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ケニア:ガーディアン紙のある記事では伝えていないライキピアの真実 

ライキピアの牧畜民と牛。写真:USAID クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.

ガーディアン紙(訳注:イギリスの新聞)はケニア・ナイロビ特派員トリスタン・マッコーネルによる記事「クーキー・ゴールマンを撃ったのは誰だ? ケニア在住の保護活動家であるひとりの女性の物語」を2017年6月に掲載した。マッコーネルは、ケニア北部のライキピア地区における紛争について、ゴールマンの目を通して書こうと試みている。ゴールマンは、自身の自伝「I Dreamed Of Africa(アフリカを夢見て)」により最もよく知られており、それは2000年にキム・ベイジンガー主演で映画化された。(訳注:映画の邦題は『永遠のアフリカ』)

ライキピアでは、厳しい気候が引き金となり、その地域の牧畜民と何万という牛、ヤギ、ヒツジなどの家畜が水や牧草を求めて移動することが、大きな問題としてメディアで取り上げられてきた。移動する牧畜民やその家畜は、ライキピアの土地のほぼ半分にのぼる私有の自然資源保護区の境界や垣根を破って侵入することを繰り返している。政治家たちはこれまでの不満の種を利用して牧畜民たちを扇動した。黒人でも白人でもこの土地の大地主であればその所有財産を略奪するようにと、政治家たちが牧畜民をそそのかしたことがライキピア騒動の起こりだ。

マッコーネルは、ゴールマンを、「貧しい土地の男たち」である荒々しい牧畜民たちと対抗して、「自然環境を守るために」闘っている堂々とした勇ましいヒロインとして描いている。ガーディアン紙が植民地支配の偏見に満ちた記述をそのまま掲載したことは驚きである。

ライキピアの土地について、この記事の記述からみてみよう。「起伏の多いサバンナ、森林、曲がりくねった川、滝、岩肌の丘、険しくせり出した断崖。この土地は、ゾウやサイ、キリン、シマウマ、アンテロープ(訳注:ウシ科の動物)、リカオン(別名ハイエナイヌ)、オオミミギツネやライオンのふるさとだ。」さらに記事は、このように続く。「多くがイギリス人である白人の移住者がやってきて、独立前の20世紀前半、その土地で小麦を作り牛を育てた。」この歴史を無視した表現は不快感を与える。この記事では、ライキピアは、terra nullius(訳注:ラテン語で「何もない」の意)であり、何もない土地、つまりそこを利用してくれる人を求めている、空っぽの持ち主のない広大な土地であるかのようだが、当然ながらそうではない。

ライキピアはマサイ族やサンブル族の人々が育んできた土地である。これらの人々を追い出し、白人たちが愛する「空っぽの土地」を作り出したのは、移住してきた白人たちの銃や強制や欺きといった暴力によってである。ライキピアは単にオオミミギツネやリカオンの土地ではない。この地に生きる真の人間の土地だ。また移住者たちは家畜を育てようとする親切な農民の集団ではなかった。彼らは、この地を植民地として支配するために強制的な機械化や射撃能力を利用したと言える。

記事によると、クーキー・ゴールマンは、1972年イタリアからケニアに到着した。牧場経営をするための新参者として、ヴェネツィアで船に積み込まれた荷物の山と、知らない土地に対するロマンチックなノスタルジアと共に。「私はすっかりOl Ari Nyiro(オル・アリ・ナイロ)と恋に落ちた」と彼女は記している。「そして、私は感じたのだ。道理に合わないし、うまく説明できないのだけど、我が家についたのだと。それがこの地に住むようになった理由である。」

興味深いことではないだろうか。この美しいケニアに、この地と恋に落ちるであろうまだ見ぬ人を待つ、すばらしく空っぽの土地があるとしたら。一度も訪れたことのない土地に上陸し、「恋に落ちた」その地で88.000エーカーの主要な牧場まで手に入れることができるとしたら。ゴールマンが土地を得ることを可能にした植民地支配という暴力を無きものにして、その地に生きる人々や社会的コストまでも平然と消し去るとは考えられないことだ。

「長年私の目的は、共に生きていけるようこの土地の人々を教育し環境を整えるよう試みることでした。バランスを保たなくてはいけないのです」と保護活動家のゴールマンは語る。驚くべきことだ! 記事で言うところの「保護活動家」がいなかったとしたら、私たちケニア人はその事実を知らなかっただろう。再び白人の救世主に救われたとでも言うのか。

侮辱である。アフリカ人は野生生物と何千年の間共存してきた。それが、現代この大陸こそ、野生生物が第一に生き残っている理由だ。エコロジストでジャーナリストの二人モルデカイ・オガダとジョン・ムバリアが述べたように、アフリカの人々にとって、自然を守ることは他の人の注意をひくことではない。それは日常の平凡な日々の生活において、またある動物を殺すことをタブーとすることにおいても、神聖で大切なこととされていた。さらに儀式や物語、歌の中でも強調されていた。産業化の名のもとに、自然界を広く意図的に荒らし略奪したあとに、ヨーロッパ人が発展させた、脱産業化の時代に誇張された自然保護ではなかった。

マッコーネルの記事では、最近の暴動により、牧場を閉鎖したり売却を考えている地主もいるという。しかし一方で、ゴールマンもその中の一人であるが、この地に腰を据えている。「彼らはやがて消耗してしまうでしょう」と彼女は言う。「私は彼らより耐え続けることができます。疑いなく。」 「彼ら」とは「自然環境」に侵入してくる、この土地の貧しいポコット族民兵のことだ。彼らは疲弊するだろう。クーキー・ゴールマンは彼らより持ちこたえるだろう。

ある意味ゴールマンは正しい。彼らは消耗する。彼らは結局のところ貧しく未開でこの土地しか知らない。彼らの子どもたちも空腹で乾きを覚えるだろう。彼らは互いに反目するだろう。武器も底をつくだろう。政変があれば追い散らされるだろう。

「彼ら」が散り散りになり、飢え、乾き、互いに反目し、そこを去り消えてしまうことを、誰かが黙って待っているとは、何と残酷なことだ。あるいは少なくともただ静かに貧しさに戻り、閉ざされたこの土地で衰えていく。私はこれを読んだとき悲しみにとらわれた。悲しみとは、誰かが私たちの死を、沈黙を、飢えや乾きや混乱を待っていることに対する悲しみだ。

ライキピアの紛争は、複雑ではないとか容易な解決があると言っているわけではない。気候変動により、さらに頻繁にひどい干ばつに見舞われるだろう。人口の脅威や政治問題が加わり、爆発寸前である。しかし私たちは正しく伝えなくてはならない。気高い保護活動家の女性と、貧しい未開地の人間との間の闘いは無責任で残酷であるだけではなく、それは本質的な真実ではないということを。

校正:Eiko Iwama

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