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ジャッキー・チェン:「香港は抗議の都市になってしまった」

2012年12月11日の中国紙「南方周末」に掲載された、俳優でカンフースターのジャッキー・チェンのインタビューは香港で物議を醸した。そのインタビューで、香港生まれの映画スターは次のように語った。

香港は抗議の都市になってしまいました。人々は中国政府とその指導者たちに批判の声をあげます。気に入らないことは何にでも不満の声をあげ、あらゆることに抗議します。人々が抗議して良いことと、抗議してはいけないことを、当局は明確に定めるべきです。

ところが、ジャッキー・チェンがこのような発言をしたのは今回が初めてではない。2009年には、ボアオ・アジア・フォーラムで次のように発言している。「自由がある方が良いのか、自由が無い方が良いのか、私にはわかりません。自由があり過ぎると、大変な無秩序状態になってしまいます。台湾のような結果になってしまうかもしれません。中国の人々は管理される必要があります。そうでなければ、やりたいことを何でもやるようになるでしょう」

ジャッキー・チェンが出演したテレビ番組の一場面

チェンのこの問題発言後、香港のネットユーザーたちは彼を非難した[zh]。その中には、チェンの公共の場での発言を香港政府が制限するよう主張する者さえいた。

香港の評論家であるLeung Man-taoは、香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト[en]」で次のように述べた。

チェンはなぜ香港の人々があえて街頭に出て抗議しようとするのか理解しようとしていません。とにかく、彼は政府のすること全てを正しいと思ってしまうようです。

また、公民党の余若薇・前議長は次のように述べた[en]。

映画産業にとってこれは恥だと思います。表現の自由は、彼が関わる産業の根本をなすものだからです。制作が許可される映画と許可されない映画を、政府が規則で定めることはできません。それと同様に、抗議が法律を遵守して行われる限り、許可される抗議と許可されない抗議を定める規則はあるべきではないことを、彼は理解すべきです。

活動家のWang Haoxianは言った[zh]。

恥知らず! チェンは人権と集会の自由を無視している。

 

中国版ツイッターである微博(ウェイボ)[zh]上では、ほとんどのネットユーザーが、チェンは政府に「ごまをすっている」と思っており、彼が中国共産党に入党する日は近いとからかっている。中国の人々は、チェンが享受する香港の自由と民主主義をうらやんでいるのだ。

黎子Cindy:HK之行,法轮功组织宣传无处不在,有人发放传单,控诉某前国家领导人对其诬陷与迫害,没有谁去阻止他们,即使有反对也是在一旁同样拉横幅让其滚出香港。若在内地,肯定都被灭了。人权与自由离我们还是太遥远了。

黎子Cindy:香港へ行ったら、法輪功の抗議活動があちこちで行われていた。元政府指導者がやった事実無根の迫害を非難するチラシを配る人もいたけど、止める人はいなかった。仮に止めようとする人がいたとしても、彼らの旗を掲げて、香港から出て行けと言ったと思う。もし彼らがいたのが中国本土だったら、叩きのめされていたところだ。人権と自由は、未だ本土の市民からはるか遠いところにある。

Keith何:在民主法治的社会,为什么就不能骂领导人? 做得不好便要骂,这是人权和自由,成龙这种人当然不会懂了!谁有本事谁来管?可以吗?难道成龙不知道我们的领导人是怎样出来的吗?人民是没有选择的,有选择的话,中国便不是现在的中国了!

Keith何:国の指導者たちが民主主義社会でしているように、市民が彼らを非難できないのはなぜか? 良い仕事をしないのなら、彼らを批判する。それが人権であり自由だ。ジャッキー・チェンのような人物がそれを理解していないなんて! 彼は、政府に向けて非難の声をあげろと言うのではなく、権力を持つ者が人権と自由を管理できると言った。国の指導者たちがどのように選ばれるのか知らないのだろうか? 市民は選ぶことができない。仮にできたとしたら、中国は現在のようにはなっていないだろう!

流氓也有爱情梦:内地应该学学了!内地什么都不敢骂什么都不敢游行。

流氓也有爱情梦:中国本土の人は香港から学ぶべきだ。ここ(中国本土)の人々には、非難の声をあげたり抗議したりする気概はない。

大彬仔失业状态:香港是自由言论之地,你是行使了这个言论自由的权利,但你不能指责别人的言论自由.真是饱汉不知饿汉饥。

大彬仔失业状态:香港には言論の自由がある。あなた(チェン)はその権利を享受しているにもかかわらず、それに気づかずに非難している。十分な食べ物がありながら、飢えている人がいることに気づかないのと同じだ。