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68年前の児童書が火をつけたコスタリカの人種問題大論争

Orquesta Nacional de Costa Rica

オーケストラ用に脚色されたココリの宣伝の垂れ幕 。 この新しい脚色版ココリがコスタリカの新たな人種問題論争の波の引き金となった。コスタリカ国立交響楽団のフェイスブック・プロフィール写真より

1940年代の後半に書かれた短い児童書が、一体どのようにして小国コスタリカを二分する現在の論争の嵐を引き起こしたのだろうか?

この物語、ココリと呼ばれる一冊の本はコスタリカの中では(ほぼ孤立した)カリブ海沿いの地域に住む一人の黒人の子どもの冒険物語である。本が出た当時、その本はいくつもの国際的な賞を受賞し、おそらく今までにコスタリカの本の中で最も翻訳された本と言えるだろう。長い間、それは小学校の子どもたちの必修図書であった。しかし、数年前さまざまな社会派グループの圧力により、必修ではなくなった。現在では、単に選択図書として使われている。(訳注:「ココリ」はコスタリカの作家ホアキン・ゲティエレスにより1947年に書かれた。)

本の中で、ココリは港にお母さんと住んでいる黒人の男の子である。ある日、海岸に船が到着して、ココリは金髪の女の子に会う。初めて二人が出会ったとき、お互いに驚く。ココリは女の子の金髪にびっくりし、女の子はサルを連れたココリに戸惑うのだ。困惑した女の子はココリの肌がすすに覆われているのだと思う。というのも、女の子はこれまで黒人の男の子に会ったことがなかったからだ。巻貝を少しと1本のバラを交換したあと、ココリは女の子に小さなリスざるを連れてくることを約束する。ココリはやっとの思いでそのサルを捕まえて戻ってくるのだが、船は行ってしまっていた。もらったバラが萎びて、土の上に花びらが全部落ちてしまっているのを見て、ココリは悲しみでいっぱいになる。それから、ココリは「長生きするものもあるのに、なぜ命の短いものがあるのだろう?」 という問いの答えを求めて、旅に出ようと決心する。

目下の論争のきっかけとなったのは、 国立劇場で若い学生のために文化青年省の国立交響楽団によるミュージカルが上演されたことだ。

多くのインターネットユーザーは、架空の物語を規制することに反対し、表現の自由という点から物語を制限すべきではないと訴えている。

ココリを禁止しないで。私たちにはそのミュージカルを見る権利があるわ。

ココリの検閲について「政治的に正しい芸術はありえない」カルロス・ルビオ、作家、児童文学の専門家

本と著作権の時代に、私たちはココリの検閲(差し止め)を受けている

ミュージカルの脚色やその本の議論を越えて、人種差別についてのさらに大きな議論がコスタリカで噴き出した。ディエゴ・デルフィノのブログのように、人種問題をともなったその国独自の経歴に焦点を当てているものもある。

?Es o no racista Costa Rica? Definitivamente. Como entender sino que a los costarricenses les incomode tantisimo el solo sugerir que un libro pueda leerse diferente desde otros ojos y que tal vez seria oportuno escuchar a quienes lo aprecian de esa manera. Prefieren enfadarse, radicalizar la discusion y desacreditar por completo a quienes ya de por si han sido historicamente marginados antes que entender que en toda aquella pluralidad de voces y opiniones abundan puntos de vista igualmente valiosos e interesantes, que en nada nos perjudicaria cuando menos, tomar en cuenta.

コスタリカは人種差別の国か否か? 明確にそうである。本は違った目を通して違ったように読まれることがあるという単なる提言を、コスタリカ人がそんなにも不快に思うことがどうしても理解できない。また、そんな風に考える人に耳を傾けることが、適切と言えるのだろうか。コスタリカ人は怒りっぽく、議論を過激にしたがり、複数の声や考えのすべてを理解する以前に、歴史的に排除された人をまったく信用しない。平等に価値があり興味深い視点はたくさんあり、少なくともそれらを考慮に入れて誰かを傷つけるわけではないのに。

フェイスブックでは、ハロルド・ロビンソン・デイビスが、人気のあるコスタリカ文化を制限すべきだというココリ反対派を非難する人に答えている。

Hay algunos que quisieran desviar el foco de la discusion, esgrimiendo argumentos espureos de defensa de la “libre expresion” o combate a la “censura”. Esta falacia cae por su propio peso […] Quien quiera educarse o educar a sus hijos con los “valores” que este libro transmite, esta libre de hacerlo en su propia casa. (Le advierto sin embargo que es una receta para el desastre: en este mundo globalizado, la diversidad y la tolerancia son cada dia mas valores imprescindibles para el exito….o para la simple convivencia.

議論の焦点をそらしたがる人がいる。つまり「言論の自由」を守るとか、「検閲」と戦うといった本質から外れた論点を引き合いに出して。そんな議論は、それ自体の重みで崩れていくものだ。[…]この本が伝えたい「価値」によって、自分の子どもたちを教育したい人は誰でも、自由に自分の家の中でそうすることができるはずだ。(だが私は警告する。これは悪い結果を招くものだと。それぞれの歴史を踏まえたこのグローバルな世界においては、相違と寛容こそがお互いうまくいくための、あるいは単に共に生きるための本質的な価値であるのだ)

ウインストン・ワシントンも同じくフェイスブックで、個人的な経験を伝えた。

A mis treinta y un anos entiendo y perdono con algo de pena, a quienes me hicieron la vida de cuadritos con el bendito Cocori. No somos Cocori, ningun negro en Costa Rica es Cocori, no nos gusta Cocori, nos cae mal, bastante mal, [no] nos representa. Desde la caricatura es insoportable, con sus ojos ignorantes y su bemba colorada, al mejor estilo del vodevil de finales del SXIX y principios del SXX, con los “blancos” con la cara pintada de negro, haciendo parodia de las costumbres del afrodescendiente”.

31歳の時、私は、ココリを称えることによって私の生活をひどいものにした人たちを、理解し、幾分残念ながらも許すことにした。我々はココリではないし、コスタリカの黒人は誰一人ココリではない、我々はココリが嫌いだし、ココリは我々に悪い印象を与える。とても悪い印象だ。ココリは我々を表してはいない。あの絵は耐えられない。彼の無知な目や赤いくちびるは、19世紀おわりか20世紀初めの寄席演芸に出てくるみたいな、顔を黒く塗った「白人たち」がアフリカ系の人々の風習をものまねしたようなものだ。

代表者に向けた論戦と攻撃

立法府人権委員会は、文化省大臣エリザベス・フォンセカに、これらのコンサートを、承認しないようにと申し入れた。その作品が人種差別的意味を含み、アフリカ系の人々に対する人種差別の固定観念を広げるという理由からである。文化省大臣はその発議を歓迎した。その過程を通して、その論争はさらに激しくなっていった。とりわけ、攻撃の的となったのが2人の代表である。立法府人権委員会代表のエプシー・キャンベルと国民解放党議員のモウリーン・クラーク、共にアフリカ系である。

その本を擁護する立場で、様々なグループフェイスブック上に現れ、本の主人公が人種差別的に描かれていると言う彼女たちを批判している。その批判の中にはさらに度を越すものも現れ、ついにキャンベルはソーシャルメディアのアカウントを閉鎖せざるを得なくなった。さらに確実に身の危険となる脅迫を受けるに至っては、彼女の支持者は国の保護を求めて、署名運動までも始めた。

Ataque

「ココリ」に公共の資金を使わないよう訴えた議員を批判するミームがオンライン上に広がった。

一体この議論が終わるのか、今のところわからないままである。議論は続き、本や物語を越えて広がり、それをコスタリカの伝統やアイデンティティーの一部とみる人たちと、アフリカ系の人々の人間性を失わせる特別な伝統だと感じる人との対立を深めている。

アフリカ系コスタリカ人や彼らに共感する人の多くは、現在の論争が、結果としてあらゆる形における差別を罰する新たな法律制定に結実し、海外へ示していけるような、互いの違いを尊重し、賞賛するような社会へと、この国を導いていくことを望んでいる。