歴史を教えるとは? — 私が見た日本の教科書問題 —

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junior high school graduation in japan

小学校の卒業式。写真撮影:ネヴィン・トンプソン

過去20年のほとんどを日本で過ごした私にとって、2015年はこの国の転換点であるかのように思われた。第二次世界大戦終結から数えて70年目、そして日本中で大規模な抗議活動が行われたにもかかわらず、2015年9月、安倍首相と自民党が率いる連立政権は、日本の海外での軍事活動を可能とする新しい安全保障関連法案(安保法案)の施行を強行するため、議論を打ち切った。この新しい法案で、日本は70年間続いた平和主義を事実上放棄したのであり、今再び戦争を始めることが可能となった。

日本に長期滞在している「外国」人で、日本とのつながりが強く、また日本についての知識も豊富な、私の友人の多くにとって、「日本を再び偉大にする」ための安倍政権の執拗(しつよう)な試みは、まるで悪夢のようだった。私たちみなが恋に落ちたこの国が消え去ってしまうかもしれないように見え、果たして我々の子供たちの未来は日本にあるのかと考えさせられずにはいられない。

新しい安保法案の強行採決は、ここ3年間、一貫して日本の右傾化を徐々に進めようとする安部首相の試みが、極めて顕著に表れた例だった。安部氏は、直接声高にメディアを批判した、おそらく最初の首相だ。また同氏は、名目上は不偏不党の放送事業者NHKを、韓国やロシア、中国や台湾との領土問題における現日本政府の立場を宣伝する御用報道機関に変えようとしているとして非難されてきた。

Abe campaign poster

この画像はソーシャルメディアで広くシェアされた。

1991年のバブル崩壊からの20年間。日本の主な関心は経済の活性化にあり、国家主義や憲法改正には注意が払われなかった。

私と私の家族にとって、この20年間にわたる「失われた10年」は、日本にいるのに悪い時期ではなかった。デフレのおかげで、食料品の値段は安く、また服も格安で買えた。家族を養うのは、カナダより日本の方がずっと安上がりだったのだ。政府の景気刺激策により、日本各地で新しいインフラを整備するために予算が投入され、その結果、公共交通機関の質も向上し、美術館や博物館の数も増えた。私たちが住む地方においては、真新しいデパートがいくつも建てられた。

より良い仕事を求めて、また子供たちにより良い教育とチャンスを与えられるのではと考えて、2004年に私は家族を連れてカナダに戻った。だがその後、1、2年もしないうちに、毎年1年のうち数ヶ月間は日本に戻る生活になった。自分はライターなので、どこででも働ける。また、息子たちは異なる文化に触れることができるし、日本とカナダ両方の学校に通わせるのもそう難しくはないことに、気が付いたのだ。私たちは、拠点を日本に戻して腰を落ち着けるべきか迷った。

しかし、2011年3月東北で起こった「三重災害」(訳注:地震、津波、原発事故)がすべてを変えた。巨大地震が津波を誘発し、今度はそれが福島で深刻な原発事故を引き起こした。福島の災害が生んだパニックと大混乱は、日本政治にも劇的変化をもたらした。災害時に政権を握っていたのは民主党だが、1000キロを超える海岸線を破壊した津波による原発危機と膨大な被害、この二つに対する民主党の対応に、多くの日本人は失望し憤慨した。

2012年、「日本を、取り戻す。」と約束して、安倍氏と自民党は圧倒的勝利でもって政権の座に返り咲いた。だが誰もが、安倍政権は1年ともたないと思っていた。派閥主義のせいで、首相は大概お飾りで、1年以上その座にいることは珍しい。しかし2015年の夏には、安倍首相は、過去約10年で在任期間がもっとも長い首相の一人になった。そして同氏は着実に自身の政治課題を推し進めていた。

安倍氏は長年にわたり、過激派であるにもかかわらず強い影響力を持つ国家主義的な支持母体との結びつきを取り沙汰されてきた。この中には、名の知られた自民党国会議員の多くをメンバーに抱える「日本会議」といった団体も含まれる。安倍氏の新しいスローガン「一億総活躍社会」は、ファシストの戦中のスローガン「一億一心」と酷似している。そして、少々残念なことだが、第二次大戦に対するある種のノスタルジアが、日本文化の中で醸成されたように見える。多くの目に好戦的と映る中国の行動への反動なのだと思うが、第二次大戦中の英雄的行為や自己犠牲をノスタルジックに振り返る本や映画が、ここ最近日本でより多く見られるようになった。

また安倍政権が、いくつかの方法でもって、より国家主義的な学校カリキュラムを日本で導入しようとしていることは明らかだ。文部科学省からの通達に基づいて、日本の教科書を発行している出版各社は、「慰安婦」という言葉を教科書から削除することを提言した。道徳教育を教科へ格上げするという2015年初めの計画に加え、文部科学省は、学校で教えられる日本史は、歴史と領土問題において政府の立場を反映すべきだと法律で定めた。

”Let's make sure our children have a textbook that tells them the truth about history." Image from Wikimedia user Japanexperterna.

ウィキメディアのユーザー、Japanexperternaの画像を転載

日本政府が教科書を使って、歴史修正主義を推進しようとしたのはこれが初めてではない。そして私は、その試みに果たしてどの程度の効果が期待できるのだろうかと考える。例えば、重要なポイントに、日本中の学校が同じ1冊の教科書を使わなければいけないわけではないことがある。それぞれの教育委員会は、文部科学大臣の検定済み教科書リストの中から、どの教科書を使うか選ぶことができる。そしてこれまでは、露骨に歴史を歪曲(わいきょく)していると思われる教科書については、選ばれないことが多かった。私の子供たちが毎年数ヶ月ほど通っている学校では、私自身が日本の学校制度の中で教鞭(きょうべん)をとった15年前とほとんど変わっていないように見える。教室を見ても、戦前や戦中には飾られていた愛国的スローガンや天皇の写真などは置かれていない。

また、日本で歴史がどのように教えられているかと考えると、矛盾する歴史観を授業中に詳しく掘り下げるような機会はほとんどないだろうというのもまた事実だ。日本の教科書は生徒たちを試験に合格させるために作られているのであり、政府のプロパガンダを発信するために作られているわけではない。日本の教育システムには丸暗記が多い。試験があるからそれに向けて勉強するのであり、そこには正しい答えと間違った答えがある。

日本の教育方針が遅れていると言いたいわけではない。小学校では、プロジェクト・ベース学習や、生徒主導の学習、そしてリーダーシップに重点が置かれている。実用的な観点から言えば、高校卒業までに2000前後の漢字を覚えるためには、がむしゃらな暗記学習法の方が効率がいいのだ。

学校で使われる、情報がぎっしり詰まった文章は、往々にして過去2000年にわたる日本史について従来通りの国家主義的歴史観を伝える傾向がある。そしてその歴史観は、大抵ポップカルチャーの中でさらに強化される。それが顕著に表れているのが、全国の図書館や書店に置かれている、ついつい引き込まれる歴史漫画だ。

この21世紀に、歴史教科書の中の言葉を数カ所変えることで、政府が何らかの形で子供たちの思考を操作できるかどうか、これには依然疑念が残る。一つには、歴史とは、人間である教師が、教室に自身の価値観を持ち込みながら教えるものだ。そして最良の教師というのは、生徒たちに、歴史を自分たち自身で詳しく調査し検討できる能力を授けるものだ。

だから、私は安倍氏の教科書改革が日本の生徒たちに歪曲した歴史観を教えることになるとはあまり心配していない。結局のところ、日本の教科書の目的は、生徒たちが高校や大学の入試に受かるのを助けることであり、これは歴史修正主義者が直接コントロールできるところのものではない。その上、えてして歴史というのは教えるのが困難なものだし、また生徒たちは過去に何が起きたのか少し理解し始めただけの段階なのだ。

そして私は、自分の息子が通っているカナダの学校で、歴史がどう教えられているかについて、若干の懸念を抱いてすらいる。カナダはしばしば平和で寛大で先進的な国だと見なされている。だがその一方で、学校では決して教えられないが、アパルトヘイトに等しいような制度が実際には存在する。カナダの先住民と、カナダ独立後の「入植者」。この両者の間にはほとんど交流がないのだ。例えば、カナダの寄宿学校制度の不正は、学校で正式に教えられ始めたばかりだ。(訳注:「カナダの寄宿学校制度」とは、同化政策のため、先住民の子供が強制的に親元から引き離され寄宿学校に入れられた制度のこと)

歴史とは、究極的には人々についてだ。その一人一人のストーリーは、政府検定に通った教科書ですべて語り尽くすことなど決してできはしない。

代わりに、子供たちが好奇心を忘れず、質問をし、自分自身で歴史を詳しく調べ上げるのを手助けすることが大切だ。言論の自由にほとんど制限のないカナダや日本のような、自由で民主的で回復力のある社会では、問題は国家による洗脳ではない。私たちが直面している課題は、無関心だ。「慰安婦問題」を決着させる最近の日韓合意について執筆した後、一般の日本人の間でほとんど何の関心も興味も見られなかったことに私は驚いた。

さて、私の家族がどこに落ち着くことになろうと、私の親としての目標は、子供たちが、少なくとも過去を検証しようとし、不正を認識し、率直に話すのを手助けすることだ。きっとこれがより良い未来につながると信じて。

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