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パキスタン​ 清掃作業員の死 

下水路に家庭ゴミを投棄する少年。パキスタン、カラチの​​​​​マチュハル・コロニーにて。このスラム街は​不法入国者​の定住地となっている。この地区でゴミを処分するには下水に投棄する以外に方法がない。写真:​​​バラージュ​・ガルディ​​(Flickr ユーザー)(CC BY-NC-ND 2.0)

今月初めエルファーン・マスィーフが、パキスタンのウマルコートにある小規模公立病院で亡くなった。その病院の医師たちが診療を拒否したからだ

エルファーン・マフィーフは清掃作業員であった。町の主要下水道管を清掃中に意識を失い病院へ運ばれた。伝えられるところによると、彼は下水に浸かりびしょ濡れだったという。当然「不浄」と考えられるので、当直の医師たちは彼の治療を拒否した。エルファーンの母がパキスタンの報道機関に語ったところによると、医師たちはイスラムの聖月とされるラマダンの断食中だったという。そのため彼らは、瀕死の人間に触れることなど考えもしなかったし、ましてや治療などとんでもない掟破りだと信じていた。そのため、彼らはエルファーンが死んでいくのを黙ってみていたのだ。

私は​人道主義者​であり​、世界の公衆衛生擁護者​であり​、医師そしてパキスタンの少数民族​だ。それを自認する​私にとって今回の事例は自分のアイデンティティを揺るがす出来事だった。​このような​痛ましい​出来事​の原因となった偏見​や​無神経さについては、言いたいことがたくさんある。​だが、​さらに憂慮すべきことは、ほぼパキスタン全土に敷設されている衛生関連インフラにまつわる偏見​が​、​​国中に​蔓延(まんえん)しているということである。

1947年にパキスタンが国家として誕生して以来、地中に埋設された下水道管路網内の障害物除去といった維持管理作業で排水路内に入る仕事は、​エルファーン・マフィーフのような清掃作業員によって行われていた。​​彼らは、​少数派であるキリスト教徒の家庭に生まれ、​差別​を受け恵まれない生活を送っている。

エルファーン・マフィーフ(30歳)は、他の清掃作業員3人と共にウマルコート市内のマンホール清掃作業中に意識を失った。ウマルコート市は、パキスタンの中でも​きわめて​多くの宗教が混在する都市として知られている。彼はこの市内の病院で死去した。一方、やはりキリスト教徒の他の3人は、市内の大病院へ運ばれ治療を受けた。

エルファーン・マフィーフの死で明らかになったパキスタン全体に広がる偏見は、この国が抱える問題の一つといえる。しかし、偏見以外にも問題はある。それは、アルバート・デイビッドが書いた​公開状​の中に示されている。彼は​パキスタンキリスト教徒連合運動の会長であるが、次のように言っている。「排水路内​の堆積物を清掃中に、過去数年の間にパキスタン全土で多くの清掃作業員が亡くなった。水路の閉そくは、市民の無責任な行動や市当局の検討不足の計画が原因と考えられる」

パキスタンでは、し尿は家庭から地中の下水道に排出される。その下水道を維持管理するために清掃作業員が雇用される。彼らの仕事の目的は二つある。一つは下水のゴミをさらうことであるが、彼らには防護器具や清掃器具も与えられていない。また作業に伴う危険性も認識されていないし、健康管理対策も行われていない。二つ目は、定期清掃により下水道システムの機能維持を図るということである。彼らのこういった作業のおかげで、パキスタン当局の都市計画担当者や政治家は、下水管路網の計画、設計、および建設の各段階において、公衆衛生全般に関わる設備拡充に必要な資金投資をしないですんでいる。

小さな集落であれ巨大都市であれ、我々の社会生活には、水源確保、​​給水​、​そして最後に汚水処理といった3段階にわたる水管理システムが必要である。

水は日常生活になくてはならないものである。まず、日々の生活を続けるために水を必要とする。また、日常活動において水がなくてはならない場面にしばしば遭遇する。さらに、日常生活および産業活動により生ずる廃棄物を処理し、元の状態に戻すためにも水を必要とするし、し尿を処理するにも同じプロセスが必要である。​水中に廃棄物を処分すれば、水が台無しになってしまう。また、生活に不可欠なものを生み出す水の力を削いでしまうことになる。​そのため、水循環の輪が切れてしまう。​万物は水からなり水にかえる​ということを忘れてはならない。

アルバート・デイビッドが自身の​公開状​で述べた下水管清掃作業にまつわる特殊性は、近代生活に必要な社会基盤に潜む最も根本的な問題といえる。尿を安全に処分する手段がなければ、誰もがみるみるうちに急性疾患あるいは慢性疾患にかかってしまうだろう。そしてやがて命を失い、自分の排泄物に埋もれて腐っていく。パキスタンのキリスト教徒が、下水道の定期的清掃を止めてしまったら結果はどうなるであろう。現状を維持するのは難しくなるだろう。

水管理システムの最終段階である汚水処理は、パキスタンでは​​​​老朽化し​た​非効率な公共施設によって維持されている。そして、​​施設​の欠陥を埋め合わせるのは、長年にわたり下水道清掃の携わってきた被差別社会に属する人たちの労働である。

こういった現状に気づいているパキスタン人はまれである。イスラム教徒は汚れがなく信心深いから、下水道の維持や側溝の掃除などの作業には従事しないといった考えが、パキスタン社会に深く浸透しているためにこのような無関心が生じたとみられる。この無関心はゴミ収集や汚水処分など、衛生状態を維持するための他の「公衆衛生分野」にも及んでいる。

人道的危機を研究する​​私​が次に為すべき仕事は​当然​、​労働環境が引き起こす重大な健康​被害​に対して市民の​関心を高める力となることだ。市民社会は一丸となって、​​地方自治体に​訴えなければならない。​市民生活の基盤となる施設を改善するだけでなく、職場の安全と健康を最低限守る対策を講ずるよう主張する必要がある。

我々と同じ市民が、危険な状況下で廃棄物の清掃に携わっている。そして、我々の糞尿にさらされ、病に倒れいずれ死んでいく。こういった現実を、我々パキスタンのイスラム教徒は認識する必要がある。下水道システムがしっかりとした計画のもとに作られ、維持されていればパキスタンはより幸せで健康な国になれるはずである。

エルファーン・マフィーフ​の死は防ぐことが​​できた​はずだ​。それなのに彼は死んでしまった。このような事例を生じさせてしまったことは、理不尽ではないといえるのだろうか。彼の死は、偏見が招いたものであるが、それに加えて社会基盤の不備や公衆衛生への認識不足が重なって生じたものである。公衆衛生の基準に則り都市計画を立案し土木構造物を構築していたならば、彼は死を免れたはずである。公衆衛生システムを理解する方法を探り、公衆衛生に対する認識を深めることを常に教育課程の基礎に据えていたならば、彼は死を免れたはずである。​気候変動により市民生活が多大な悪影響を受けている現状では、清潔な水は誰にとっても​喉から手が出るほど欲しいものとなる。私たちひとりひとりがそのことを理解していれば、彼は死を免れたはずである。

我々パキスタンのイスラム教徒は、イスラム教徒の持つ特権を再考する必要がある。我々はイスラム教徒であることを理由に、基本的社会基盤の維持を同じ人間でありながら他宗教の人たちに任せてしまっている。そして、他宗教の人たちは「不浄」すぎるといって、彼らが死んでゆくのを手をこまぬいてみているのだ。そういったことを我々パキスタンのイスラム教徒は認めるべきである。他宗教の人たちが、過去70年間携わってきた仕事の本当の意味を我々が理解しなければ、そして、宗教絡みの虐待を防止する方策を打ち出さなければ、パキスタン社会は実りある変革を成し遂げることは出来ない。

しかし何はともあれ、我々が歩いている道路の下で今どんなことが起こっている​か、考えてみるのもよいかもしれない。

校正:Maki Ikawa

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