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英語を捨ててスペイン語へ。コスタリカ移民のわが家族と言葉(下)

カテゴリー: コスタリカ, 女性/ジェンダー, 市民メディア, 教育, 民族/人種, 移住と移民, 芸術・文化, 言語
コスタリカの森の中にある学校の前で 撮影: ディエゴ・ダビッド・ガルシア 
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づき掲載

コスタリカの森の中にある学校の前で
撮影: ディエゴ・ダビッド・ガルシア  クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づき掲載

前半 [1]ではスペイン語圏のコスタリカに住むカリブ・アフリカ系移民の子孫であるシャーリー・キャンベルの両親は、子供たちに英語を使わずに育てる道を選んだ事までが語られた。それは周りに少しでもなじめるようにといういう親心からだったのだろう。

後半では自分の話す言葉は人格の一部であり、反目し合う事があっても掛け替えのないものであることが語られている。アフロフェミナスに掲載された記事 [2]を先方了解のもと前半、後半に分けて転載する。

私たちは言葉を介して世の中とつながっている。歌や昔話、神話や信仰から何かを学ぶのも言葉を使ってだ。私たちが先人たちの歴史を探り、その精神性の深淵に迫るのも言葉を使ってだ。そして私たちが同じように感じ、同じような習慣を身につけているのも、毎日使っている言葉が先人の文化を伝えてくれるからだ。言葉は他の人の頭の中を覗くためだけにあるのではない。自分の頭の中をしっかりと覗いて、自分が何者でどこから来たのかを見据えるためにもあるのだ。

一方で、言葉は人を支配し差別する有力な手段であり、自分の考え方を人に無理強いするための効果的な道具でもある。私たちアフリカ系の住民はあらゆる面でこの被害者であり続けた。どのような言葉を話し、どこに住んでいようとも、アフリカ系住民は数多くの抵抗を通してようやく手にした自分たちの文化という宝物を、そのような中でも何とかして守り育ててきたのだ。

私の父と母は英語を通して、世の中での自分の立ち位置を学びながら育った。その後必要に迫られて、自分たちの受け継いできたものを子供たちに託すときには、同じ英語ではなく、他の言語に合わせて伝えねばならなかった。

これは私たち家族だけに限られた話ではない。アフリカ系住民の身の上では何度も繰り返されてきた事だ。私たちアフリカ系は異なる言葉を受け入れて、生き方を変える必要に何度も何度も迫られてきた。私たちの祖先は何世紀もの間、見知らぬ土地へ繰り返し追い立てられ、どんなに辛くても、言葉の通じない新しい土地で生きてゆかなければならなかったのだ。

私の知っている事といえば、全て両親や近所の人たちが様々な言葉、それぞれ異なる語り口で伝えてくれたことだ。そして知らなかったことは自分で見いださなければならなかった。バラバラに聞き覚えた物語や歌、言い伝えのかけらをつなぎ合わせて、あるいは他人の身の上に起こったこと、よその土地での出来事を自分の身の上に置き換えて、切れてしまった過去との糸を結び直そうと私はもがいていた。

私は恐れることなく、どのような権威とも対峙できる。どんな言葉を使ってもそれを止めることはできない。私が授かったこの力は、我が一族やまわりの人々から、さまざまな言葉と語り口を通して私が受け継いだものだからだ。

私たちの祖先は元から話していた言葉を奪われた。そして別の言葉を無理やり使わされるようになった。これが厳然とした事実なのだ。自分たちの名前を口にし、自分たちの歌を歌ったからといって虐待されてきた。通じ合うことや不服従を防ぐために、同じ部族のもの同士は無理やり分離され、接触できないように住まされた。支配者たちは、祖先の魂と情熱を奪い取ってゆっくり殺すことをもくろんでいたのだ。そのために私たちの祖先が昔から大切にしてきた互いに心を通わせるための儀式や、愛情や信仰を示すための所作は失われてしまった。生きて行くためには、乱暴な方法を使ってでも、自分たちの神話を繰り返し繰り返し再創造し続けなければならなかったのだ。

母より前の世代では今とは違う言葉が使われいたように思う。お祈りや争いごと、歌を歌ったり遊んだりするときに使う言葉も今とは異なる話し方をしていた。祖先が連れ去られる前に、アフリカの地で受け継がれたもので、それがどこか調べているがまだ分からない。

もうけっして [3] ひとつの物語が、それが唯一の物語であるかのように語られることはない」 ジョン・バージャー
(訳注 マイケル・オンダーチェ作、福間健二訳「ライオンの皮をまとって」の巻頭言より)

これは私だけの話ではない。今まで使った事もない新しい言葉を強いられても、自らを高め、鼓舞(こぶ)して生き延びていこうと、自分たちの大いなる歴史を、言い伝えを、歌を新たに作り、作り直し、書き、書き直し、再創造し続けてきた世界中の何百万人もの人たちや、その家族、そこで暮らしを営んできた町や村についての話なのだ。その過程にあっては切れかかった祖先とのつながりを結び直し、生きていくのに必要な知恵と霊性を通わせるための橋を新たに架けなければならなかった。

今日にあってさえ私たちは服従と疎外を強いられている。だが決して負けはしない。何度もでも立ち上がり、自らを鼓舞しながら大地にその足跡を残し続けてきた並外れた者たちの子孫なのだから。

私の母、父そしてまわりの人たちは新しい言葉、つまりスペイン語を使って、これから生きていくにあたって必要になる手だてと自分たちの文化を私たちに授けてくれたと思う。手だてとは抵抗し、祖先とつながり、霊性を持つ力だ。文化とは私たちに伝える過程で両親らが取り戻していったものだ。それは旅の途中で死にたくないと渇望していた先祖が力をふりしぼって、少しずつだが取り戻し、再生し続けたのと同じものだ。

私にとって言葉とはスペイン語だった

どのような経緯があるにせよ、私にとってはスペイン語が自分の言葉だ。他のどんな言葉よりも、スペイン語の翼は私が望むどんな所へも、私を運んでくれる。話していて一番くつろげて、私が感じていることを一番上手く言い表してくれるのも、一番情熱をもって書くことができるのもこの言葉だ。

私の詩はスペイン語と共にある。いとわしくとも、私はこの言葉をまとい続ける。それは、私たちの前に憎しみの言葉を投げかけ、私たちの闘いをつぶそうとする者がいる時、それを打ち砕くための言葉はスペイン語だから。そして、私と同じ肌の色の女性が、見失いかけた自信や気持ちよさを取り戻すときに交わす、甘いおしゃべりの言葉もまたスペイン語だから。

この言語は私に魔法の力と声を与え続けてきた。かつて私を怒らせてきたこの言葉で今、私は他の人とつながっている。子供たちに愛を伝え、私自身や周りの人たちへの思いで一杯になるとき、それを言い表す言葉はスペイン語だ。私はこの言葉で話し、書き、求め、表明し、叫び、歌う。知恵や文化、信仰を伝えるため、そして何にも増して大切なのは、私たちが正当に扱われるように声を上げるためにその言葉を使うのだ。

スペイン語を抱いて生きる

私はこの言葉で声を上げ、この言葉と共に当然のように生きてきた。散り散りに離れていった人たちはそれぞれの土地でその言葉を自分のものとして、話し、表現し、歌っている。私が口にして言葉を楽しむように、それぞれ自分たちの言葉をいつくしんでいる。私は自分のスペイン語を日々新たなものとしている。それを自分の力として、私たちが正当に扱われることを要求し、それを認めさせてきた歴史から光をあてようとしているのだ。
私は言語を組み立てては、くずして作り直しては試す日々を繰り返している。私が新しくできた言葉を使うのは、私たちの同士もみな同じ人間だと認めるためであり、追いやり差別するための道具であっては断じてならない。

校正: Moegi Tanaka [4]