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北京在住のチベット詩人と米国在住のチベット人ミュージシャンがインターネットを通じて禁断のコラボ

カテゴリー: 東アジア, 中国, 市民メディア, 芸術・文化, 音楽

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インターネットによる連絡だけで、しかも5年の歳月を経て、ついに2013年7月、米国在住のチベット人ミュージシャンと、北京在住のチベット詩人とのユニークなコラボ曲が世界にリリースされた。

その曲「ラム・ラ・チェ」(訳注:路上にての意)は、こういうかたちのコラボとしては初めてのものだ。そしてそれは、インターネットを使えば、在外チベット人たちと中国統治下にあるチベット人たちが、国境を越えて連絡を取り合うことができるばかりか、共同して何かを作り上げることもできるのだということを示してくれた。

中国統治下にあるチベット人ミュージシャンたちがチベット(訳注:チベット独立派が主張するチベットの歴史的な国土は、チベット自治区のほか、青海省、甘粛省、四川省の一部を含む)を鼓舞するような曲を作ると、当局の検閲 [1]に遭う恐れがあるだけでなく、それを理由に投獄 [2]される恐れ [3]さえある。一方、在外チベット人ミュージシャンたちは自由に曲を作ることはできるが、それが中国統治下のチベット人まで届かないかもしれないことを知っている。

ところが、在外チベット人ミュージシャンのテチュン と、北京在住のチベット人ブロガーのオーセル は、インターネットで連絡を取り合いながら1つの曲を共作することができた。そしてその曲は国境を越えて伝わったと同時に、彼らに対する注目も集まった。この投稿記事では、「ラム・ラ・チェ」について、そしてその作者であるテチュンとオーセルについて少し掘り下げてみたい。

コラボへのきっかけ

チベット人作家、詩人でブロガーのツェリン・オーセル(通称オーセル [4])は、在外チベット人ミュージシャンのテチュン [5](本名タシ・シャスル )が、2008年12月に台北で行われたチベット解放のためのコンサートで歌う姿をインターネットのビデオと写真で観たとき、とても深い感銘を受けた。2008年はチベットにとっては波乱の年であった。 3月10日に、中国の支配に対する大規模な蜂起が始まり、チベット全域に広がった。これに対して中国政府は軍事的弾圧を加え、チベットはその年、厳しい統制下に置かれた。この事態の推移を、北京に住むオーセルは自分のブログに逐次書き留めた。そしてオーセルは、先に観たコンサートに触発されて、インターネットでテチュン に連絡を取り、彼女が「『内』と『外』のチベットのコラボ」と呼ぶ共作を始めないかとテチュンに打診した。

この台北のコンサートは世界人権宣言採択60周年とも重なったていた。そのため、テチュンの歌声は平和と希望のともし火として映った。オーセル は、2008年についてのブログで次のように書いた。「チベット人は、チベットの内にあるか外にあるかに関係なく、人の心の奥から出る声に耳を傾けることができるのです。こうしてチベット人たちは、喜びも悲しみも共有し合いながら生きています」

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この「内」と「外」のチベット人たちによるコラボは、中国統治下にあるチベット人と在外チベット人とを隔てる国境に橋をかける象徴的意味合いを持った。

「何曲かの歌詞はコラボ以前にすでに書いてあったものです。そのうちの1つが『路上にて』でした。それは何年も前にラサ(訳注:チベット自治区の首府)で書いたもので、ダライ・ラマ猊下への敬愛を表したものでした」とオーセルはメールインタビューで書いている。続けて次のように言う。「そしてもしテチュンがそれに曲をつけて、歌ってくれたらきっとパーフェクトな献辞になるだろうと思っていました」

創作活動への検閲と旅行の制限 

テチュンとオーセルは、直接会うことはできなかった。それはこのプロジェクトにある程度の不都合をもたらした。テチュンのように外国に住み、政治的に活発なチベット人は、中国当局からチベットへ入るビザを往々に拒否される。一方活発なブロガーであるオーセルも、これまで中国政府からパスポート発行を決まって拒否されてきた。2013年3月には国際女性の日にちなんで米国務省から表彰を受けたが、AP通信が報じたように [6]、「彼女はそれに出席することができなかった。それはその前年に申請したビザが警察当局に却下されていたためだ。しかもその却下理由は、オーセルが中国の国家安全保障を脅かす危険性があるためというものだった。おそらく彼女の活動がその原因であった」

チベット独立を支持するアーティスト、ミュージシャン、ブロガーたちは大変な危険 [7]を冒している。彼らの曲は発売禁止になるかもしれないし、何年も投獄される恐れもある。実際にロロ、テンジン、ゲベイなどのチベット人歌手たちはすべて、チベットを称える曲を作ったことを理由に投獄された。一方テチュンなどの在外チベット人ミュージシャンたちの曲は、それがチベットに届くと往々にして検閲された。

テチュンのデビューアルバムはあからさまに政治的だったため、チベットで発禁処分を受けた。これを受けて彼は、自分の曲をチベットで聴いてもらう機会を増やすために、チベットのアーティストが行っているような自己検閲を行って政治的な歌詞をトーンダウンさせた。たとえば、チベットを指す言葉として政治的意味合いの強いチベット語の「ボッド(Bod)」を使う代わりに、「雪の地(Kangjong)」という言葉を使った。

一方オーセルは、これまで当局から何度も直接的な検閲を受けてきた。彼女はその執筆活動のために職を失い、ブログも当局によって何度も停止させられた。そのため現在ではブログを国外のサーバーに置いて、そこで更新していている。

「私たちがこのコラボをする前には、在外チベット人で、チベットまたは中国内のチベット人とコラボしようという者はだれもいませんでした」とテチュンは言った。

「ある意味でテチュンは在外チベット人のシンボル的な存在です」とオーセルは言う。「以前にも書いたように、音楽というのは鳥の羽のようなもので、人が作った国境を飛び越えることができるのです。私がテチュンと共作したかったのは、それによって歴史的な、また現実にある障壁のようなものを壊したかったからなのです」

インターネットによる共作

「オーセルが私たちに連絡を取ってくれた時は驚きました。また同時に大変な光栄でした」と、テチュンはスカイプによる米国との間でのインタビューで語った。以下は彼らのやり取りのスクリーンショットだ。

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親愛なるテチュン様

あなたの音楽が大好きです。あなたの曲が全部好きです。

歌詞を書きました。もしあなたがいつか私の曲を歌ってくださるなら大変光栄です。

今後も連絡を取り合えたらと願っております。
温かいお言葉ありがとうございました。

オーセル

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親愛なるオーセル様

台北空港からこんにちは。お便りをどうもありがとうございます。私の音楽を聴いてくださってありがとうございます。私の曲はあなたが言われるほどすばらしくはないですが、それでも褒めていただいてうれしく思います。

あなたの歌を歌わせていただけるのは大変光栄です。もしチベット語の歌詞ができていたらぜひ私に送ってください。あなたの歌を歌えるのは本当に光栄です。

ご多幸をお祈りします。

テチュン

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親愛なるテチュン様

とても幸せです!どうもありがとうございます!

ロサン・ギャツォ画伯が次のように言っておられます。

「チベットのアーティスト、作家、映画制作者、あらゆる方面の知識人たちが、将来もっと共同制作をして、メディアや知識分野の垣根を越えて相乗効果を作り出してほしい思います。そうなれば、もっと力強くなり、実りの多いものになると思います」

私の歌詞をあなたが歌ってくれる日を、またそれが「内」と「外」のチベット人に示される日を心待ちにしています。

ご存知と思いますが、私の歌詞は中国語です。でももう友人に翻訳してくれるよう頼みました。彼のチベット語はすばらしいです。

この英語はGoogle翻訳を使って書いています。もし間違いがあったら、すみません。

ごきげんよう

オーセル

チベットで生まれ、中国で育ったオーセルは中国語しか書けない。一方のテチュンは、インドで生まれ育ち、現在米国に住んでいるので、英語でのやり取りの方が楽だ。2人ともお互いのことを聞いてはいたが、オーセルが中国語のメッセージをGoogle翻訳で英語に翻訳し、テチュンのFacebookに連絡を取るまでは、2人は会話したことがなかった。

「本当に言葉の壁は大きかったです」とオーセルは言う。「そのため私たちの間にそんなに多くのやり取りはありませんでした」

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親愛なるオーセル様

Google翻訳したあなたの英語を読みました。ほとんど理解できました。ありがとうございます。その詩を読む時に、あなたにお送りする曲をできれば流してください。雰囲気が伝わると思います。ただしレコーディングにはあなたの声だけが必要です。また詩の全体ではなくて一部だけを使うことになるかもしれません。

「内外を問わず、チベット人アーティストやミュージシャン同士のコラボはまだ非常に新しい形態です」とテチュンは言った。「そのため、私たちはいまだにどうしたらうまくコラボできるかはっきりとは分かっていません。今回の場合は、オーセルが中国語で歌詞を書き、他のだれかがそれをチベット語に翻訳してくれました。オーセルは曲を付けてほしいと私に2-3の詩を送ってきましたが、最終的に私たちは「ラム・ラ・チェ」を選びました。私はそのチベット語の詩に少し修正を加えて彼女に返送しました。そうやって私たちは2-3度いろいろな提案をやり取りしました。私たちは直接実際に会話したわけではなく、すべてはインターネットを通じて行いました」

On the road
Ah, on the road
My eyes are brimming with tears
I clutch a flower not of this world
Hurrying before it dies, searching in all directions
That I may present it to an old man in a deep red robe
He is our Yeshe Norbu
He is our Kundun
Our Gongsachog
Our Gyalwa Rinpoche
On the road
Ah, on the road
My eyes are brimming with tears
I clutch a bouquet of the most beautiful flowers
To present to him, to present to him
A wisp of a smile
These bind the generations tight. 

路上にて
ああ、路上にて
私の目には涙があふれ
この世のものとも思えない花を抱き
それが枯れてしまう前に四方を捜し歩く
真紅の袈裟を着た老人にそれを捧げるために
彼は私たちのイーシン・ノルブ(訳注:ダライ・ラマの敬称、願いをかなえる宝石の意)
彼は私たちのクンドゥン(訳注:ダライ・ラマの敬称、尊き者の意)
彼は私たちのゴンサ ・チェンポ(訳注:ダライ・ラマの敬称、偉大な至高陛下の意)
彼は私たちのギャルワ・リンポチェ(訳注:ダライ・ラマの敬称、貴い勝者の意の意)

路上にて
ああ、路上にて
私の目には涙があふれ
一番美しい花束を抱く
それを彼に捧げるために、彼に捧げるために
かすかな微笑み
これらが異なる世代を団結させる

「この歌詞はそれ自体とても詩的なので、それに曲をつけることはとても易しくて、自然に出てきました。あたかもそれが自然に起こり得るべくして起こったような感じです」とテチュンは語った。

テチュンはオーセルが直接連絡を取ってコラボした最初の在外チベット人であったが、オーセルはそれ以前にも他の在外チベット人と共作をしたことがあった。ウェブサイトの「高峰浄土」は、以前彼女のブログ記事を英語に翻訳したことがあった。また在外チベット人の学者ツェリン・シャキャは彼女の本の一冊に序文を寄せている。オーセルはまた、在外チベット人画家のロサン・ギャツォの絵画シリーズ、Signs From Tibet(訳注:チベットからの兆しの意)に触発されて、エッセイ [8]を書いたことがある。ギャツォはそれを展覧会のオープニングで朗読した。

インターネット自体へのアクセスが検閲されない限り、オーセルは今後のコラボの可能性に対して楽観的だ。

他のチベット人たちもまたインターネットでこの地理的なギャップを埋めようとしている。

テクノロジーの発達によって、中国統治下のチベット人と在外チベット人たちは連絡やコラボに新しいかたちを見いだしている。たとえば、タラ・カフェ・プロジェクト(訳注:カナダに拠点を置く、チベットの文化振興団体)が2006年に制作した映像、録音プロジェクト「シャイニング・スピリット [9]」はその初期の事例 [10]である。このプロジェクトでは、チベットのアムド地方とカナダに離れ離れに暮らすあるチベット人家族が音楽を共作した。この短編フィルムは、録音とインターネットを使って、その家族がチベットの伝統的な曲「アク・ペマ」(訳注:ペマおじさんの意、間接的にダライ・ラマを指す)の自作バージョンを録音した様子を映し出している。

今日では、内外のチベット人たちは、お互いのために曲を捧げあうことさえしている。たとえば、スイスに住む若手のチベット人ラッパー、シャパレイ(本名カルマ・ノルブ)は、2011年に「Made in Tibet」とタイトルをつけたミュージック・ビデオをリリースした。その歌詞は次のようなものだ。「兄弟たちよ。君たちにこの声が聞こえるかどうかわからない。でも君たちにこのメッセージが届くように祈っている。心配しないで、僕たちは元気でやってます[…] 僕たちは遠く離れているけれど、その思いは君たちとともにある」

チベット内に住むミュージシャンのバンサン・ロブサンは、一番最近のアルバムで、すべてのチベット人に対して呼びかけ [11]ている。 ロブサンはカメラに向かって直接次のように訴える。「内外に住む雪の国の民たちが団結することを祈ります」

世界中に散らばるチベット人たちをフォロー 

地理的な、政治的な理由で離れてはいても、在外チベット人たちは中国統治下のチベット人ミュージシャンたちの作品をフォローしている。その逆もそうだ。

たとえば、テチュンはファンたちから何度も、中国統治下のチベット人ミュージシャンたちが、在外チベット人のミュージックシーンをフォローしていて、その音楽からインスピレーションを受けていると聞いた。

これに対してテチュンは、中国統治下のチベット人ミュージシャンたちの才能を称賛して次のように言う。「チベットのミュージシャンたちは私たち外に住む者よりも、ずっと先を行っている。彼らは本当に詩的なのです。彼らは音楽というものを通じて自分たちのメッセージを伝え、チベット文化に活気を与え続けています。そしてチベットの人々は彼らを本当に尊敬しています。同時に彼らは非常な危険を冒しているので、注意深くなくてはなりません」

テチュンは、 ツェワン・ラモやヤドンなど中国統治下のチベット人ミュージシャンのファンだ。「彼らを通じて、チベットの文化やアイデンティティーのすべてが伝えられます。それは本当に大切なことです。『今している仕事をどうか続けてほしい。そして私たち外にいる者は、私た ちにできる精一杯のことをします』というのが私から彼らへのメッセージです。そしていつか政治的な問題や危険を心配しないで済む日が来ることを期待したい。その日が来たら、オーセルも含めて、チベットのミュージシャンやアーティストたちは自由に旅行することができるようになり、私たちは直接会ったり、音楽を共作したりできるようになるのです」

さて、オーセルの方は、在外チベットミュージシャンの中では、テチュン、シャパレイ、プルブ・ナムギャル、ケルサン・チュキ・テトンなどのファンだ。在外チベット人ミュージシャンたちに対する彼女のメッセージは、テチュンのメッセージと共鳴する。彼女は次のように書く。「私は在外チベット人ミュージシャンたちの音楽が大好きで、これまで彼らについての記事 [12]も書いてきました。そしていつか内外のミュージシャンたちが一緒に曲を作り合って、チベットの未来について共通の関心を表明することができる日が来てほしいと願っています」

このリンク [13]からテチュンの新アルバムを応援できます。このアルバムには、現在獄中にあるチベットの若手歌手ロロの曲のカバーも入っています。

この記事はFreemuse [14]Global Voices [15]の依頼で 、Artsfreedom.org [16]のために書かれました。Freemuseは世界中のミュージシャンの人権保護に努める組織です。この記事は非営利メディアに転載可能です。ただ記事の作者デチェン・ペンバ [17]およびFreemuse、 Global Voicesの著作権と元記事へのリンクを明記してください。
校正:Koichi Higuchi [18]