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ヘイブ・カフラマンが織りなす喪失と記憶の物語

カテゴリー: 中東・北アフリカ, 西ヨーロッパ, イラク, スウェーデン, 市民メディア, 戦争・紛争, 移住と移民, 芸術・文化

イラク人アーティスト、ヘイブ・カフラマン(写真は本人提供)

(訳注:この記事の原文は2017年12月2日に投稿された)

ヘイブ・カフラマンは11才のとき、一家はスーツケース1個だけで湾岸戦争さなかのイラクから亡命した。彼女の母親は、ヤシの木葉(このは)を編んで作るイラク伝統のうちわ「マハファ」を必需品の中に入れた。中東からヨーロッパへと移動する道中、彼女はマハファを肌身離さず持ち歩き、それは現在スウェーデンの実家にひっそりと飾られている。マンハッタンのジャック・シェインマン・ギャラリーで開催された最新の個展「Re-weaving Migrant Inscriptions」で彼女は、「私にとってマハファというのは、放浪の象徴です。なぜならば、それは、私の過去の記憶を呼び起こすものであり、閉ざされた、もうひとつの人生そのものなのです」と語った。

「Let the Guest be the Master」 [1](2013) 「How Iraqi Are You」 [2](2015)といった過去の個展でも見受けられていたが、最新作ではアイデンティティへの問い、内なる葛藤や人間の意識と言ったテーマを巧みに描いている。しかし今回は、何世代にもわたる歴史の物語を作品に織り込むという新しい手法を取り入れている。また、最新の個展では、西側諸国で暮らす移民の脳裏に刻まれた心象風景や記憶の断片をさらに表現することにも成功している。

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個展「How Iraqi Are You?」に展示されている「Kachakchi」と題されるリネンキャンバスを用いた油彩画。
画像はhttp://www.hayvkahraman.com/より許可を得て使用。

ペルシャや日本の細密画からインスピレーションを受け、様々なポーズを取る女性の身体をモチーフにした彼女の描法から、故国イラクの面影や女性であるということ、そして解放への思いを尊ぶものとして描き出されているように感じられる。この、変化に富んだ複合的な視点を重ねた多層的で繊細な表現は、明るさを感じさせながらも淡い色合いで融合され、作品の物語性に広がりを持たせている。彼女の新しい作品は心に響くだけでなく、個人的背景を問わず、作品を観た全ての人の心に忘れられない思いや感情を引き起こす。

彼女の新しい個展では、美的一貫性に富み心に強く語りかける作品を通して、現代における重要な問題のいくつかを描き出し、彼女のアートを傑出した領域にまで高めたと言えるだろう。

オミッド・メマリアン(以下OM): 個展を「Re-Weaving Migrant Inscriptions」と言うネーミングにしたのはなぜですか?

Hayv Kahraman (HK):I think this whole body of work centers around the idea of memory and how it impacts immigrants and people within the diaspora, like you and me. When I first came up with this way of cutting the linen, it was very intuitive. I didn’t think of mahaffa at the time. I was puncturing the surface. And cutting it was very cathartic.

ヘイブ・カフラマン(以下HK): 私は、記憶の概念と、それが移民やあなたと私のようなディアスポラの人々にどのような影響を及ぼすのかを軸に、この一連の作品を制作していたと思います。はじめてリネンを貼ったキャンバスに切り目を入れるというアイデアを思いついた時、それはとても直感的だったと言えます。当時、マハファを作品に取り入れるという発想などありませんでしたが、リネンキャンバスの表面に切り込みを入れた時、抑えていた感情が一気に溶け出てくるような感覚に陥ったのを覚えています。

 

展示された作品のひとつ「Mnemonic artifact」(画像 : 本人提供)

OM : 作品にマハファを組み合わせることで、あなたの創作における視覚的独創性とその手法がうまく融合したのではないでしょうか。

HK:It was a struggle. I talked to a lot of conservators prior to doing this and I was having so much trouble, because when you cut the linen, it wants to sway and I want to make sure it’s perfectly flat. How do you repeat the surface, the cuts, in order to maintain the integrity of the structure? I did a lot of tests. As you can see, I have two studies that are hanging. In two of the works, I wove actual palm tree fronds from California. And I found out the other day—or maybe it’s a known fact and I didn’t know about it—that California imported the seeds from Iraq and the Middle East from the palm tree. It was a very interesting parallel for me.

HK : かなり大変でした。私は、作品に取り掛かる前に多くのコンサヴァター(美術保存修復専門家)に相談しましたが、かなりてこずりました。リネンキャンバスに切り目を入れるとその表面がたるんでボコボコした感じになるので、なんとしても表面を平らな状態にしたかったのです。では、どうすれば、たるみを出さずに表面を切ることができるのか? 試行錯誤を繰り返しました。ご覧のように、展示されている2点がその結果です。この2つの作品では、カリフォルニアに実際あるヤシの葉を織りました。それと、今まで知りませんでしたが、私とヤシの木は、中東から来たという興味深い類似点があったのです。

OM : 現在開催中の個展で、あなたが色々な形状のマハファに着目していることがわかります。マハファはイラクから亡命した時に、ご家族が荷物の中に入れたものの一つですね。マハファを取り入れると言うことは、作品に過去の何かを吹き込んで、それを永遠のものにしているのではないでしょうか。

HK:Exactly, I think that’s the whole point of it, that as an artist I archived these memories that I feel I’m kind of losing, and in a way, those memories are supposed to identify who I am. Which is also really problematic because, who am I? I’m not Iraqi. I am, but I’m not. I’m not American, but I live here. I’m not Swedish but I have a Swedish passport. So it’s really problematic. It marks that point of displacement for me. That was the time when my biography, my identity was interrupted: when I fled. I’m no longer that person. I’m somebody else. So, if I were to apply a word to it, the mahaffa, it would be “displacement.”

HK : まさにそうですね。それが創作の核心部分と言えると思います。アーティストとして、私は、ある種、失われゆくあると感じるこれらの記憶をとどめておきたかったのです。そして、ある意味では、これらの記憶とは、自分が何者であるかということを明らかにすると共に、本当に、とても複雑な疑問を自身に問いかけざるを得ないのです。と言うのも、私には、一体何者なのかと言う疑問が付きまとうのです。私はイラク人なのか? いや、イラク人だけどイラク人ではない。では、私はアメリカ人ではないのに、アメリカに住んでいる。スウェーデン人ではないのに、スウェーデンのパスポートを持っている。本当に複雑なのです。だから、この曖昧さのせいで、自分には故国がないと感じるのです。イラクから亡命したあのとき、私の人生の足跡やアイデンティティは断たれたのです。私は、もはやあのときの私ではないのです。私は別の誰かなのです。ですから、このマハファを言葉に置き換えるならば、「転移」という言葉になるでしょうね。

OM : 移民が自らの過去とルーツに結びつく「出来事」と「物」との間にあるノスタルジックな思いをどのようにして伝えるのですか?

HK:Language would be one of the ways. Calligraphy is a medium through which you can access language or the loss of language; forgetting about your mother tongue, recovering it and trying to access a connection to it somehow. Because I don’t speak Arabic anymore, and I don’t have any family here in the United States. I have a daughter, but she was born here. I think the main thing is that notion of loss, the trauma of that loss, and manifesting that through a painting becomes the struggle. For me, personally, in my studio, how do I make this come across? With the technique of cutting the linen and the weaving and connecting it to an actual object like mahaffa…

HK : いくつかありますが、言語がひとつの方法として挙げられます。カリグラフィーは言語または失った言語を表す素材(創作材料)です。母国語を忘れてしまいましたが、母国語を再び使えるようにしようと、何らかの形で母国語と関わりを持とうとします。私はすでにアラビア語を話せませんし、アメリカにはアラビア語を話す家族がいません。娘がいますがこちらで生まれました。つまり、私が言いたいのは、喪失の概念、その喪失によるトラウマであり、そして絵を通してそれを描き出すことが自分の挑戦になるのだと思っています。個人的には自分のアトリエで私がこれをどのように伝えていけるのか? リネンキャンバスに切り口を入れて、マハファのようなものに織り込んで作品に取り入れたらどうなるだろう、などと考えを巡らせています。

この作品から、カフラマンが自身の作品に取り入れた素材の「編み込み方」がわかる。

OM : あなたの描く女性の髪の毛には存在感があります。髪の毛はあなたにとって何を象徴していますか?

HK:I think you know more than anyone, it’s such a contested thing, especially in the Middle East. You like your hair and all those associated feelings. Women being hairless. Not being a hairy Arab, which I am. Hair was a very natural thing for me to work with. I didn’t necessarily think about what it represents. It was very intuitive. When I think about it now, after the fact, it’s because it is such a contested bodily thing in my culture, and even all around the world.

HK : 他の誰よりもあなたがご存知のように、髪の毛については色々な意見があります。特に中東では顕著です。人々は自分の髪や、髪に抱くあらゆる感情を大切にします。たとえば、髪の毛が薄い女性もいますが、私のように髪の毛にボリュームがあるアラブ人もいるのです。私にとって、髪をモチーフに使うことはとても自然なことでした。私は髪が象徴するものを考える必要がありませんでした。とても直感的でした。今もそのことを考えてみると、実際、髪については、私の文化に限らず、世界中で大いに議論が交わされる身体的なことだったのです。

OM : あなたが描く女性のゆがんだ身体や顔のイメージは、女性の体験を描写する上で非常に力強いものがありますね。女性の身体の輪郭を決めて描く過程でどのように考えて制作されるのでしょうか?

(HK):It starts by posing with my own body; I pose in various positions in my studio. The poses then transform into sketches and then they become paintings. There is always some sort of performance that’s happening.

They [the women] are always doing something on the linen, performing something. For this show, I really wanted to let go of control… That’s the origin of how they come into being…

HK : それは、実際にポーズをとることから始めます。つまり、アトリエで色んなポーズを自分で取ります。ポーズした姿をスケッチし、絵を起こしていきます。ある意味で、ハプニング・パフォーマンスを記憶していく感じです。

つまり、彼女たち(絵の中の女性)は常にリネンキャンバスの上で動き、何かを表現しているのです。私はこの展示で、まさに支配から解放されたかったのです。[中略]これが、彼女たちを描き出した原点です。[中略]

OM : あなたは以前、女性の身体と「痛みと共にある道のり」の関連性について話していましたね。こうしたさまざまなポーズの裏には何があるのでしょうか。

HK:It’s funny because I started painting when I was in Florence, Italy. And I was really in that mode of renaissance painting, going to museums and making copies, and I felt and believe that this is what I was striving for. That’s when she was born. That’s when I started painting her. It came from that colonized space. A space where somebody was brown, was thinking that these white figures are what I want to aspire to, to paint, in order to succeed. When I look at them now, I am reminded of that. That’s why they have that white flesh. And that’s why I’m in constant dialogue with them, or at least feel like I am.

On the painful journey, I was born during the Iran-Iraq war, I lived through the first Gulf War. These are permanent scars on your body. You carry these memories. That definitely comes through in my work and I deal with it every single day. It’s like you are in this PTSD mode and you are trying to figure out how the hell you can survive.

HK : これは面白いことですが、私が絵を描き始めたのはイタリアのフィレンツェにいる時でした。フィレンツェでは、美術館に通いつめて、ルネッサンス様式の絵画にのめり込んで模写をしています。そのうち、これこそが私が求めていたものだと実感し、確信したのです。彼女たちを生み出し、描き始めるようになったのはその頃でした。植民地支配による歪み(ひずみ)に着想を得て、創作活動を始めたのです。褐色の肌をした人たちのいる地域で、成功するには、そういった白い肌というのは私の憧れでしたし、創作の視覚的表象だったと思います。今、当時の絵を見ると、そんなことを思い出します。だから、私の描く女性たちは白い肌をしているのです。だから、私は彼女たちと常に対話し、というより、彼女たちを自分自身であるかのように感じるのです。

苦難の日々について話をすると、私はイラン・イラク戦争中に生まれ、第一次湾岸戦争を生き延びました。この体験は私の体に一生刻まれた傷であり、私はこれらの記憶を伝えていくのです。それは、間違いなく私の作品から滲み出て、私は日々、それと向き合っているのです。それは、まるで人々が常にPTSD(心的外傷後ストレス障害)の状態下に置かれ、一体どうやったら生き残れるかを模索しているような感じです。

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「Re-Weaving Migrant Inscriptions」から「マハファ」の質感が引き立つスカーフを巻いて歩き回る女性たち。

OM : あなたが描く細部にまでこだわった女性の表情とペルシャの細密画との間には、非常に密接なつながりがありますね。顔に施してある色までも、より独創的で鮮やかです。まず、ペルシャの細密画におけるセクシュアリティ(人間の性のあり方)や女性らしさというものをどのように表現あるいは解釈したのでしょうか、そして、なぜ、この表現形式を用いることにしたのでしょうか?

HK:That’s a good question because the faces are the most fun part to paint. The Persian miniature is definitely an inspiration in terms of the color scheme. For me, when it comes to the body and expression of the face, I’m more connected to Maqamat Al-Hariri [13th century Arabic manuscript]. In Maqamat, you don’t have the beautiful elaborate backgrounds that the Persian miniatures have. The focus is on the figure and the face and expression. That’s where I draw inspiration from in terms of depicting the faces.

HK : 良い質問ですね。というのも、顔に色を塗るときが一番の楽しさを感じます。配色の観点から言うと、インスピレーションを与えてくれたのは、ペルシャの細密画です。私の場合、身体と顔の表現に関しては、アル・ハリーリー の『マカーマート(13世紀アラブの語り物)』 からもっと影響を受けています。『マカーマート』では、ペルシャの細密画のような美しく細かな背景は描かれていません。焦点が当てられているのは容姿と顔の表情です。顔の描写に関しては、『マカーマート』からインスピレーションを受けています。

OM : あなたが描く女性同士の関わり合い方、たとえば互いに触れ合ったり見つめ合ったり、あるいは虚空を見つめたりする姿には自由と解放感があります。そのうちのどれくらいがあなたの個人的な体験によるものですか?

HK:My earlier work was overtly violent. You have female genital mutilation, you have women hanging themselves, really violent, even like didactically so in your face. It reflects what I was going through at that time in my life, particularly in my personal relationship. I was in an abusive relationship at the time. The work was an outlet for me to investigate what I was going through. And I didn’t realize what was actually happening then. That’s the crazy part. It was very therapeutic. It probably started as a therapy or an outcry. And it was years later, when I got out of that relationship, that I could look back and say, that’s why I was doing what I was doing.

HK : 私の初期の作品は明らかに暴力的でした。女性の性器切除を受けた女性や首つりをする女性。非常に暴力的で過剰に挑戦的でさえありました。それは私の人生で経験したこと、つまり具体的には当時の人間関係を反映しています。私は当時、虐待関係にありました。作品は、私にとっては吐口であり、自らの経験を見つめるものでした。その時は実際に何が起こっているのかなんて分かりませんでした。どうかしてたんですね。創作によってとても癒されていきました。おそらく、それは治療や抗議として始まったのだと思っています。そして、その関係から抜け出せてから何年も経った今、当時を振り返ってこのように話せるようなったのです。

OM : 自分のルーツとつながるものとは何でしょう?

HK:I struggle with that, to try to find those connection. I think the only thing is either going back to the Middle East, physically traveling there, or just being with my family. Food with my family (laugh) And of course research based stuff.

HK : そうしたつながりを見つけようと試行錯誤しています。唯一言えるのは、中東に帰ることや実際訪れること、あるいは自分の家族と一緒にいることだと思います。自分の家族と一緒に食事をすること(笑)。あともちろん色んなことを調べることでしょうね。

校正:Sumiyo Roland [5]