2013年3月9日土曜日、パキスタン第2の都市であるラホールの、大部分をキリスト教徒の居住地が占めるJoseph Colonyにおいて、冒涜罪に怒った3000人のイスラム教徒が暴徒化して民家100軒に放火した。
ラホールのバダミ・バーグ地区内にあるJoseph Colonyの住民たちは、金曜日の夜もしくは土曜日の早朝すでに自宅から避難していた。それは、現地に住む28才男性の清掃作業員、Sawan Masihが口にしたと伝えられている冒涜発言への報復攻撃が起こるかもしれないと、警察が住民に警告した後のことである。
Joseph Colony の燃えている民家の写真は、Express TribuneのFacebookページを通じてソーシャルメディア上に広まった。これらの写真中、歓喜に満ちた一人の暴徒がベッドや、洗濯機、そして家財道具に火を放っている。
@norbalm (i N O R B A L M ™)燃やす自分を誇りながら携帯電話で録画。#Lahore #BadamiBagh pic.twitter.com/3agi09KxE2
@TahaSSiddiqui (Taha Siddiqui): @estributeの画像でラホールの民家が燃えているのを見てごらん。pic.twitter.com/rJBRFBj0vz
パキスタンの冒涜法は扱いの難しい問題である。 パンジャブ知事のSalman Taseerと連邦少数民族相のShahbaz Bhattiはその法律に反対したために暗殺された。
Reza Habib RajaはPak Tea Houseの中でこう語っている。
パキスタンのような国では、宗教への崇敬の念 (時折、彼らが実際に固守する典礼との整合性を持たないことすらある) が主に問題を引き起している。宗教の名の下で施行される法律の場合、その廃止が不可能であることがよくある。人々は個人的には宗教に帰依していないかも知れないが、それが全体という枠組みで持つ力については十分理解している。
冒涜法はこの国にいる宗教的少数派に対して適用されることが多い。この国の憲法もまた宗教的少数派に対し差別的な扱いをしている。1973年憲法によれば、非イスラム教徒は国家元首やその他の機関の長になることを禁じられている。
Reza Habib Raja は Pak Tea House 内の自身のブログで、それは法律だけの問題ではないと述べている。
法律よりもさらに問題なのが人々の考え方だ。ただ単に法律を廃止したところで何も変わらないだろう。事実、議会で過半数に満ちた場合にのみ法律は廃止され得る。しかもその過半数の議員は、過半数の選挙民が廃止を望んだ場合にのみそれを廃止することが出来る。正直私はどの党派も政治的な勇気を持つとは思わない。彼らは党マニフェストの項目に法律廃止の可能性を提示することも出来ないだろう。
BoloBhiという人権団体はSaad Sarfaraz Shiekh が製作したバダミ・バーグの事件を扱った動画をツィートにアップした。
@BoloBhi (Bolo Bhi): ”清掃員として僕たちは彼らの家を掃除している。もし僕たちがやらないなら、彼らはゴミの中で死ぬことになるんだよ” #Josephcolonyからの発言。 http://vimeo.com/61458898
@salmansid (Salman Siddiqui):パキスタンでキリスト教徒、アフマディ教団員、またはシーア派の二世であるってことを想像してみて。この国で自分自身や自分の家族のためにどんな未来を持てると思う?
ブロガーでありコラムニストであるSonya Rhemanが、Joseph Colony の住民たちにインタビューを行っている:
アメリカを拠点に活動するパキスタン人ジャーナリストのBeena Sarwarは、「ラホール市内のキリスト教徒居住地への計画的な襲撃; 日曜日に抗議デモ」という自身のブログ記事を書いている:
;暴徒たちは思うがまま燃やし奪っていった。彼らは150軒以上の家屋や店、および教会とその中の聖書や宗教的シンボルを破壊した(この加害者たちに対して冒涜罪を訴える者は誰もいないのか?)。この事が起きたのはこれが初めてではない。 Shantinagar (1997)やGojra and Kerian(2009)の事件を思い出してみて。
Pak Tea Houseのブログはパキスタンのこの状況をこうまとめている;
宗教がここまで崇高なものになってしまい、ある意味、それに関わるどんな議論も不可能になってしまった。結果として私たちは、宗教を恐ろしい行為に悪用することに非難の声すらあげない程、完全に社会として不能状態に陥っている。この不能状態こそ真の悲劇であり、実際の行為よりもさらに恐るべきことである。