を稼いでいるということも分かった。

carretilleros と呼ばれるカートを引く嫌われ者商人たちをかばう人たちもいた。彼らは、まるで野菜の品揃えの悪さや質の悪さが彼らの責任かのように罵倒され続けてきたのだ。

パネリストたちは、保守的な表現を使い続けていたものの(特に「個人事業」パネル)、全般的には、新たな事業による労働の価値の回復というポジティブな影響について語った。そして、労働を非難対象とする社会態度を変えなければならないと言った。それはつまり、半世紀にわたって政府が押し続けた民間と個人的な富に対する負の烙印に対する当然の反応を、緩やかに忘れていくということだ。

しかし彼女によると、「今回(の会議で)一番良かったのは、参加者たちのやりとり」であった。

この新たな形態の仕事についての、透明な法的枠組みと公的統計を要求する声があった…。

ライターの Yoss は、経済力が政治力を生み出すとするならば、国は権力を失う可能性を甘受したということか、と理論的な問題を投じた。しかし、政治経済の教科書の教えに矛盾して、キューバ共産党の考えに染まったままのパネリストは、経済変化は政治変化をもたらすことはないと明言した。そして、党が唯一独占的に権力を持ち続ける、と。

若者は若者らしく、明るい光を注いでくれた。ある者は、変化による現実に対する恐怖をなくすこと、またある者は、輸入や輸出ができたらどうなるか話した。SEPSA(警備)のような国営サービスが使われたらどうなるかという意見や、クレジットカードが使えたらどうなるかという話もあった。別の者は、労働組合の役割は、政党の広報部を通して悪い知らせを伝えるのではなく、労働者を守ることだと述べた。また若い教授は、自らの個人事業者としての経験を語った。そして、実施の前にまず法を整えるべきで、その逆ではならないと主張した。

私は前よりも良い気分でその場を後にした。私たちは、野蛮でも鈍感でもない。私たちに足りないのは、自由なのだ。

校正:Mayuko Alamillo [8]