ネヴェナ・ボリソヴァ(NB):ご自身のアイデンティティについては、どうお思いでしょうか?
ナタリア・アントノワ(NA):私はウクライナで生まれました。育ちはほとんどアメリカですが、母国語はロシア語ですしロシア系の家系です。私は、自分が、こうして文化が交錯しあうようなアイデンティティを持っていて本当に幸運だと思います。分かりやすくて、自分に都合のいい範疇(ちゅう)でしか、他者を理解しようとしない人っていますよね。そういう人たちにとって、私が持っているような複雑なアイデンティティは、厄介なのでしょう。でもそういうのって、どうでもいいじゃないですか。私は、たくさんの「故郷」を持ちたいと思っています。対立する意見や思想にさらされることが好きなんです。そのせいで、時々居心地の悪い思いをする羽目になっても構いません。
NB: ジャーナリストであり脚本家でもあるご自身の経験からして、「ロシア的精神」とはどのようなものだと思われますか?
NA: 私は「ロシア的精神」という思想自体、あまり支持していません。時代遅れな上に、あまりにも感傷的だと思います。今日のロシアが、非常に多様な文化から構成されていることを考えるとなおさらでしょう。一方で、たしかにロシアでの生活にはどこか、予期できないような偶然性が漂っていることは感じます。大多数の国民は、そうした「明日なんてどうなるか分からない」という思いを抱きながら、日々を営んでいるのでしょう。柔軟かつ活発な政治体制の欠如も、そうした曖昧さ、不安定さの一因です。ロシア出身でない人の多くは、ロシア社会のそういった社会背景を理解できていないのではないかと思います。個人であれ政府であれ、ロシアという国との交流が長続きしない傾向にあるのは、そのためです。
NB:ジャーナリストとしてのご経験は、ご自身の脚本にどう影響していますか?
NA:私は、人々の実話を軸とする脚本を書いています。ジャーナリストとして仕事をする中で出会った話を基にすることが多いですが、多少の創作は必ず入れています。人間の脳って時々、日々の出来事をすごく変な風に捉えることがありますよね。それから、これは私が科学ジャーナリズムに夢中だからでもあるのですが、宇宙というテーマもとても興味深い。宇宙と聞くと、何か精密で素晴らしい、計り知れないような素晴らしい目的がある気がするんです。私自身は、脚本の登場人物を通して、こうした人智を超えたような、少し奇妙な題材と自分なりに向き合っているつもりです。
NB:ロシア系アメリカ人のアンドレイ・コンチャロフスキー監督は以前、「ロシアは、ロケット製造などのマンモス計画は得意だ。だが日常的なものの生産となると、からきしだめだ」と述べています。その意見には同意なさいますか?
NA:ええ、アンドレイの指摘は正しいと思います。ロシア政府は、代々「偉大さ」という妄想じみた思想に取りつかれてきました。ロシア国民の生活を西欧と同じく裕福にするという、漠然とした「偉大さ」です。一般の国民も、そうした政府の幻想を信じるようになりました。
こうした思想が普及した原因の一つには、歴史的背景もあります。単純なことですが、ロシアの発展は西欧諸国ほど上手くいかなかったということです。モンゴルによる襲来から、ロシアの厳しい気候に至るまで、あらゆる要素が実りのある発展を阻みました。一方で、世界のどこかよその国では、暮らし向きがどんどん良くなっている。そうした事実に直面するとき、人は代わりとなる何かしらの拠り所を欲するものです。非常に多くのロシア人が、子供の通っている学校の雨漏りよりも、国の核戦力のほうが大事だと考えるのはそのためです。こうした考えは、一見すると筋が通らないように見えるかもしれません。ですが、厳しい状況の中で自らの精神的なバランスを保つために、こうした考え方になってしまうというのは頷けることです。
最近では、「満たされた生活」というものがロシアで可能なのか自体、疑問視されています。モスクワでは、2011年から翌年にかけて大規模なロシア反政府活動が起こりました。その参加者の多くは、あくまで名目上ではありますが、中流階級以上の人々だったのです。ロシア人官僚には、こうした人々の生活があまりにも「満たされ過ぎた」のだと考える者もいます。生活に余裕が出たせいで、民主主義や「説明責任」、つまり、行政が果たすべき国民への説明や対話、などという馬鹿げた考えを持ち始めたと。とんでもないことです!
NB:今日、モスクワで生活するとはどのようなものでしょうか?首都外部での生活は?
NA:平均的なロシア人は、モスクワの街中でも、それ以外でも、みんな毎日の生活で精一杯です。もちろん、これまでもロシア人の生活は楽ではありませんでした。ですが、ルーブルががくんと下がった後ですから、今のほうがずっと厳しいというのは確かでしょう。とはいえ、それが現代ロシアの「新世界」というわけです。この新世界では、テレビが国民の慰めと自信の拠り所です。最近読んで驚いたのは、テレビの報道を、全面的に信用すると答えた国民の割合です。2012年の47%から59%(インタビュー時は2015年)に上昇してはいましたが、正直に言うともっと高い数字になっているだろうと思っていました。
NB:ご自身はモスクワでの暮らしをどう感じていらっしゃいますか?
NA:最近は、いつもモスクワ暮らしという訳ではないのですが、戻ると必ず演劇仲間を訪ねておしゃべりをします。それから、繁華街にある小さな安っぽいカフェに行って、脚本を書いたり、人を眺めるのも好きです。しばらく前から気になっているのは、ロシアの伝統料理が、EUの経済制裁とロシア自体の逆制裁で、いかに変化せざるを得なかったかです。とても興味ぶかいですよ。厳しい経済的状況下で生き残るために、ロシアの商業活動は創造的になるほかなかったのです。ともあれ、一つだけ述べておきたいのは、モスクワにも、人のためになるような良い仕事をしている人がたくさんいるということです。最近のひどい政治状況にも関わらず、ですよ。ホスピスで働く医師や障害者権利活動家、環境保護活動家などはその一例にすぎません。モスクワにいる時は、そうした分野における最前線も気を付けて追うようにしています。
NB:では、ロシアにおける報道の自由についてはどうでしょう?現在の状況をどうお考えですか?
NA:健全で活発、自由なメディア市場があれば、ロシアの状況も多少は良くなるかと思います。一方、そうした市場で求められることになるのは、行政の更なる説明責任です。ところが、ロシアの官僚はあまりに疑り深く、説明責任というものがもたらす利点を理解できないのです。彼らは、柔軟性の乏しい厳格な体制を好んでいますが、それは逆に脆くて崩れやすくもある、ということを忘れているのです。
ロシア官僚の考え方を、完璧に表している諺があります。「お前は今日死ぬ。俺は明日死ぬ」すごく殺伐として絶望的な表現で、暴力が前提になっていますよね。こうした精神は結局、21世紀になっても依然人々を苦しませ続けている数々のトラウマと、ロシアがきちんと対峙できていない、ということの直接の帰結なのだと思います。大粛清や、世界第二次大戦での何百万もの人の死(その原因の一端が政府の無能力だったというのは、あのスターリンでさえ認めています。実際彼は、戦争が終わり次第逮捕されると思っていたそうです)だけでなく、ラーゲリ(強制収容所)における悲劇やアフガニスタンでの苦境は、一例に過ぎません。傷ついてトラウマを抱えた社会は、自身の本当の姿を認めたくないのです。ロシアの政治家と一般市民が、ともに自由で健全なメディア市場を避け続けようとするのは、そのためでしょう。
NB:シリアでの混乱が、ウクライナに与えた影響は?
NA:ロシアがシリアへと関心を移したのは、先に述べたような栄光や偉大さを求めてのことです。ロシアは大きな子供たちに交じって、国際政治というテーブルに座らせてもらいたいだけの駄々っ子なのです。シリア問題で賭けに出たのは、そのためです。シリアに関して今後の状況がどうなっていくかは全く分かりません。とはいえ、ウクライナに対するロシアの関心は低下しており、それがウクライナにとって、望ましい事態であることは確かです。
NB:では、そうした最近の傾向はロシア・ウクライナ間の関係にどう影響するでしょうか?
NA:当然ながら、政治面における2国間のつながりは完全に崩壊しています。ですが、商業的な取引は依然存在しているのです。大半の人々にとっては、お金のほうが政治よりずっと大事ですからね。そう考えると、お金こそが2国間の関係をいずれ正常化するものかもしません。まあそのためには、今から何十年という時だけでなく、ロシアの変化も必要でしょうがね。
NB:ウクライナについては何が言えるでしょうか?
NA:私自身は東ウクライナに関して、あれこれ推測することは止めました。私がこの問題に関してなにか口にする度に、決まって事態が悪くなるものですから。本当に何かあるのではないかと疑ってしまうくらいです。とはいえ、ウクライナ自体も、民主主義的な制度をしっかり構築するなど、多くの努力が必要でしょう。改革を進めると同時に、その後の体制として確立させることもそうです。こうした変化は、長い時間がかかるだけでなく、報われないことも多いかもしれません。ですがこうなってしまっては、国運を賭けて必死で挑むしかないのです。