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「奴隷に対する処罰方法」を問う歴史の宿題が物議を醸す ジャマイカ

首枷を外される奴隷。ジャマイカ。1875年頃から1940年頃の間。ウィキメディア・コモンズから転載。写真提供アシュレイ・ヴァン・ヘフテン。CC BY 2.0.

(原文掲載日は2018年4月16日)

ヒレル学院はキングストンの高級住宅街にある私立校である。最近、この学校が9年生に与えた歴史の宿題が議論の的となった。その宿題は、奴隷に対する模範的な処罰方法について問うというものだった。

Facebookに端を発したネット上の怒りの声は、Twitterでまたたく間に広がり、束の間ではあったが白熱した議論が巻き起こった。議論の中では歴史や奴隷制度、人種、階級といったことが話題に上がったが、ジャマイカの歴史の中でも深いトラウマとなっている時代についてどう教えるべきなのかという課題に対しては、答え以上に多くの疑問が残された。

処罰方法を問う設問はさらに、「アフリカの人々を奴隷にした正当な理由の一つとして、当時のアフリカが文明的に遅れていたことが挙げられる」とし、「(選択肢の中から選んだ)処罰方法がヨーロッパ文明の特性を示す実例であることを説明」するよう求めていた。Facebookでは、問題用紙が以下のコメントをつけてシェアされた。

So Hillel Academy Jamaica is allegedly asking children to use their creativity to re-create the harm that was done during slavery in written form. The mission is to expand student’s perspective on situations. So if this is really the case
1) Stop this lesson now.
2) Healing, truth and reconciliation is what you should be teaching the affluent and privileged children of a former plantation society, not recount and imaginative wickedness.
3) You are teaching children to be Slave masters. While this may be useful to a white man’s world capitalist society in 1764, it affects the collective esteem of a progressive and civil society in 2018.
4) Ask the directors of the No Violence In love campaign to come speak to your students about the effects of violent narratives in impressionable minds and the need to replace them with new ideas of harmony and empathy.

伝えられるところによると、ヒレル学院ジャマイカ校は生徒たちに出した課題の中で、奴隷制度の時代に奴隷たちが受けた仕打ちを想像力で再現し、論じさせているという。教育の目的は生徒たちに広い視野を持たせることなのだから、今回の件がもし本当なら、ヒレル学院に対して以下のように伝えたい。

1. この教材を使うのを今すぐやめてください。
2. プランテーション時代の人々を先祖に持つ、裕福で恵まれた環境にいる子供たちに対してヒレル学院が教えるべきことは、調和であり、真実であり、そして和解です。過去の醜悪な行為について想像させ、それを説明させるようなことをしてはなりません。
3. ヒレル学院が教えているのは奴隷主のあるべき姿です。学院がいまやっていることは、白人が支配する1764年の資本主義社会であれば有益だったかもしれませんが、2018年の発達した市民社会にあっては、ジャマイカ人としての私たちの自尊心を傷つけるものです。
4. 暴力的な話は多感な心に大きな影響を与えるということ、心の中の暴力的なイメージを捨てて調和と共感の理念を持つことが必要なのだということについて、生徒たちの前で話すよう、「愛に暴力はいらない(No Violence in Love)」の主宰者に講演をご依頼ください。
(訳注 : 「愛に暴力はいらない(No Violence in Love)」は、ミュージシャン等が参加するジャマイカの啓蒙団体。投稿者であるJ.R.ワトキスは主宰者の一人である)

学校が出した宿題をFacebookに投稿したユーザーは、今回の騒動に対する学校のコメントを併せて公開した。

I have hard copy of test and got soft copy of school response:

‘There is some overreaction and I will explain why. The project is based on putting history into perspective. When older kids were at Hillel learning this the method of teaching slavery was largely rote, i.e. just simply regurgitating the facts. Today the methods of teaching history has (sic) changed. The sensitivity of the subject has not changed it is the way it's being taught that has. Students are encouraged to have balanced perspectives wherever possible.’

宿題のコピーと、騒動に対する学校の回答を入手しました。回答は以下の通りです。

「今回の件について過剰反応が起きているようなので、背景について説明いたします。この宿題は、歴史を客観的にとらえることを狙いとしています。いままで我が校の生徒たちは、奴隷制度について丸暗記主体で、事実をただ復唱するような仕方で教えられてきました。しかし今日、歴史教育の方法は変化しつつあります。この問題が微妙なものであることに変わりはありません。変わったのは、教える方法なのです。生徒たちには、出来るだけバランスのとれた物の見方をするよう奨励しています」

ヒレル学院はジャマイカ統一ユダヤ協会(United Congregation of Israelites in Jamaica)によって1969年に設立された非営利・非宗教系の学校で、幼児部から高等部までがある。ジャマイカのエリート層が通う学校として知られており、約750名の在校生のなかには海外から派遣された留学生も相当数含まれている。学費は公立校に比べかなり高額で、ジャマイカの教育制度に対応した通常コースに加え、国際バカロレア認定コースを開設しており、アドバンスED・南部大学学校協会(Southern Association of Colleges and Schools / AdvancED)の認定を受けている。旧来のやり方にとらわれない教育方法による「生きるための学び」が、この学校のモットーである。学校のウェブサイトによれば、「寛容で、リスクを恐れず、強い探究心を持ち、偏見なく物事をとらえる」生徒の育成を目標としている。

「聡明な生徒であれば、この宿題に対して『奴隷制度を擁護する理由など一切ない』と回答するでしょう」

宿題を出した学校側の弁明はしかし、ツイッターユーザーの怒りを鎮めるには程遠かった。彼らが特に不快を示したのは、設問中の「(アフリカの人々を奴隷にした)正当な理由」という言葉に対してだった。

これがヒレル学院の出した宿題と、問い合わせに対する学校側の回答(Re:宿題について)です。どう思うか、皆さんの意見を聞かせてください。感情的にならずに、筋道を立てて議論しよう。

歴史の授業の中で、入植者たちのしたことを正当化するよう求められたことなんて一度もなかったし、それはジャマイカの学校教育のいいところだったと思う。いま世界ではナチズムが復活しつつあるというのに、この学校で多数派を占める白人生徒たちに、奴隷制度を正当なものとして説明させようとするなんて馬鹿げてる。

Twitterの呼びかけに答えるかのように、あるラジオ局は早速、著名な歴史学者によるコメントを伝えた。

本日のニュース。西インド諸島大学で社会史を教えるベリーン・シェファード教授が、ヒレル学院が出した宿題について「聡明な生徒であれば、『奴隷制度を擁護する理由など一切ない』と回答するだろう」と発言。

あるTwitterユーザーは、この学校では奴隷制度について教えるのに「バクラ・マスター(鞭を持った主人)」(原注:白人奴隷主の意)が入植者側の視点を押し付けていると指摘する。

私たちは、大西洋を横断する奴隷貿易を「始まり」とする、奴隷主の目を通した歴史を教えられてきた。そして今や、バクラ・マスターは彼らの視点から見た歴史だけでなく、彼らの思考方法まで私たちに学ばせようとしている。恥ずべきことだ。

非難は学校そのものに対して、そして生徒たちにまで殺到した。しかしあるソーシャルメディアユーザーは、この学校の生徒は白人が大多数を占めているという世間一般の認識に異議を唱えている。

ちょっとみんな、落ち着いて。実際のところ、ヒレル学院には様々な人種の生徒がいるし、大部分は黒人や混血だよ。学校を批判するなら、事実を踏まえないと。

また別のTwitterユーザーは、ジャマイカにおける人種間の調和をたたえるマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を画像付きで投稿した。この言葉は、キング牧師が1965年にジャマイカを訪れたときの印象を述べたものである。

「このジャマイカには、さまざまな出自を持った人たちがいます。中国やインドから来た人もいれば、アフリカから来たいわゆるニグロもいます。家系をたどればヨーロッパ人の血を引いている人もいます。そうです、ヨーロッパやそのほか本当に様々な国をルーツに持つ人たちがいるのです。ご存知でしょうか、ジャマイカの地で生きる人たちは皆「色々な国から来た、ひとつの国の国民」というモットーを持っています。彼らは言います。「このジャマイカに住む私たちは、(分かりやすく言えば) 中国人でもなければ日本人でもないし、インド人でもニグロでもイギリス人でもカナダ人でもありません。私たちは皆、ジャマイカ人という大家族の一員なのです」 いつの日か、ここアメリカにいる私たちも、ジャマイカの人たちのようになれたらと思います。私たちがアメリカ人という一つの大きな家族になれることを願っています」

ヒレル学院の教師たちはあきれるほど長い間、ジャマイカの子どもたちの心を育てる教育者という自分たちの立場をいいように利用してきたのだ。なんて無神経なんだろう! 他者への想像力について生徒たちに教えるのに、奴隷制度を正当化させたり、奴隷への望ましい処罰方法について論じさせたりする必要はない。

「奴隷制度を支えた、ゆがんだ精神を解剖する試みだった」という意見も

事態の広がりに、学校は理事会による声明を発表し謝罪した。このことはネット上で広まり主要メディアでも報じられたが、そのときには既に、話題の中心はジャマイカにおける人種や階級の問題という、これまでにも幾度となく問われてきた問題に移っていた。

僕はこの問題を語れるほど頭がいいわけではないけれど、ジャマイカにおいて人種差別が階級差別の基礎になっているという訳ではないのではないだろうか。今や僕たちの大半は黒人だから、分断の方法は人種から階級に装いを変えねばならなかったということではないだろうか。でも、僕が何を知っているというんだろう? 「問題は人種ではない、階級なのだ」とはよく言われるけれど。

世間で高い評価を得ている、ある教師は冷静かつ辛辣な批判を展開し、批判文を載せた画像はTwitterでシェアされた。この英語教師は以下のように結論している。

Teacher, you have erred big time, and I suspect it's primarily because you did not manipulate the English language well enough to structure your question in such a way that the students examine critically the arguments for and against slavery, without leaving your class thinking that there were merits in the enslavement of blacks.

先生はひどく間違ったことをなさいました。これは私の想像ですが、その一番の原因は、先生が英語をうまく使いこなせなかった、ということにあるのではないでしょうか。黒人を奴隷にすることには何らかの良い点があったのだと生徒たちに思わせることなく、奴隷制度の是非についてじっくり考えさせるような設問を作るには、先生の英語能力が充分でなかった、ということではないでしょうか。

今回は方法が違っただけで、奴隷制度の歴史や「正当性」は、ジャマイカの学校で通常教えられてきたことではないかという指摘もある。自身が高校時代に受けたカリブ史の授業を引き合いに出して、こうした課題が出されるのは珍しいことではないと言う人もいる。

ヒレル学院の出した宿題のことだけど、何でこんな騒ぎになっているのか、本当に分からない。宿題の内容が問題なのか、宿題を出した学校を問題にしているんだろうか? 私がカリブ史を教わったときにも、奴隷制度や奴隷への処罰が正当である理由についての小論文を書かされたのに。

そんな課題を出されても、怒り出す人は誰もいなかった(笑)。奴隷制度のさまざまな側面について知ることは大事なことだと思う。先祖たちの起こした反乱について学ぶのは誇らしい気持ちになるけれど、そもそも彼らが鎖につながれていたのだということについても注意を向けなければ。

奴隷制度への賠償を求める、ある人権派弁護士は、この宿題の意味を解き明かそうと試みている。

設問を言い換えると、こういうことだ。ヨーロッパ人が、自分たちは文明的でアフリカ人は文明的ではないと考えていたとすると、奴隷に対してなされた処罰のどのような点が文明的だったということになるのか。

ヒレル学院で出された宿題は、400年以上にわたって奴隷制度を支えた、ゆがんだ精神を解剖しようとしているように思える。奴隷主たちの多くは、毎日曜日に教会へと足を運び、キリスト教徒を自認していながら、その上でなお自分たちの頭の中で奴隷制度を合理化することができたのだ。

「私立校では、なんでも好き勝手に教えてよいことになっているんだろうか?」

今回のような課題は、場合によっては容認できるものになりえたのだろうか。Twitter上では多くの人が問いかけている。

ヒレル学院が出した宿題の件、もしこれが第二次世界大戦に関することだったら、ナチスドイツの立場に立って、ユダヤ人を絶滅させる方法を提案せよという課題が出されたのだろうか。

さて、ヒレル学院のどこに問題があったのか。ネット民たちは、授業計画に対する責任について論じ始めた。あるテレビ番組の司会者は以下のようにツイートしている。

ヒレル学院に限った話ではないのだが、学校における授業計画は誰が審査しているのだろうか。私立校では、なんでも好き勝手に教えてよいことになっているんだろうか。教育方針が国の教育政策や文化政策に沿っていなかったら、学校は認可されないのではなかったか。私には釈然としないままだ。

現代の奴隷制度に目を向け広い視野で論じる者もいる。

奴隷制度は過去のものになったかもしれないが、奴隷制度を生み出した、ゆがんだ精神は今も同じように見出すことができる。ヨーロッパ大陸の人々が砂糖入りの紅茶を楽しむ一方、ぞっとするような酷い環境で砂糖が生産されていることには目を背けていた、そうした精神性については特にそうだ。

今日アフリカでは何万人もの子どもたちが、誰もが嫌がるような環境でiPhoneのバッテリーに使われているコバルトを採掘したりチョコレート用のカカオ豆を採ったりしている。あまりにも多くの消費者が、そのことを気にも留めていない。18世紀に砂糖入りの紅茶を楽しんでいた、植民地時代のヨーロッパ人とそっくりだ。

ソーシャルメディア上で非難の声が沈静化した後も、問いは残されたままだ。カリブ海地域の、植民地化や奴隷制度といった痛ましい過去の歴史を、若い世代の人々に対してどのように伝えていくべきなのか。人々の反発の様子から判断すると、今回試みられた「革新的な歴史教育」は、たとえ善意からなされたものであったにせよ、子どもたちのためになるどころか害悪となるものだったようだ。

校正:Masato Kaneko

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