原文掲載日は2015年8月19日です。リンクの飛び先には日本語以外の言語も含まれます。
6月26日にアメリカの最高裁判所が、アメリカ全州とその領土での同性婚を合法とする判決を下した後、プエルトリコ政府もその決定に応じるために動き出すと発表 した。
結果は8月16日の日曜日に知らされ、 オールドサンフアンで行われた集団結婚式では、60組以上の同性カップルが恵みの雨の大歓迎の下で正式に誓いを立てた。 このイベントは活動家のイヴォンヌ・アルバレスとアダ・コンデによるもので、2人も日曜日に行われた集団結婚式で式を挙げている。
その雨がそこに集まった人たちの熱意を削ぐようなことは決してなかった。何か月も続いた干ばつの後だったので、結婚式への恵みだと考える人もいた。
Que mejor regalo puede darle Dios a los gay's el día de su boda, que la oportunidad de bailar bajo la lluvia en tiempo de sequía.
— Abducted Creed (@Abducid0) agosto 16, 2015
結婚式の日に、神様は同性愛者たちに最高の贈り物をくださった、干ばつの時に雨の中でダンスできるなんて。
近くで結婚式に抗議をする人たちもいたが、式は無事に行われた。抗議していた人たちの大半が、同性婚に反対している宗教団体の者たちだった。しかし、集団結婚式の参加者の中にはキリスト教各宗派や他宗教の信者もおり、式に賛同して参列しただけでなく、司祭役を務めて他のカップルの結婚まで祝福していたことも事実だ。もちろん、あの有名な空飛ぶスパゲッティ・モンスター教「信者」パスタファリアンも出席していた。
その日に結婚したカップルにとって、深く心を揺さぶる経験だった。 すでに長い間一緒に暮らしているカップルもいる上、少数だが、子供を育てているカップルまでいた。プエルトリコが保守的な社会であることを思えば、目覚ましい成果である。
最高裁判所が判決を発表したときに多くの同性婚支持者たちが抱いていた想いは、まだたくさん残されている。大きな喜び、そして同時に少しだけ疑う気持ちも生まれた。それらが次のツイートに表れている。
Es increíble vivir para contarlo: todo Estados Unidos y Puerto Rico reconocen el derecho al matrimonio entre personas del mismo sexo.
— José Manuel Simons. (@JoseSimons)
生きているうちにこんなことが言えるなんて。アメリカ全州とプエルトリコが同性婚を認めた。
プロイェクト・マトリアの常任理事を務めるマリア・パガン (@AmarilisPagan) は、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ジェンダークィア(LGBTQ)たちの権利を積極的な発言で擁護している。彼女はこの機会に、完全な平等を求めて闘い続けるよう人々に強く求めた。
#MatrimonioIgualitario- ¡Hecho! Ahora sigamos con la agenda LGBTT: Adopción, Vidas sin Violencia, Acceso a Servicios de Salud y más.
— Amárilis Pagán
(@AmarilisPagan) June 26, 2015
やったわ! さあ、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、性転換者、トランスジェンダー(LGBTT)の問題に取り掛かりましょう。養子縁組、暴力のない生活、医療サービスの利用権、ほかにもたくさんあるわ。
人権運動家のペドロ・フリオ・セラーノは、プエルトリコで同性婚が可能となった事実は祝福したものの、いまだに法律上の権利を認められていない 性的少数者たちがいることも人々に気付かせた。
…queda lograr, entre muchas otras luchas, que las personas transgéneros y transexuales puedan ir a este mismo Registro Demográfico, que hoy hace historia, para que puedan atemperar sus certificados de nacimiento con el género que les pertenece. Es lo justo, es lo correcto y es tan inevitable como el día que hoy vivimos.
今後私たちは、トランスジェンダーや性転換者が出生した身分登録所に行き、出生証明書に書かれた性別を自ら選んだ性別に変更できるよう、もっと努めていかなくてはならない。それができれば、現代における歴史的偉業となるだろう。それが公正で正当なことであり、この時代では当然のことなのだ。