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シリア、アル・ウァエルの人びとの行きつく先は

カテゴリー: 中東・北アフリカ, シリア, 市民メディア, 戦争・紛争, 移住と移民, 難民

花束を持った少年がバスから身を乗り出している。アル・ウァエルの住民たちは、こういったバスで新たな定住地に向かう。ホムス市にあるアル・ウァエルのマディナ・アル・マード広場の様子である。2017年5月27日撮影。掲載元:Syria Untoldよりメア・アル・ハーリド

当記事は、ジョッド・マバーニ [1]Syria Untold [2]に寄稿し、ヤセル・アゼイヤート [3]によって翻訳されたものである。ジョッドはホムスを拠点にするジャーナリストで、市民活動家でもある。この記事はもともと、2017年5月8日に公開され、パートナーシップ協定に基づき、再度当サイトで公開した。以下は記事の2部構成のうちの前半部分である。後半部分についてはこちら [4]

(原文掲載は2017年5月28日である。)

「イドリブ?ジャラーブルス?それともホムスの北に?」

ここはホムス県、ホムス市西部のアル・ウァエルという町。住民は互いに行き先について、このように尋ねる。この町は「革命の本拠地 [5]」と呼ばれていた。ロシアが仲介した同意 [6]に基づき、反政府勢力とその家族らは、この町の最後の砦から退去している。

民衆がアサド政権に対して起こした騒乱は、6年もの歳月を費やした。ここにきて政権側がイランとロシアの支援を受け、支配権を奪回 [7]してきている。

2017年3月13日、政権側の代表団はアル・ウァエル住民委員会と協定を結んだ。協定に基づいて、退去を望む住民すべてが数回に分けて退去する。退去の終了を待って、シリア政権軍がこの土地を接収する手はずになっている。

表面上でも保証があればよいが、それもない。そのため住民の多くは、「後戻りできない状況」を待つのではなく、「未知」の世界へ進むことにしたのだと、4児の母である、イブティサム・アル・マスリは語った。(本記事においては安全上の理由で仮名を使用)

この地域の運命について、よく見積もってもアレッポ東部 [8]に近い状況になる、と彼女は予想した。「彼らはすべてを奪い尽くすでしょうね」そのようにも話し、5組目の退去者らと共に、ジャラーブルス町行きのバスへと乗り込んだ。「彼らは残った住民全員に報復するでしょう。だから私は残るわけにはいかない。彼らが私たちを殺したり、私たちの家から略奪したりするのを見るなんてごめんだわ」

対抗メディア [9]が強調するところによると、ホムス県は人口調整計画 [10]の対象となる瀬戸際にある。ダラヤやアル・クサイル、東部アレッポといった地域と同様である。これらの地域はすべて政権側に包囲され、最後には明け渡された上で人口調整が行われた。

ただ一方で、アル・ウァエルの町は、はるかに複雑でおぼつかない状況にある。というのも政権は、実力行使する前に、本当に住民のすべてを退去させる気があるのか、いまだ分からないのである。

アル・ウァエルでの退去をめぐるやり取りは、奇妙に映る。道路の遮断を解き、民間の資産家たちが政権軍より先に中へ入れるようにしている。そしてその資産家らは望めば残ることもできた。一方、例えば東部アレッポについては、政権軍より先に全住民が避難を完了していたのだ。

その一方で、アル・ウァエルは武装したシーア派の村(ザーズリヤ、ハイエック、マズラなどの村々)に隣接している。さらにこの取引を唯一保証するのがロシアであることに対し、人々は不信感を持っている。人々の恐怖は地域中に蔓延している。そしてこのような噂がそこら中でささやかれている。シーア派の軍隊がマズラ村 [11](アル・ウァエルの隣村)に配置され、町に残った人々を急襲、拉致するために、最後の反政府側一団を待ち構えているというのだ。

市民は強制的に追い出され根絶やしにされるのか。明日をも知らない中に留まるのか。それよりも、選ぶということ自体が非常に難しいのだ。結果としてほとんど見通しが立てられない状況だ。

私の家を、財産を、思い出の数々を手放したくない」

ハッヤーン・アル・シウフィという30歳の活動家がいる。包囲の下で過ごした過去5年間を、彼は「喪失の年月」と振り返った。

彼は空爆、包囲、インフラの破壊といった凄惨な状況について、Syria Untoldに伝えた。彼はシリア騒動以降、移住はしないと決めてきたことを後悔していると自認している。「私にはわからない。一体全体何のために?」そして当惑したように、こうも言った。「私たちはなぜ耐え忍んできたんだ。結局の所、こうやって追い出され、家や愛するものたちを残していくことになってしまった」

ハッヤーンはアル・ウァエルにいる数千の若者たちの一人にすぎない。彼らは兵役適合者であり、予備役を課せられた者もいた。そして2011年から反乱側の領地にとどまることを選び、出国することもなかった。彼らはこの戦いがいつか終わりを迎えること、そして徴兵や予備役を免除されることに望みを持っていた。

しかし、ほんの2,3週間のうちに決断を下さなければならないという状況になり、この地域からの退避が現実味を帯びるにつれ、多くの住民は退去リストに名を連ねることにした。彼らは昨今変わらない不安、つまりシリア政権軍の兵役に服す義務があるのかということに、これ以上気に病むまいと意志を固めたのだ。

さらに40歳未満の男性については、反乱側の支配する地域に退避すると素早く決断しても、より困難な問題にその家族や親類に巻き込むことになった。これらの状況は優先順位、責任、恐れ、期待といったものが混ざり合っているのだ。

愛する息子たちと別れるか、愛着ある自分のルーツを守るか、その間で行き詰まり、決定において仲違いしてしまった家族も多くいる。その中には選んだ土地への移動申請を取り下げては再度提出する、ということを繰り返す家族もいた。

「トルコへ迅速に避難するため、私たちはイドリブ行きに登録したの。そのあと、密航が簡単ではなく、またその費用も全然安くないことを知って、ジャラーブルス行きに変えることにしたわ」とアム・ラミーは話したものの、行き先を選べる期限は過ぎていた。彼女は住民グループとともに、登録センターに自分の身分を証明するために来たのだ。

Syria Untoldが確認したところ、彼女は自身が政府職員であり、また夫の年齢は予備役対象の年齢を超えていた。それでも彼女たちは、3人の子を心配して彼らとともに退去することを選んだ。

「26歳の長男は予備役を、20歳の次男は一般兵役への従事を求められている。末の息子は15歳。すぐに徴兵対象になるわ」

苦しみが楽になるようにと首を手で覆いながら、彼女はかすれた声でこうも話した。「ひどく打ち砕かれた気分だわ。私の家を、財産を、思い出の数々を手放したくない。かといってこういう年齢の子どもたちを放っておくこともできないのよ」

割り当てられた目的地(イドリブ、ジャラーブルス、ホムス北部)行きの登録センターでは、人々は互いに助言をかわしたり、先にそれらの土地に行った人たちからの情報を共有したりしていた。

何度も繰り返されるうちに、根拠のない話が科学的な事実かのように、マントラの形を成して蔓延していく。「イドリブでは家が安値で借りられる」、「イドリブは危険。爆撃の対象になっている」、「イドリブ行きは実際のところ、密航ルートを介したトルコ行きのこと」、「政権軍は周囲に残る人をすべて捕縛する」、「ジャラーブルスは安全だが、住居の安全は確保しづらい」、「テントで生活できるのであれば、ジャラーブルスを目指してもよい」、「北部地域はすぐにアル・ウァエルと同じ運命をたどることになる」

後方の女性たちの会話が再開できるよう距離をとって、アム・ラミーは女性集団の会話から離れる。たどたどしく足を引きずりながら。目からとめどなくあふれる涙を抑えて、Syria Untoldに対し、「どうなるのか何も分かりはしないわ」と話した。「私たちは些細な事で右往左往している。イドリブがましか、それともジャラーブルスか……そんなことで自分をなだめている。だけど大事なことを忘れているわ。どちらにしたって変わらないの。私たちはここを離れるしかないのよ!」

当記事の続きについてはこちら。「シリア、アル・ウァエル。退去の不安に苦しむ住民たち [4]

校正:Mami Nagaoka [12]