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新しい故郷? ボーダーレス社会とインターネット市民

カテゴリー: ラテンアメリカ, アメリカ, キューバ, テクノロジー, デジタル・アクティビズム, 市民メディア, 法律, 言論の自由, 架け橋
The Malecón, Havana, Cuba. Image by Flickr user Patxi64 (CC BY-NC-ND 3.0). [1]

キューバ共和国ハバナのマレコン通り(The Malecón)。 画像提供:FlickrユーザーPatxi64 (CC BY-NC-ND 3.0).

一度キューバ人ブロガーをインタビューしたことがあるのだが、彼女はインターネットを、キューバ人(アクセスできる少数派)が市民としての権利を行使できる場所、と言い表した。実生活の中ではキューバ人が経験する事のできない、活発な参加民主主義の経験だ。彼女いわく、「私たちはサイバースペースの中で、市民になることを学んでいる」そうだ。 彼女の焦点は、キューバでの大衆への表現行為と討論の特定の制限についてだが、私もインターネット活動家の同僚達が、常に彼ら自身を「インターネットの」市民または住民と表現することを思い出しながら、キューバ人ブロガーの言わんとする事を大きな枠組みの中でとらえた。

オンライン上の活動が範囲と影響力を拡大させる中、私たちの多くは自分自身で作り出す、参加型の市民権を編み出してきたと言えるだろう。それは特定の国家の取引合意よりも地球上全体で固く結びついている。私たちは、いくつかの方針を支持、または不支持するために懸命に戦っただけではなく、オンライン上での権利の行使と保護をするための国際基準 [2][en]の作成を実際に始めた。国家、国境そして国籍はいろいろな面で重要で大切なものであることには変わりはないが、人々は以前のように明確な定義や、拘束力があるようには感じていない。

伝統的な国家単位の世界と、流動的な境界線をもつインターネット熟達者たちの新しい世界という、二つのパラダイム間には2013年6月に険悪な衝突が起こった。発端は、NSA(National Security Agency-アメリカ国家安全保障局)から漏洩した情報によって、アメリカ政府が世界中の多くの人々に対してスパイ行為を行っていたことが明らかになった事だった。このような事態がいずれにせよ起こることは容易に想像できたが、無法で監視されない体制をもつNSAを管理する特定の規約が、境界線と「インターネット市民」という問題の真ん中に切り込んだのだ。

今やNSAがスパイ行為を行うのは、独断的な「外国的」という尺度によるものだというのは、周知の事実だ。テロリストは通常外国人だ、という誤った思い込みに基づいて、捜査を実際にテロリスト組織に関連していた人物に特定する代わりに、当局は多くの外国人の通信を追跡することにした。

仮にある個人が外国の要素、又は最低「51パーセントの外国っぽさを持ち合わせている」事を情報分析官が証明できれば、NSAはその人物に対して好きなだけスパイ行為を行うことができる。その基準は彼らがどれくらい頻繁に国外にいる人物達と連絡を取り合っているかによる。結局のところ、アメリカの法律では、政府はアメリカ国外に住む人々に対して憲法で保証されている保護の義務が無いのだ。

この出来事以来、アメリカにいる多くの権利主張者はこのような対策に対して、アメリカの人々の権利を守ることに関心をよせてきた。この基準によれば、アメリカでは人口の半分以上が外国的だとみなされるのだ。しかしNSAの、ばかげた「外国的」基準案は、オンライン上であるグループ(この場合、「アメリカの人々」)の権利を他のグループより優先させことは、ほぼ不可能だと証明している。

このポリシーの結果は、私たちの境界線が穴だらけのようなものだと言うことも証明している。通常、私たちは最低一つの国に属しているが、世界中の国々の人たちとも、日常のコミュニケーションとオンライン上の生活で繋がっている。境界線というのは液体のようなものなのだ。

私たちは、インターネットの外の世界では法律や権利が国によって違うという現実を受け入れている。しかし、社会規範と技術的な実態がもっと流動的な現実へと導いているオンライン上では、これを受け入れるのは容易なことではない。もしも私たちが国籍やその他のありのままの基準に基づいて、ある人々の権利を守り続けようとすれば勝ち目はない。 私たちはテクノロジーがもたらしたボーダーレス社会というものを、美しい概念としてだけではなく、実用的な現実として理解しなければいけない。インターネットは皆の権利を平等に守ることを実際に試みることができる場所なのだ。

これらの課題に直面して、世界中の権利擁護者たちは普遍的人権を擁護、支持するために動き始めている。この概念はアメリカの政治家たち(明らかに、先を見越して考えてはいない)がもともとの提案者だ。間違いなく、この概念を実現させる時は今をおいて他にない。私たちは意のままになるメディアを手にした。まだ完全に万人に行き渡ってはいないが、今までのメディアでは体験した事が無いほど、その状況に近づきつつある。インターネットは実寸大でこの世界的共通性を思い描くことを可能にするだけでなく、その為の行動を起こす力を与えてくれる。

Ellery Roberts BiddleはGlobal Voices Advocacy [3][en]の編集者であり、Global Voicesコミュニティーの長年のメンバーである。サンフランシスコで暮らし、表現の自由とオンライン上でのプライバシーとキューバでのインターネット使用の政治的手段についての考察や執筆活動に専念する。彼女のブログはhalf-wired [4][en]。Twitterでのフォローはellerybiddle [5][en] 。

校正:Masato Kaneko [6]