#自分を満たそう:あるソーシャルメディア脱落者の独白

Online cat

「私は疲れて不安な気分だった。ソーシャルメディア依存だったのだ」Wm. Liによる撮影 (CC BY-NC-ND 2.0)

(記事中のリンク先で、[ja] は日本語、他はすべて英語のページです)

この前の9月、グローバル・ボイスの仕事仲間のレイナがそのためにロンドンに来なかったら、たぶん私はソーシャルメディアウィークのことを知らないままだったろう。グローバル・ボイスの仕事をする人なら知っていて当たり前の、大きな国際的イベントだったようだ。でも私は知らなかった。ソーシャルメディア脱落者だから。

まず最初に、私はTwitterをやめた。ブラジルの2010年総選挙の間、猛烈に使いすぎた時期があり、その後私はボロ雑巾になってしまった。いわゆる情報過多ってやつ?身体的にも疲れていただけでなく、最前線にいられないと自覚すると無力感にさいなまれた。ソーシャルメディアの活力やざわめきにどっぷり依存してきたけれど、これ以上はもう限界だった。2011年のはじめには、完全に手を切っていた。

ログイン画面を何度もながめてしまう、というありがちの禁断症状を味わったものの、その後気分は快復し始めた。前からやりたかったことをする時間と元気が、ふうっと湧いてきた。本を読むとか、やる時間があればなあと思っていたこと、例えば瞑想を習うとか。

Facebookをやめたのは、もっとよく考えた末のことだ。Twitterをやめた後、私の時間を吸い取るブラックホールはFacebookだけになっていた。ちょうど、新しい学位に直結する統合心理学の集中コースを始めるところだったので、空き時間も集中力も、片時も無駄にはできなくなっていた。気が散って、内なる自己に気持ちが集中できなくなる、それだけの力がFacebookにあると、私にはわかっていた。だから2012年を迎える前に旅立ちの日を定めて、どんどん混み合うタイムラインの中で未だに私の投稿を見てくれている、数少ない友人に別れを告げた。私は静かに自分のアカウントを停止した。自分が依存症になりやすい性質だという自覚はあった。そして、自分の問題の根源は、ツールじゃなくて、この性質にあるということも。

友人たちの新しい赤ちゃんや子ネコの写真、パーティーの招待、面白いイベント、気にかけている人たちの日々の投稿などが見られなくなるのは寂しかった。でも、ゲームの勧誘やミーム、広告の嵐については、無くなってせいせいした。そしてこれはプラス面だが、私は自分の利用する、思考の素材となる情報をうまく選べるようになった。私に便りをくれたり、どこかの写真を送ってくれるような友人があまりに少ないのは悲しいが、こちらもちゃんと連絡してなかったのは確かだ。

つながってる感覚は恋しい。でも正直、人と会って、皆がとっくにタイムラインで見ているような古いニュースに私が驚く時の、あの「Facebook見てなかったの?」という瞬間などに、いつも言われるのは「えー、やめたって気がつかなかった」。こんなつながり方に意味があるんだろうか。

TwitterもFacebookも恋しいわけじゃないけど、実は去年、とある宣伝目的で「偽」アカウントを作った。結局、友人の妊娠をフォローするのに使っただけだけれど。それから仲良し10人の仲間内のサークルに連絡を取り、といっても私はもっぱら読んでるだけで、自分のタイムライン上で公然と親しくする気にはならなかった。仕事仲間でスカイプからハングアウトにのりかえる人が多いせいで、私もGoogle+を使うハメになった。その上に、あるサービスを提供するために、一旦はTwitterのアカウントを開設したけれど、もう我慢できなかった。まるで阿鼻叫喚の群衆がひしめく街中で自分も叫んでいる気分だ。けたたましくって、うんざり。じきに私は自分の内なるハッシュタグに帰った。 #occupymyself(自分を満たそう)。

Cat breaking free

「ある日、私は自分を解き放つことにした」Eric Hackeによる撮影 (CC BY-NC 2.0)

いずれソーシャルメディアに戻る気はあるかって?それはわからない。昔の友人たちは恋しい。気の合う人との新しい出会いも逃すことになる。例えば @giantpandinha なんか「リア友」の大親友だけど、Twitterがなければ絶対出会えてなかった。時々出くわすおバカな投稿に笑わせてもらうこともなくなる。私の中で小さな声が、お前はチャンスを逃してるぞって言う。戻ろうかと考える時もある。でもたぶん、大学を卒業したらもっと時間ができるから、それまで待つつもりだ。その頃までには、もっと意識的に気の合うつながりが持てるようなソーシャルメディア・ツールができているといいな。

でもそれまでに、時間があったら先にやりたいことがある。ヨガ、ガーデニング、自然の探検、私の人生の作業一覧には他にもまだまだ載っている。仕事中ずっとネットにつないで過ごした後は、オフラインの時間を楽しみたい。パソコンの前で過ごす時間は、思ってたよりまだまだ長いし、本も本当はもっとたくさん読みたかった。でも、他人に気を散らされることなく、毎日瞑想して自分の大切な内面を探るのって、すばらしい。ソーシャルメディアをやめて以来、一番大きな生活の変化が、自分自身のための時間ができたことだ。

自分は世界の外だから、もう記事をチェックしたり読んだりしなくていいんだ、投稿することもレポートすることもシェアすることも、それから「リツイート」や「いいね!」で読者受けを測定することもいらないんだと感じられる、その事実がいとおしい。人の話にもっと注意深く耳を傾けられるし、自分が体験していることにも完全に没頭することができる。過剰摂取だった外からの刺激がなくなって、私自身とのつながりが改善できる。

ただソーシャルメディアをやめるだけでは物足りなくて、私は来週(訳注:原文掲載は2013年10月18日)からのヴィパッサナー瞑想 [ja] を予約した。午前4時から午後9時まで何もせず静かに座って瞑想するだけで10日間過ごす予定だ。私のソーシャルメディア仲間たちもやってみればいいと思う。10分だってできはしまいが。

Zen cat

「ただいま瞑想中!」Evan Lovelyによる撮影 (CC BY 2.0)

パウラ・ゴエス、ブラジル出身、元ソーシャルメディア依存症で、グローバル・ボイスの多言語編集者。

校正:Rie Tamaki

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