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生命さえリアルにあらず~心をよぎる、あの歌~

カテゴリー: 日本, 市民メディア, 文学, 災害, 芸術・文化, 行政, 言語

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

 

これは文学や評論など多彩なジャンルで前衛的な創作活動を展開したアーティスト、寺山修司 [1]が1957年に出版した第一作品集「われに五月」 [2]に収録された有名な和歌である。

短歌や歌集の書評を行うブロガーkenshiro55 [3]は、この歌が発表された当時の第二次世界大戦 [4]直後の高度経済成長期真っ只中という時代背景に触れ、以下のように解釈している。

霧に閉ざされた海のイメージは、当時の社会に広がり始めた不安や虚しさを象徴している。
また、「身捨つるほどの祖国はありや」という切迫した問いかけに、国家ばかりか、
命をかけて信じるほどのものは、自分には何も無い、という宙吊り状態の不安定な気分を
聞き取ることができる。

本記事では、この和歌を焼き直す形で、2012年11月4日、ブロガーkmiura [5]が書き下ろした詩を、本人の許可を得て掲載する。半世紀超の時を経て形を変えた一片から、あなたは何を聞き取るだろう。

マッチ擦るつかのま庭はかびむせて [6]

 

イギリスの東海岸の
あれはどこだか忘れてしまった

    ジットリとした
    ヒンヤリとした
    ムシムシとした

台所のドアをそっとあけて
音をたてずに外にたってみる

暗い雲に空気はいよいよ淀んでいる
寒いはずの空気
じめっとしたワイシャツがなにやらまとわりつき
蒸した空気を胸に感じる
いっそのこと脱いだほうが

空気はどことなく冷たく
わたしはそこにしゃがんで
澱のような潮の匂い
湿ったレンガや
カビやら
隣家の生ゴミやら
やりきれない
あの匂いをかぎながら
あの歌をつぶやく

マッチスル
ツカノマウミニキリフカシ
ミスツルホドノソコクハアリヤ

爆発的事象 [7]

計画的避難 [8]

冷温停止 [9]

放射線管理区域 [10]

風評被害 [11]

県民健康管理調査 [12]

原子力規制庁 [13]

民主主義 [14]

ケンカのイロハ [15]

復興予算 [16]

空虚な言葉が貨物列車に満載だ
しょぼしょぼと雨の降るドイツの冷たい秋に
あのイギリスの黴の匂いが一瞬鼻先をかすめる
身捨つるほどのコトバはありや

死に際し心拍モニタは止めましょう

そういわずに医者はのびあがり
手を伸ばしてモニタを止めようとした

とめないでください

医者はおどろいたように手をおろしむきなおり

こんな機械はもうみたくないでしょう

医者は小さな声でいった

わたしは首をふり

数字にはなれっこなのです
わたしは数字で生命を扱います
職業なのです

とめないでください

生命さえリアルにあらず
身捨つるほどのコトバはありや
※リンクは全て記事執筆者にて挿入

この作品をグローバルボイスで掲載させて欲しいと依頼のメールを送ったところ、了承の返答とともに、原発稼働についてのポスト「2012/6/1 断絶と欺瞞 [17]」と、パートナーとの死別についてのポスト「2009/4/7 彼女が死んだ。 [18]」を紹介してくれた。作品が主に、以前から記事を継続して読んでいるブログ読者へ向け書かれたものであることを念頭に置いた配慮である。本記事の読者により深く届くことを願い、ここに書き添えておく。