本記事およびラジオリポートのオリジナルは、2015年1月14日、The World の記者 Joyce Hackel により PRI.org上で公開されたものである。コンテンツ共有の合意に基づき再掲載する。
世界の視線がフランスでのテロ事件に注がれた先週(訳注:原文公開日は2015年1月19日)、ナイジェリア北東部の町バガでは、宗教過激派による大虐殺が起こった。しかし、それはほとんど世界に知られることはなかった。
報道におけるこの不平等な取扱いは目に余ると、とりわけナイジェリア人はそう感じている。
エスター・イバンガはジョス市の牧師で、Women Without Wallsという団体の設立者である。彼女は、ボコ・ハラムによる襲撃事件が世界からもっと注目されることを願っていたのだが、と語る。ボコ・ハラムが何百、いや何千というナイジェリア人の命を奪った事件である。
「憤りを感じていました。でもそれは、我がナイジェリア政府に対する憤りです」と、ジョス・クリスチャン・ミッションズのイバンガ牧師は語る。「だって、人民を重んじるべきは、まず自国の政府と統治者でしょう。統治者が尊重しなければ、人民は誰にその価値を見い出してもらえましょうか」
ジョス市はナイジェリア中部、プラトー州の州都で、同国北東部ボルノ州にあるボコ・ハラムの本拠地からは、数百キロ南に離れている。中部では、ボコ・ハラムが台頭する前から宗教間の対立があり、昨今の緊張関係は1990年半ばに生じたものだ
「残念なことですが、私たちは長年の間、キリスト教徒とイスラム教徒の折り合いの悪さに、ある意味慣れてしまっていたのです」と、イバンガは語る。
こうした対立がすでに日常茶飯事となってはいたが、イバンガをはじめ地域の女性たちは、声を上げる活動家へと、あるとき変化をとげたのである。そのきっかけとなったのは、2010年にドゴナハワ村で起きた、残酷な虐殺事件だった。
「戦いは寝室にまで持ち込まれました。」と、イバンガは語る。「襲撃された村では、実際に夜寝ている部屋にまで押し入られ、殺戮が始まったのです」
この事件を受け、イバンガはキリスト教徒を中心とした10万人の女性を率いて、ジョスの街をデモ行進した。「ジョス高原の女性たちはもはや黙っていないと、政府にわからせること」が目的だった、とイバンガは振り返る。
しかしその数週間後、イバンガたちは、イスラム過激派によるこのドゴナハワ村での暴挙が、実は報復行為だったと知る。以前にキリスト教武装集団がこの地域で起こした襲撃に対する報復行為である。
「今度はイスラム教徒の女性たちから反発があったのです、『ちょっと待って、私たちイスラム教徒も同じように殺されたのよ』と」。イバンガは当時を振り返る。こうして、ジョスのイスラム教の女性らは、イバンガらとは別に、独自の集会を開いた。
しかし、キリスト教徒とイスラム教徒双方がデモを行った後も、武力衝突は続いた。この時、イバンガはイスラム教の地域指導者カディジャ・ハワジャに接触している。
「そこで気づきました、問題は宗教ではなく政治にあるのだと。でも、宗教はとても強力な口実として利用されていたのです」と、イバンガは語る。「私はハワジャさんに連絡を取り、こう言いました。『ねえ聞いて、私たちが、互いの問題の種ではないということは、あなたもご存じでしょう。あなたがイスラム教徒で、私がキリスト教徒であることは問題じゃない。この国の政治家たちが、私たちを衝突させようとしているのよ。権力維持が彼らのすべてなの』と」
ジョスの街は政治的に分裂していたため、イバンガとハワジャは”中立な場で”と、とあるレストランで面会した。
「ハワジャも殺されるおそれがあった。そして私も、イスラムのコミュニティに赴いていたら、そうなっていたかも」と、イバンガは語る。
数か月にわたって連携して活動した後、イバンガとハワジャは、Women Without Walls Initiative(訳注:「壁のない女性たちの取り組み」)という団体を創設した。
「社会階級の壁であれ、民族の壁であれ、宗教の壁であれ、私たちを分断する壁はなくしていきたいのです」と、イバンガは語る。「この闘いに政治家たちとの真の連携は不可能です。私たち女性は母なる存在です。生命の与え手であり、問題解決を担う存在です。問題を抱えてくよくよ悩むのではなく、私たち自身が話し合いのテーブルに解決策をもたらさねばならないのだと思います」と。