ルーマニア:家族概念を画する道のり

民族衣装を身にまとうルーマニア人家族  写真:アディーナ・ヴォイク(画像提供:Good Free Photos パブリックドメイン)

(訳注:原文掲載日は2017年6月25日)
記事提供:アナ・マリア・ディマ

数週間前、私はルーマニア南部に位置する極貧の県の学校長に、学校生徒と近隣学校の状況について話をきいた。 46.8%の子どもたちが貧困と社会的排除の危機にあると考えられている国で重要な意見を聞き、子どもたちが生活に対して満足しているか情報収集することが目的であった。

実際には、角度をさらに変えて質問を試みた。学校職員が家での生徒たちの様子をどれくらい把握しているか、そして、生徒の家族が陥っている境遇の深刻さを知りたかったのだ。この学校は田舎にあるため、家庭の貧困、アルコール依存症、及び家庭内暴力の影響を受けていると聞いても驚くことはなかった。しかしながら、最近では、外国で働く両親が親族などに子どもを託すと言う事態が今までの問題に加わったのである。片親、もしくは、多くの場合両親との肉体のない愛情に遠距離で上手に向き合おうと努めるにも、子どもたちは物質不足と情緒剥奪(訳注:愛情のある養育行動が遮断された状態)に苦しむ結果になるということだ。

私たちの会話が終盤にさしかかると、学校長は泣き始めた。校長の生徒や同県にある学校の子どもたちが、彼らの年齢には重すぎる精神的負担を強いられている事が心配だと言う。誰にも聞いてもらうこともなく、精神面での支援すら受けていないのだ。ルーマニアでは学校専属の精神科医は、個人カウンセリングに対応できない。必要な時には、グループカウンセリングで支援をするが、学校の水準にはかかわらず、1000人の生徒に対し、カウンセラーは一人 だけなのである。ことによると、学校長のカウンセラーとしての経歴は活かされたのかもしれない。

2008年以降、ルーマニアの児童の権利保護と養子縁組を扱う国家機関(NACRPA)は、親が外国で出稼ぎするために取り残される子どもたちの境遇を調べている。かなり過少に報告されていると考えられているが、半年ごとに発表される統計によると、 国内でおよそ10万人の子どもたちの親が外国で働いているということだ。地元当局が子どもたちの生活状態を監視できるように、親は出国時に子どもの保護先(親族、里親、もしくは施設など)を報告することになっている。しかしながら、これらの決まり事は全国的に実践されていないのが現状で、ロマなどの少数民族が関わることで複雑さを増している。彼らは、正式な書類を持ち合わせていない上に識字率も低く、法律上の責務の認識も無いか、たとえ知り得ても果たそうとはしない。助成金の受給資格失効を恐れて、親が出国の報告を怠る事例もある。

ルーマニアの2000年から2015年の故郷離脱者の増加数は、シリアに続いて2番目 になってしまった。この規模の人口移動は、国の歴史を見ても前代未聞であり、ルーマニア国民の大量出国については、この数年間、私たちの社会、そして国政当局においても大いなる懸念と脅威的な問題になってきている。外国で働く親に取り残された子どもたちに加え、貧困問題と物質不足の状況に関して、国は補償が困難であると判断している。さらに、資格を有する医療関連職員が国を離れてしまうことも問題になりつつある。急速な人口減少が進んでいるこの国では、改めて人々の精神面での結びつきが必要となる。馴染みある社会構成が浅はか、薄弱になっていく中で、国境を超えた新たな家族概念を構築している。

しかしながら、ウルリッヒ・ベックが名作 『危機社会:新しい近代への道』で言及してきたように、「家族は、事の成り行きの原因ではなく、背景でしかない」。今日、多くのルーマニア人が切り抜けようとしている精神的状況は、極めて困難である。両親が、卒業したばかりの子どもに収入の良い職と生活を西ヨーロッパで求めるよう勧めたとしても、子どもたちを移住へと追いやる事態に嘆き悲しんでいるのである。そして、特に人里離れた田舎の住民は、やりくりするための選択肢がほとんど無く移住を余儀なくされる者もいる。物質不足面での問題だけでなく、遠方にいる家族との何らかの結びつき、遠距離電話はもとより、Facebook の投稿、WhatsApp のメッセージや電子メールの通信手段を保つために、最も苦労しているのは田舎の家族たちなのである。

家族がどのように機能すべきかに関しては、言うまでもなく文化的な固定観念があり、その一つは、家族が肉体的に一緒にいることである。これは、昔の共産主義の名残かもしれない。外国で働いていたルーマニア人移住労働者たちは、家族を帯同する望みを却下され続けていたのだ。しかし、今回の情勢には異なる深刻さがある。最近では、高齢者だけが住む村々が荒地と化していて、前例のない規模の人口変化を踏まえても、恐ろしいと感じざるを得ない。「一体、何が起こっているのか?」と言う問いには、そう簡単には答えられない状況だ。

そして、表面下には他の緊迫状況も待ち伏せている。ルーマニアは近年の経済発展に伴い前進の兆しを見せてはいるようだ。しかし、この国の社会的、そして文化的な枠組みが容易には測定や識別ができない形で崩壊している感覚も潜在する。この感覚は、来たるファミリー・レファレンダム(家族の構成基盤を決める国民投票)も一因かもしれない。選挙日は未決定だが、家族の構成基盤として男女間の結婚に限定することを求める選挙である。経済的圧力によりルーマニア人は、移住へと追い詰められている。それでもなお、たとえ理想像であるにしても、大切に培われてきた家族概念からなる精神的な拠り所を再構築するための険しい道のりは、この先も長く続きそうである。

アナ・マリア・ディマ は国際開発分野で活躍するルーマニア人である。彼女のツイッターはこちら @AnaMariaDima.

校正:Asako Yamada

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