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画像をはるかに超えて : スペイン人写真家、アンナ・P・カブレラとアンヘル・アルバランが写真を介して体験を描写する

"The Mouth of Krishna" series Pigments, Japanese paper and gold leaf. 2013

「クリシュナの口」シリーズ。顔料 : 和紙及び金ぱく (2013年)

(訳注:この記事の原文は2019年4月4日に投稿された)

スペイン人写真家、アンナ・P・カブレラと アンヘル・アルバランにとって時間、記憶、美は、二人のアートに対するプロフェッショナルな姿勢と感情を揺さぶる手法のもとに重要な三本の柱を構成する。

この夫妻が「アルバラン・カブレラ」とサインして生み出す大胆な作品は、昨今の競争が激しい写真分野で注目を浴びている。その理由は二人が用いるプラチナ・プリント、パラジウム・プリント、サイアノタイプ (青写真)、ゼラチンシルバー・プリント (銀塩写真) といった多様な技法と材料にある。二人はまた、日本の雁皮紙の上に顔料を使って写真を印刷し、金ぱくの上に重ねる独自の印刷技術を考案した。

「こうした手法をすべて駆使して、ただ一つの目的を達成するんです。私たち二人は作品を観た人たちの体験に影響を及ぼすために、画像そのものだけでなくより多くの要素を作品に取り入れたいと考えています」と言う。「写真の質感、色、現像、明暗および濃淡の調子、印刷の境界といったものさえ、観る人には特別な印象を与えるのです」

アルバランとカブレラは、アメリカ、スペイン、日本、スイス、オランダ、レバノン、イタリアといった国々で彼らの作品を発表してきた。ベルギーのアントワープで開かれた二人の最新の展示会「竹に重なる微かな竹の陰影 (Subtle Shadows of Bamboo on Bamboo) 」は、2019年3月10日に終了した。2019年4月にニューヨークで開催されるAIPAD Show (国際フォトアートディーラー協会によるショー)では、IBasho Gallery (居場所ギャラリー) から二人の作品が紹介される予定だ。またArt Paris (アート・パリ)では、Esther Woerdehoff Gallery (エスター・ヴェルデホフ・ギャラリー) から二人の作品が紹介されることになっている。

グローバル・ボイスとのインタビューで、アルバラン (1969年バルセロナ出身) とカブレラ (1969年セビリア出身) は、二人の創作プロセス、世界観、また夫妻として共に活動する秘けつについて話してくれた。

オミド・メイマリアン: お二人の作品では、記憶とアイデンティティといった二つの概念が主要なテーマとなっていますね。これらのテーマとお二人の個人的な考えを結びつけるものは何ですか? また、こうしたテーマはどのような形で作品に表されていますか?

アンナ: 人のありとあらゆるものは、記憶であるということです。科学に関する何らかのことを扱おうとすると、科学者がこの世界を解明しようと見出してきたものから着想を得ることになります。アイデンティティについて言うと、自らの記憶によって、自己は成り立っています。初めての誕生日、母親や学生時代の思い出、そういったものが個人に織り込まれ、こうした記憶の総和が自身のアイデンティティになっています。現実というものを捉えるために時間を概念化する方法でさえも、記憶が源になっています。こうしたことは、記憶喪失を患う人たちにとって、より顕著に現れるんです。彼らにとって、時間という概念は存在しないということですね。

「クリシュナの口」シリーズ。顔料 : 和紙及び金ぱく (2016年)

私たちが望んでいるのは、観る人それぞれの記憶をもとに無意識のうちに連想を引き出すような作品を創ることです。むしろ私たちが初めに思い描いていたこととは全く違う方法で、作品を読み解いてほしいとさえ思っているんです。ですから、作品を観た人自身によって、新しい一連の発想が創り出されていきます。

記憶というのは、私たちのシリーズの全てを織り成す糸ということになりますね。「クリシュナの口」はシリーズの中核をなすものです。この一連の作品に、私たち二人がこれまでに学んだことの全てが込められています。また、この一連の作品は、記憶によって現状に一貫性が維持される仕組み、認識内容の分類の仕方、そして認識した内容を互いに結びつける仕組みに関連してできあがったものです。

時々、ある概念が重要性を増しているのに気づくことがあります。そしてこの気づきによって新しい作品集が生み出されるのです。こうした経緯から「これがあなた (This is you here) 」で考察されているのは、アイデンティティの概念と、この概念が個人の記憶をもとにどのようにして生み出されるかということです。

「カイロス (Kairos) 」では、人はどのように時間を認識するのかという考え方を軸に展開されています。時間は無形であって、宇宙の特性にすぎません。私たちは、記憶によって時間の概念を生みだし、過去、現在、未来に区切っているんですね。

"The Mouth of Krishna" series Pigments, Japanese paper and gold leaf. 2016

「クリシュナの口」シリーズ。顔料 : 和紙及び金ぱく (2016年)

OM:日本で長い間過ごされてきましたね。とりわけこの日本という土地柄は、お二人のアートや文化の世界観にどのように結びついていますか?

アンヘル:日本文化というのは私たちにとって、また創作においてすごく思い入れがあります。日本文化は、他に数ある文化と同じように、色んな固定観念であったり大きな誤解を受けがちなんですね。初めは、日本の美学と哲学のわなにはまるかもしれません。ですが日本語や日本の人々、そして歴史を知れば、どの国にもある良い点、悪い点、そしてとんでもないことが、この国の本当の姿として分かるようになります。それでも尚、魅了される何かがまだあるんです。日本という国は、西洋の概念とはまるっきり違った解釈で現実というものを示してくれますから。全ての人が同じ世界で生きているのに、現実のものごとというのは、多くの全く別の観点から解釈されるんです。

西洋では、対称や完全といった概念をすごく気にします。西洋の人々というのは、普遍の法則によって形作られる美に理解を示し、完璧で永久的なものを重要視します。ですが日本の美学というのは、全く違うんです。日本の人々は、非永続性、不完全性、簡素さ、物悲しさの中に美を見いだします。永遠ではなく、わずかに欠けているところがあって、それでいて慎ましく儚 (はかな) いものを切望するんですね。

OM:美的側面の観点から言うとお二人の作品では非常に大胆な表現技法が用いれられていますね。伝統的な美の描写法が脇に追いやられている風潮がある中、アートの世界で、どのように受け取られているのでしょうか?

アンナ:美というのは本当に複雑なテーマです。美とは何かということを定義するのは難しいだけでなく、それを扱うことも難しいのです。真面目な人ほど美しさに対してすごく気を揉んでしまいます。こういった人たちは、美しいものを見ると、自分の人生の現実がどういうものであるかを忘れてしまうのではないかと懸念するのです。ですが、哲学者アラン・ド・ボトンがこう言っています。「身近に美しいものの存在が必要である。その理由は、人は嫌なものを忘却の中に押しやる恐れがあるからではなく、頭を抱える問題が重くのしかかるがゆえに、絶望落胆に陥る恐れがあるからなのです。国や人が「美しい」と称するアートは、消失したものを見つける重要な手がかりを人々に与える」と。

私たちは意識的に作品に美を追求するようなことはしません。見出される美を体験しようと未知なる神秘を探求するのです。

「クリシュナの口」シリーズ。顔料 : 和紙及び金ぱく (2016年)

OM:ヨーロッパと日本で自然の写真を撮られていますね。双方で一連の写真撮影を行ってみて何か相違を感じましたか?

アンヘル:西洋人として、驚ろき魅了されていることがあります。それは東洋で育まれた美的・哲学的解釈に関する世界観についてです。東洋の世界観は西洋とはまるで違うように思われがちですが、西洋思想と東洋思想の源流は双方とも同じなんです。ソクラテス以前のミレトス学派のギリシア哲学者の思想を再考察すると、自然に対する考え方に、東洋文化と相通じるものがあることがわかります。

東洋思想、なかんずく日本人の思想というものは、こうした祖先から伝わる自然とのつながりを失わずにきました。東洋思想の進化とともにこうしたつながりが維持されてきたのです。日本の美学の理念や概念というのは主に宗教の影響を受けています。神道や仏教では、神は自然の創造主ではなく、自然は神から切り離された個々の存在なのです。西洋の伝統的な思想の流れの中では、ユダヤ教とキリスト教に共通の、神は自然の創造主とされる概念によって、このつながりが断ち切られてしまいました。つまり、この概念によって西洋人は古代ギリシャの伝統的な美意識から引き離されてしまったのです。「侘び・寂 (さ) び」「雅」「渋い」「幽玄」といった言葉の意味合いは、もともと西洋文化にありましたが、日本のようには発展しませんでした。こうした共通のルーツが私たちの作品の奥に存在するという事実が嬉しいですね。大抵観る人は、日本で撮影した写真と他で撮影した写真の区別はつかないんです。

"The Mouth of Krishna" series. Pigments, Japanese paper and gold leaf. 2018

「クリシュナの口」シリーズ。顔料 : 和紙及び金ぱく (2018年)

OM: お二人の創作活動や環境、被写体の考察方法に影響を与える主な要素は何ですか?

アンヘル:私たちは、写真家、画家、作家、科学者といったさまざまな分野に卓越した、多種多様な人たちから常に強い影響を受けています。私たちの現実を見る目を方向付けるのは、文学、哲学、科学、言語学、建築、音楽、および芸術全般から得られる知識です。私たちの作品は、学ぶことから生み出されるのです。写真は現実を知る手がかりとなります。私たちにとって写真というのはノートに記すビジュアルなメモのようなものです。こうしたビジュアルなメモというのは、特定の心境の下で撮影されるので現実に対する私たちの心象が反映されます。時間をかけて少しずつ、自分たちの作品を客観的に見ることで新しいアイデアと視点がもたらされるんですね。それは皆さんがノートや日記を読み返すのと変わりはありません。

OM:さまざまな大陸の鑑賞者が、お二人の作品に魅了され共感する共通のコンセプトやテーマとは何ですか?

 アンナ・P・カブレラ、アンヘル・アルバラン。アーティストの厚意による。

アンナ・P・カブレラ、アンヘル・アルバラン。アーティストの厚意による。

アンナ:人間というのは、感覚器の機能により、物質的な世界を超えて自身の内面世界に入り込みます。人間は、受け取った情報を独自に解釈することで自身を取り囲む世界に対する認識を生み出します。実際は空間と時間というのは、人間が自分たちを取り巻く現実を把握するために作り出した概念なんです。私たちは、出自、文化、宗教にかかわらず、ほとんどの人類に共通する普遍的なテーマや概念を用いて創作活動をしているんです。

OM:アートというのはきわめて個人的なものですが、お二人の共作の作品にはユニット名が記されています。創作において、お二人の個々のビジョンや持ち味をどのように表現しているのですか? また創作の過程では、どのように協働されているのでしょうか?

アンヘル:お互いが別々に創作するなんて私たちには想像できません。一緒に暮らしていますし、共通の関心があるんです。写真を撮りに外出するときはいつだって別々に活動しています。つまり、それぞれが自分のカメラを持って単独で活動するんです。用具一式を持ち運んで一緒に現場に行くんですけど、それぞれがその空間に集中してお互い離れて作業するんです。いったん家に戻れば、どっちが実際に写真を撮ったかなんて気にせず、画像を取り混ぜて暗室の中やコンピューターでの作業に取り組むんです。

アンナ:協働することにマイナス面なんてありません。さらに言えば、お互いが個別に創作活動をするなんてことさえ想像できないんです。遂行上の観点からみれば、私たちのように創作することはすごく都合が良いんです。私たちは二人で写真撮影をします。ですから一人だけで撮影をするときに要する時間と同じ時間で、より多くの写真やいろいろな角度から見た写真を撮影することができます。もしどちらかのカメラに問題が生じたら、もう一人がサポートできますしね。一人が行き詰まれば、互いに相談して、また改たに集中できるんです。今お話ししたのは、いくつか挙げる利点のほんの一部分にしか過ぎません。

創作過程にはかなりのストレスが伴います。クリエイターというのは常にあらゆることに対して決断していかなければいけないんです。そして皆さんがご承知のとおり、誰も全てに対する正しい答えなんて持ちあわせていないんです。クリエイターとして、誰かに助けを求めるなんてことはできないのです。

校正:Masato Kaneko

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