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「死よ、あなたのことを愛してはいないが、恐れてもいない」パレスチナ人レジスタンス詩人サーミ・アイ・カシムがガンで他界

ご冥福をお祈りします サーミ・アイ・カシム……パレスチナ人抵抗詩人 写真はアナーバチによるもの、ウィキペディアより (CC BY-SA 3.0)

ご冥福をお祈りします サーミ・アイ・カシム……パレスチナ人抵抗詩人 写真はアナーバチによるもの、ウィキペディアより (CC BY-SA 3.0)

パレスチナ詩人の代表格であり、政治活動家で報道記者のサーミ・アイ・カシムが、長いガン闘病生活の末、8月19日になくなった。75歳だった。

アイ・カシムは生まれ故郷のイスラエル北部のアラブの町、ラメで亡くなった。カシムが生まれた頃、ラメはパレスチナの一部だったが、1948年にイスラエル軍に占領された。アイ・カシムはイスラエルの国民であったにも関わらず、自らをパレスチナ人であると考えていた。イスラエルに住むアラブ国民は未だに彼ら自身をパレスチナ人と名乗っている。アラビア語で「48のパレスチナ」もしくは、「48」はもう一つの意味がある。アイ・カシムの詩は民族主義的で、かつてはパレスチナの土地だったが今となってはイスラエルの一部となっているパレスチナのアイデンティティについて頻繁に書いていた。

アイ・カシムは詩・小説・エッセイ・劇の全集など、30冊以上もの尊い遺産を残した。アラビア語で書かれた彼の作品は多くの言語に訳された。彼はパレスチナのアイデンティティを守ることを強く望んでいた。政治的理念の問題や、イスラエルがドルーズ派国民に対し下したイスラエル軍への入隊要求を拒否したことにより、彼やその家族は幾度か逮捕された。それにも関わらず、彼はイスラエルとパレスチナから出ていくことを拒み、「私は自分の国に残る事に決めた。自身よりも自分の国を愛しているからだ。」と述べた。

1967年、アイ・カシムはイスラエルの共産党員に入党した。アラブイスラエル週刊紙「クル アル・アラブ(アラブのすべて)」の編集長でもあった。

アイ・カシムの死が明らかになったあと、パレスチナ人たちがすぐSNSに彼を悼む「抵抗の詩」を投稿したのは当然だ。彼の存在はそれだけ大きかった。

同胞のパレスチナ人詩人のモーリッド・バーゴーチは、自身がレバノン人歌手のマーセル・カリフェーに捧げた有名な歌の歌詞を変え、「私は歩く」から「彼は歩く」へとした。

背筋を伸ばして 彼は歩く。頭をあげて 遠く遠くへ歩いていく。 さようなら、サーミ・アイ・カシム

自身もまたパレスチナ詩人であるマジード・アイ・バーゴーチも言葉を添えた。

数分前にこの世を去った詩人のサーミ・アイ・カシムは、パレスチナ中に正義と平和が広がるまで彼の抵抗の詩を朗読し続けるだろう。

ベルリンを拠点とするブロガーアビーア・コプティーはアイ・カシムを「国家の父」と呼ぶ。

パレスチナ人詩人は神の囚われの身となった。さようなら、国家の父!

歌手でアラブのアイドルコンテストの優勝者であり、国連難民救済事業機関の地方大使であるモハマド・アサフはアイ・カシムを「地球とオリーブの詩人」と呼ぶ。

そして我々は行く……傷付き血にまみれた体を引きずって、我々を呼ぶ未知の水平線へと。地球とオリーブの詩人は我々を置いて行ってしまった。

パレスチナのもっとも有名な大学であるバーゼイト大学はアイ・カシムを「革命の詩人」と呼ぶ。

バーゼイト大学一同はパレスチナ革命の詩人のご冥福をお祈りします。この写真はアイ・カシムが2007年に当大学を訪問したときの記録の一部です。

多くのパレスチナ人芸術家、政治活動家、ブロガーがツイッターでアイ・カシムを追悼するために彼の詩の一部をつぶやいた。

パレスチナ主義で知られる自称「イスラエルの人口統計を乱すパレスチナ国民」のブロガーも、アイ・カシムの詩を一つシェアした。

同胞よ
生きろ 生きろ
不公平な状況におかれても 手を高く挙げて
世代交代の象徴だ
新しい世代を揺さぶって こう言え
「私は抵抗した。今度はあなたが逆らう番だ」

我々はアイ・カシムと彼が先週書いたこの詩を忘れない。

死よ、あなたのことは好きではない
けれど、あなたのことを恐れてもいない
私の体はあなたのベッドであり
私の精神はあなたのベッドカバーである
あなたの湖畔は私にとって狭いのでしょうね
死よ、あなたのことが嫌いだ
だけどあなたのことを恐れてはいない

校正:Izumi Mihashi