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ケープタウン ファンシー・ガラダは自分を癒すために歌う  そして周囲の人を癒すためにも

カテゴリー: サハラ以南アフリカ, 南アフリカ, 女性/ジェンダー, 市民メディア, 芸術・文化

ジェブ・シャープ [1]が、Across Women's Lives [2]プロジェクトの一環としてザ・ワールド [3]に掲載したこの記事およびラジオ・リポートは、当初 2015年1月14日にPRI.orgに掲載された [4]ものである。記事共有の合意のもとにグローバルボイスに再掲する。

ケープタウンのウォーターフロント、フェリーマンズタバーンに土曜の午後行ってみたまえ。たぶん、大勢の聴衆の前で、地元のバンドが演奏しているのに出会うだろう。歌っている歌の種類は、オリジナルものや、昔流行った歌のカバーだったりと様々だ。ただ歌っているだけではない。明るくエネルギッシュに、聴衆を引きずり込むような歌い方だ。だから多分、立ち止まらずにいられないだろう。

さまざまな人種で構成されたそのバンドは、マサラ [5]と呼ばれている。ボーカルはファンシー・ガラダという女性が担当している。
歌うことで癒されると、彼女は言う。「重い気持ちでステージに立つことが時にはあるわ。でも、演奏が始まると歌い始めるの。聴衆の誰かと触れ合うことで、癒されるわ。」

聴衆は、その癒しの力に気づいているようである。また、多くの傷を癒すという点で共鳴しあっている。ファンシーは、アパルトヘイト廃止運動が高まっている時期に、ケープタウンのはずれのランガと呼ばれる黒人居住区で育った。わずか12歳の時に、突然兵士が彼女の家に押し入り、彼女の胸に銃を突きつけたのを覚えている。兵士たちは武器を探していた。

「兵士たちは、私の家族を恐怖で震え上がらせたのよ。あの時の記憶は今でも私の心に焼き付いているわ。」と、彼女は言う。

ファンシーの母は、白人の家で家政婦およびベビーシッターとして働いていた。その間、自分の子供たちは家に置いておかざるを得なかった。父親は、頼りにならなかった。だから、ファンシーは、家族内の年長者として、家事のほとんどを取り仕切らなければならなかった。

「最初に自分の食事作りを始めたのは、10歳の時だったわ。コンロの前に立って、調理ができるように、お母さんが小さな踏み台の作り方を教えてくれたからよ。」と、彼女は言う。

彼女は今、11歳と19歳の娘を持つ働く母親である。音楽で生計を立てているが、収支を合わせるのは容易ではないと、彼女は言う。

「母親であることが、第一なの。二人の娘のことが、最優先なの。二人のおかげで今の私があるんだわ。二人のおかげで、地に足の着いた生活ができるようになったし、感性豊かな人間になれたわ。そして、一生懸命働くようにもなれたわ。二人は、私のお母さんが私をどのようにして育ててくれたか思い出させてくれるの。」

ファンシーに南アフリカにおける現在の女性の権利と地位について尋ねてみると、意外な返事が返ってくる。

「女性として耳を傾けてもらいたいことがあるの。私たちは今でもそのことで議論を戦わせているの。ちょうど昨日、男の人が女性をたたいているのを見たわ。」と、彼女は言う。

それにしても、彼女の次の言葉には驚かされる。

「その男の人をすごくかわいそうだと思ったの。価値観の相違により、やってはいけないことをやることが、よくあるわ。その男の人をかわいそうだと思ったし、その女の人もかわいそうだと思ったわ。私たちは、女性の価値が極めて低いところで育ったの。女性は人として扱ってもらえなかったの。女性に価値があるとは考えていなかったわ。南アフリカの社会は変化しつつあるけれど、まだ戦い続けなければならないわ。」

ファンシー・ガラダの歌は、そのような思いを込めて歌われているのだ。

ケープタウンから伝えられるジェブの記事は、南アフリカのジャーナリスト、キム・クローテと共同で製作された。

校正:Tamami Inoue [6]