5月30~31日、カザフスタンのアルマトイ、ウズペキスタンのタシュケントおよびキルギスのビシュケクは、集中豪雨による大混乱に見舞われた。被害はおもに、車が流されたり、家屋が浸水したりといったことに限られているが、キルギスでは、これに勝る悲劇的な事態が生じた。すなわち、なぎ倒された木が人を 直撃[ru]し、その人はまもなく死亡した。
アルマトイ、カザフスタン
カザフスタンのマスメディアは、5月31日下記のように報じている[ru]。
およそ140万の人口を擁するカザフスタン最大の都市アルマトイは、どこもかしこも水に浸かった。同市の下水道施設はソ連時代からほとんど改良されておらず、集中豪雨に対応できなかった。そのため集中豪雨の間中、アルマトイの主要街路では交通渋滞が生じ、また、住宅街、建設現場、ビジネス街などがことごとく浸水してしまった。こうなったのは、宿命ではなく、潅漑(かんがい)用水路の不備および急速に進む都市化に追いつかない洪水対策のせいだと、アルマトイ市民は不平を漏らしている [ru]。
В сравнении с советской эпохой в разы увеличилась площадь поверхностей, не поглощающих дождевые воды – это крыши домов и строений, асфальтированные площадки и дороги. Арычная система, заложенная десятилетия назад просто не справляется теперь с этими объемами воды. Да и мусором она конечно местами забита, но основная причина это в разы возросшие объемы поступаемой ливневой воды.
Гость_гость 31 мая 2014 11:15
ソ連時代に比べると、雨水の浸透を阻害する面積が増大している。つまり、現在は、多くの建物が屋上を持ち、建物も増えたし、広場や道路が舗装されているからである。数十年前に建設された潅漑用水路は、流入する水量をのみ込むだけの能力がなくなっている。もう一つの問題は、潅漑用水路がゴミで塞がれていることである。しかし、実際に深刻なのは、浸水そのものの度合いが、以前と比べ、より激しくなっているということである。
タシュケント、ウズベキスタン
2百万人以上の人口を擁するウズベキスタンの首都タシュケントは、5月30日に浸水被害を受け、駐車場から広場まで、ことごとくが水没した。この間、同市の主要交差点では交通の大渋滞が生じた。Vyacheslavはタシュケントの地元紙 Gazeta.uzが発表した報告について、次のようなコメントを書いた。
Наши дорожные службы просто облажались.Это не показухой заниматься. Где ливневая канализация? Где автомобили с насосами, которые бы откачивали воду из туннелей и подземных переходов?
Кого-нибудь накажут за это?”
Славик К. 30 Мая 2014 17:18
タシュケント市内の道路交通はめちゃくちゃになってしまった。タシュケント市は、このような事態になったことを広報活動に利用してはならない。タシュケント市はあの時、降雨への適切な対処策を示すべきだったという深刻な問題提を突きつけられているのだ。雨水排除のための下水道は何処にあるのか。ポンプ車にはトンネルや地下鉄から水を汲み出すためのポンプが備え付けられているではないか。それなのに、ポンプ車は何処へ行ってしまったのだ。こうなったことで、誰か罰則を受けるのだろうか。
市当局は今回の洪水に、もっと適切に対処することができたはずだというタシュケント市民がいる。これに対し、別のタシュケント市民Shukhrat Alymbaevは、異を唱えている[ru]。
Никто к такому не готов. Это природная стихия, так скажем «форс-мажор».Наверняка найдутся очень много критиков в пользу коммунальных служб. В самый разгар происходящего всего я по делам ездил по городу и лично сам видел, как все службы.
Шухрат Алимбаев 30 Мая 2014 18:23
今回のような降雨に万全の備えをしようとしても、それは不可能だ。自然が相手なのだ。今回の洪水は不可抗力といえる。市の公共サービスへの取り組み姿勢を批判する市民が多くいる。しかし、実際、私は、市の職員が洪水に対処するために懸命に働く姿を見た。
豪雨が収まるとすぐに、ウズべキスタンの報道機関は今回の惨状を検証 [ru] した。数々の木が倒れ、押しつぶされた車や水に浸かった家は多数に上ったが、負傷者も死者も皆無であった。タジキスタンの最南部での被害は、市内道路の渋滞に限られていた。一方、キルギスでは、今回の荒天により悲惨な結果がもたらされた。つまり、一人の命が奪われ、負傷者も一人出た。そして、ビシュケクのメイン広場に掲げられていた国旗が引き裂かれてしまった。
ビシュケク、キルギス
5月31日、ビシュケク市議会は下記のように 公表した[ru]。
В столице 30-31 мая в результате шквального ветра и дождливой погодой по городу Бишкек упало 16 деревьев, в основном — зеленые деревья, не имевшие признаков аварийности. В результате падения деревьев погиб 1 человек, пострадало 2 автомашины…поврежден флаг на центральной площади Ала — Тоо, также на отдельных участках города повреждены инженерные сети и ряд других объектов.
ビシュケクで5月30日~31日、暴風雨により16本の木が倒れた。この倒木により一人が亡くなり、2台の車が損壊した…、そしてアラ・トー広場に掲げられていた旗が、引き裂かれた。また、ビシュケク市内の数カ所では、工場その他が被害を受けた。
名も無き男性の死は避けられたものであり、市の怠慢のせいだとの批判がある。これに対し、市当局は素早く反応した。
Для уборки упавших деревьев и высвобождения проезжей части улиц столицы организованы оперативные мобильные группы, которые убрали большинство упавших деревьев. Также организован объезд городских улиц для выявления аварийных деревьев. В настоящее время работы продолжаются.
市は豪雨後、市内を清掃するため移動清掃班を立ち上げた 。また、木が倒れそうかどうかを確認するため、特別巡視班を立ち上げた。現在、これらの作業は継続中である。
亡くなった人に関してよく起こりがちな噂が、ビシュケクの住民の間に広まっている。伝えられるところによると、亡くなった人は、市営の市内循環マイクロバスを待っていた。その時に、突風が近くの木をなぎ倒し、その木が、亡くなった人を目がけて突然倒れかかった。もう一人は、その木にぶつかり、救急車で市内の病院へ運ばれたが、症状は回復に向かっている。ソ連時代は「緑の都」といわれた誇り高き都市ビシュケクはいまや、いつ倒れるともしれない老木が多数あるといった書き込みが、ソーシャルメディアの中で飛び交い、ソーシャルメディアはパニック状態に陥っている。そのような背景の中で、ある人はVecherni Bishkekのウエブサイト上に、 冷静なコメントを寄せている[ru]。
я ехала с работы в тот день в маршрутке, и она стояла почти 2 часа в пробке около 1000 мелочей, я ужасно злилась на весь этот мир, а оказывается были жертвы этой непогоды, боже мой, теперь понимаю что это была такая мелочь, кто то потерял близкого человека(((
1, 2014-06-01 18:20:14
私は帰宅途中、交通渋滞の中で「よろず屋」のそばで2時間近くも立っていた。おかげで私は、あたり構わず当たり散らしたい気持ちだった。しかしその時、あの忌まわしい天候のおかげで、犠牲者が出たという事態が生じたのである。神様、愛する人を失った人がいるのです。それに比べたら、私が2時間近く立ちん坊を食らったことなど取るに足らないことなのです(((。
5月30日~31日に起きた異常な気象現象が、近い将来また繰り返されると考える人はあまりいない。しかし、ひとたび災害が起こると、公共サービスの手は我々に届かない。だから、自分のことは自分で対処しなければならない。我々はそういった世の中で生活しているのだ。中央アジアの重要都市の多くの市民は、今回の豪雨でそういったことを否も応もなく思い知ることとなった。Aleksandr Tikhonovは、gazeta.uz紙への寄稿で疑問を呈している[ru]。
Службы у нас не работают на опережение таких событий… Конечно легче сказать, что «спасение утопающих — это проблема самих утопающих», но напрашивается вопрос, зачем нам государство, закон, различного рода органы управления???
今回のような事態の中では、公共サービスは機能しない。言うまでもなく、「溺死から身を守るのは溺れてる本人の責任だ」というのは簡単だ。しかし、そうだとすると、次のような疑問が残る。なぜ国家、法律、および各種政府機関は、我々にとって必要なのか???。