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リマ 音楽であふれる街中

カテゴリー: ラテンアメリカ, ペルー, 市民メディア, 意見, 音楽, 架け橋

[リンク先には英語またはスペイン語のページも含まれます。]

TrompetistaLima

筆者であるフアン・アレリャーノが撮影 許可を得て使用

フアン・アレリャーノによって書かれたこの記事は、もともと彼のブログ   Globalizado blog [1] にスペイン語で書かれたものだ。グローバルボイスのために ヴィクトリア・ロバートソン [2]が英語に翻訳した。

大都市は戸外で働くさまざまな人にとっての活動の中心地だ。広場、公園、大通り、横道など人はあらゆる場所で働いている。こういった都市ジャングルに住まう人々のなかで、ミュージシャンは、いやストリートシンガーとでも言おうか、特権的な位置を占めている。黙認されているというだけでなく、人間味のない公共空間に喜びをもたらしたという理由で堂々と抱きしめられていることもよくある。

ペルーの首都リマも、例外ではない。商業施設や都市の歴史地区の一定の場所から、 ストリートパフォーマー [3]たちが警察によって追いやられる一方で、多くのミュージシャンはかなり自由に商売に精を出し、数ドルの金を稼ぐ。受け入れてくれるレストランも多いし、ミクロコンビという名前で知られる ミニバスやミニバン [4]のような公共交通ですら演奏している。

しかし、即興音楽の価値が真に評価されているものであるかはまた別の問題だ。少し前に、「リマは美しい」という名のブログのなかで、ストリートパフォーマンスを題材にした記事を読んだ。「リマ人はストリートパフォーマンスを評価しない。なぜなら、社会に貢献するというよりは物乞いの類とみなすからだ」と言う。そして同時にこうも断言する。「ストリートミュージックは人々を活気づけ、奮いたたせ、やる気にさせる。地元の人も旅行者もどちらともだ。我々の街は、純粋に音楽を必要としている」

個人的には、数年前まではストリートミュージックにはほとんど関心を持っていなかった。たぶん、周りで何が起こっているかなどは念頭になく、ただ道みちを走り回る都会人のまた一人にすぎなかったためだろう。かなり最近のことだが、ストリートミュージシャンに出くわし、その時たまたまカメラを持っていたので、演奏を録画した。

リマの街角で出会った才能ある人々のうち幾人かを紹介しよう。

アシャニンカ族 [5]はペルーのアマゾンのなかで最も人数の多い土着のグループである。彼らは1980年代と90年代のテロ [6]の時期に移住を強制 [7]させられた被害者でもある。実際に皆殺しにされなかった人々のうち、多くはリマのアテ地区に移住した。今でも少数のグループがそこに住み続けている。近くには、もともとペルーの山林地域に住んでいたある先住民のコミュニティの人々が住んでいる。ともに、土地と文化への密接な結びつきを維持している。

ある日、リマの中央市場を歩いていると、アシャニンカ族の数人が伝統的な音楽を演奏しているのに出くわした。このときには、アマゾンのリズムを体現している優美なダンサーもいた。たいていは涼しい気候のリマでは見慣れない光景だが、その夏の日、ミュージシャンたちはまるで故郷アマゾンの暖かい空気の中にいるかのように演奏をしていた。残念ながら、私はほんのちょっとしか見ることができなかった。

アシャニンカ族の音楽はとても多様である。アマゾンの詩と物語の発表会で録音したジェシカ・サンチェス・コマンティによるこの歌 [8]でもその多様さは表現されている。

ペルーのバルス [9]はひとつの音楽形式で、ヨーロッパのワルツに由来し、もともと19世紀後半にリマと沿岸部の都市で発展した。その後、内陸部へも浸透していった。La Contamaninaという曲は、ロレト州の北方、ウカヤリ川の沿岸にあるコンタマナ市が名前の由来となっている。だが明らかに、ペルーのアマゾンでもっとも大きい都市であるイキトスで作曲された。少なくとも、ブロガーのマヌエル・アコスタ・オヘダはこう強く主張する [10]

「バルスはもともと歌詞がなく音楽だけという特徴があるだとか、20世紀初頭の天然ゴムブームの只中に富を求めてエクアドルからイキトスへと旅したイタリア人バイオリニストがこの美しい曲を作ったとか、もとの題名は『レオノル』であったなどと言われている。イタリア人旅行者が若くて美しいレオノル・オロルテギ・レジェスに抱いた情熱を表現するために、ドン・アレハンドロ・メラ・デル・アギラが歌詞を付け足した。旅人の愛は報われたが、二人のロマンスはレオノルの家族からは認められなかった。そして彼女は町から追放されたのだ」

いくつかの違ったバージョンの歌詞が存在する。その中でも一番よく知られているのが、Dúo Loreto [11]というグループによるものだろう。私はよく思いがけない音楽との出会いを期待して街中を散歩するのだが、まさにその期待に当てはまるように、この曲の音楽だけのバージョンを録音した。たまたまウカヤリと呼ばれているリマの中心部の道で盲目のサクソン奏者が演奏していた。

私自身は、ミゲル・アンヘルに出会って初めてミュージックソー [12]を知った。だがYouTubeでかき集めた情報によると、世界の多くの場所で普及している楽器であることがわかる。

こちらがミゲル・アンヘルが演奏する「ラブ・ハーツ」 [13]だ。70年代にヒットしたスコットランド出身のバンド、ナザレス [14]の曲である。もともとこの曲はブーデロウ・ブライアント [15]が作曲し、60年代にエヴァリー・ブラザーズ [16]によって歌われたものだ。

この動画 [17]で、ミゲルは簡単に、だがユーモアたっぷりにミュージックソーが何であるか、そしてどのように演奏するかを説明している。また別のブログの投稿 [18]では、この楽器は英語ではシンギングソーと呼ばれることもあると例をあげて説明されていた。

マイルス・デイビス [19]ミュート [20]をつけてトランペットを演奏するのを初めて聞いて以来、私はその音に魅了されている。自分が住む都市で、まさかその音に出くわすなど、考えたこともなかった。しかし、今年になって、新しく友人となった人が次の動画の演奏を紹介してくれた。その友人はもともと私が出会った数少ないアーティストの一人で、公共空間から彼を追い出そうとする市の職員とトラブルになることもあると教えてくれた。

リマでは通行人に対して、実にさまざまなスタイルのストリートミュージックが演奏されている。ペルー海軍 [21]政府宮殿 [22]の軍楽隊による人気曲の演奏なども行われている。リマという都市自体がまた、ロックグループをむかえて、さまざまなストリートイベントを主催 [23]している。

正式なコンサートであれ、ストリートミュージシャンによる即興の演奏であれ、ペルーの首都はもてなしの歌や音楽で生き生きしている。ぜひ楽しんで!

校正:Sayuri Ishiwata [24]