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写真ブログ「ストーリーズ・オブ・ネパール」が伝える、人々の物語

カテゴリー: 南アジア, ネパール, テクノロジー, デジタル・アクティビズム, 写真, 市民メディア, 朗報, 環境
「私はネパールの 75ある郡のうち71の郡を周りました。東端のメチから西端のマハカリまでずっと、車椅子に乗って一人でね。新憲法の下では、ハンディキャップのある人たちにも平等な権利が保障されているんだということを、声を上げて訴えるために」
スーリヤ・バハドゥール・ラナバト・ヤトリ 2016年1月1日、ポカラにて

「私はネパールの 75ある郡のうち71の郡を周りました。東端のメチから西端のマハカリまでずっと、車椅子に乗って一人でね。新憲法の下では、ハンディキャップのある人たちにも平等な権利が保障されているんだということを、声を上げて訴えるために」
スーリヤ・バハドゥール・ラナバト・ヤトリ 2016年1月1日、ポカラにて
写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

(原文掲載日は2016年8月18日)

ジェイ・ポウディヤールは子供の頃、祖母が話してくれる昔話 [1]を聞くのが好きだった。大人になるにつれ彼は、読書や旅行、写真を好むようになったが、それとともに酒に溺れはじめやがて深刻なアルコール依存症に陥った。 [2]

妻の助けを借りてリハビリを終えた後、ポーティアルは『ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク』 [3]というブログに出会った。このブログは、写真家のブランドン・スタントン [4]がその時々に出会った市井の人々を撮影し、彼らの話を聞くという内容のものである。ポウディヤールはこのブログにヒントを得て、ネパールで同様の手法によるブログを始めようと思い立ち、フェイスブックページ [5]を立ち上げると、人々の話を投稿して友人たちとシェアし始めた。

ウェブサイト『ストーリーズ・オブ・ネパール』 [6]の歩みは、こうして始まった。

写真家 ジェイ・ポウディヤール ヤショダ・ゴウチャン撮影 [7]

写真家 ジェイ・ポウディヤール  ヤショダ・ゴウチャン撮影

この写真ブログ [8]の中で、ポウディヤールは次のように語っている。

[中略] 僕はネパールの日常を映す物語を見つけ共有していく旅の途中にいる。この2年余り、僕はカトマンズの町なかを歩き回りネパールの各地を訪れては、人々に話しかけ、その人が言わずにはいられなかったことや、その人が物語る嬉しかったことや悲しかったことについて耳を傾けてきた。僕は写真家として出発し様々な瞬間や人々の姿をとらえてきたが、『ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク』に触発されて、被写体となった個々の人との会話の内容を写真に添えてシェアし始めた。言うまでもなく、一枚の写真は千の言葉を語りうるものではあるが、ほんの少しの言葉が、写真の語る物語に変化をもたらすことがある。『ストーリーズ・オブ・ネパール』のフェイスブックページはこうして始まり、コミュニティは長く続いている。[中略]

フェイスブックで約26万5000人のフォロワーを持つ『ストーリーズ・オブ・ネパール』は、山岳地帯から中央部の丘陵地帯、南部の平原に至るまで、ネパールの各地に住む人々の物語に光を当てている。

この写真ブログの中から、物語のいくつかを見ていこう。

受け継いできたバラ [9]

受け継いできたバラ 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

受け継いできたバラ 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「僕が子供の頃は、祖父や父がバラ・アルーを作るのを見ていましたよ。いま、君がカメラをこちらに向けて構えている、ちょうどそのあたりからね。バラを受け継いで、僕で3代目です。
(訳注 : バラはウラド豆で作った甘くないパンケーキ。バラ・アルーはジャガイモ入りのバラ)

うちがバラを出す店を開いて、80年になります。カトマンズからバクタプルに向かう旅行者やポーターが、ちょっと立ち寄ってタンパク質の豊富な軽食を取れるようにというので、祖父のクリシュナ・ラジ・シュレスタがこの店を始めました。その後、父のラムシャラン・シュレスタが店を引き継ぎ、父が亡くなってからは僕がやっています。今までずっと、店は上手くいっていますよ」

バラ [10]は小型の平たいパンケーキのような食べ物である。レンズ豆を使っていて、口当たりは軽く柔らかい。

――この店のバラの、一番の特徴はどんなところですか?

「完璧なバラを作りたいという強い気持ちを、僕が持っていることです。バラを作るときの油は、地元産のヒマワリの種から採った自家製のもの以外は使わないし、焼くのは薪火で、焼きあがったバラは葉にくるんで出しています」

ムケシュ・シュレイスタは小さなバラの店を営んでいる。住所はバクタプル群マディヤプル・ティミ、パハカ・バザール7。

夕飯用の魚 [11]

夕飯用の魚  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

夕飯用の魚  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「何があっても、食べないといけないのよ。どんなに楽しくても悲しくても、どんなにお金持ちでも貧乏でもね。夕飯のために魚を取らなきゃ。あなたが邪魔しないでくれればいいんだけど (笑い)」
チトワン群パティヤニ付近、ラプティ川にて

女性への暴力 [12]

女性への暴力  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

女性への暴力  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「生きたまま火あぶりにされた女性がいる。魔女の疑いを掛けられて、殴られ人糞を食べるよう無理強いされた女性がいる。痴漢。レイプ。公衆の面前で、押し黙る人たちの目の前で行われていること。肉体的精神的な虐待。女性に対する暴力は僕らの身近でも遠くでも起きていて、その残酷なニュースはいつも僕たちをぞっとさせる。アーティストの一人として僕は、この作品を見た人が女性への暴力のニュースを聞いたときと同じぐらい衝撃を受けてほしいと思う。少なくともこの作品は、女性の神々が崇拝されている社会に生きる僕らが許容し受け入れてしまっているものを思い起こさせ、不快な気持ちにさせるのには十分だと思う。この国には純潔の女神であるクマリ [13]が住んでいて、この世界は数々の母たち、妻たち、姉妹たちによって作られたものとされている。クマリは生きる女神で、クマリを中心とした盛大なお祭りもある。それなのになぜ、女性に対する崇拝の念は神々のために取っておかれて、実際に神性が宿っている、彼女たちの人間としての部分には敬意が払われないんだろう」
アディティア・アリアル [14] カトマンズ市ガリダラにて
(訳注 : クマリはネパールの生き神で、幼い少女から選ばれる。上の写真でアリアルが持つ人物画にはクマリが描かれ「私をレイプして」という文字が添えられている。)

10万ルピーの馬 [15]

10万ルピーの馬  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

10万ルピーの馬  写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「うちの飼育場には50頭ほどの馬がいます。誰かに自分のところの馬を引き取って連れて行くように頼まれれば、75頭ぐらいまで増えることもあります。この馬の名前はセテといって、とても聞き分けがいいのだけど引っ込み思案でね。一度に100キロの荷物を運びますよ。
値段は10万ルピー (約9万円) です」
スバシュ・スベディ ムスタン群シャンボチェで出会う。

おかしくなっていた頃 [16]

おかしくなっていた頃 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

おかしくなっていた頃 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「うちは代々、シャーマンの家系でした。父が亡くなったとき、彼のしてきたことは私の務めになりました。でも本当は、シャーマンになんてなりたくなかった。何か人並みのことがしたかったんです。ただ普通に学校に通うとか農民になるとか、そんなことです。でも私が学校の話を持ち出すと、父は決まって太鼓を打ち鳴らし呪文を唱え始めました。私が悪霊に取りつかれている、と言うのです。私は気力を失い、調子を崩してしまいました。人や場所の区別がつかなくなり、川岸を裸でさまよっていたこともありました。そんなある日、一人の女の子が私のところにやってきて、ヨモギの葉と水を差しだしました。勧められるがまま、私はヨモギの葉を噛み水を飲んで、そして生き返ったんです。私は服を着ると家に帰り、父に向かい『お父さんの言うとおりにします』と言いました。その日は家で盛大なお祝いが行われました。父は山羊を一頭と鶏を一羽いけにえとして捧げ、私は本当に久しぶりにお腹いっぱいになるまで食べました」
ラクパ・ドルジェ・シェルパ サンクワサバー群ガディにて

みんなうまくいく

みんなうまくいく 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

みんなうまくいく 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「私たちは同い年で結婚しました。17歳のときだったかな。50年近くを、共に過ごしました。笑うときも泣くときも一緒でした。でも去年妻は亡くなって、私は一人になってしまいました。妻は生前よく私のそばに来て隣に座り、かごを作るのを手伝ってくれたり、何時間も話したりしました。昼食ができると私のところに持ってきてくれました。彼女は幸福だったと思います。今も私は、妻が辺りにいるような気がします。時々、彼女の気配を感じ、いつもの場所にいるのかと思って振り返ることがあります。ささやく声が聞こえるんです。『心配しないで。みんなうまくいくから』って」
ナティ・カジ・マハルジャン ラリトプル群チャパガウンにて

あの世のための入れ墨

あの世のための入れ墨 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

あの世のための入れ墨 写真 ジェイ・ポウディヤール 掲載許可済み

「昔、私が若かった頃のことだけれど、女の子はインドから来た男の人に、こんな風に入れ墨を入れられることになっていたの。友達は入れ墨をするとき、痛みに涙を浮かべていたわ。次は私なんだと思って、怖かったのを覚えている。その晩は眠れなくてね。翌日母に、どうして入れ墨をしないといけないのか聞いたの。そうしたらこう言われたわ。『誰が入れ墨のない女の子と結婚するっていうの? 入れ墨のない娘なんて、誰ももらってくれないよ』母が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。でも後になって、入れ墨は私たちにとって、自然を敬う気持ちを示すためのものでもあるんだということが分かったの。死ぬときにあの世に持って行けるものは何もないけれど、私はこの入れ墨を携えていける。私にとって入れ墨はあの世に持っていくことができる、この世とこの世の自然から与えられた贈り物のようなものなのよ」
タガニ・マハト チトワン群メグハウリにて

校正: Tsukasa Wakana [17]

本文中で紹介されているブログ『ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク』 [3]については、過去の記事『スナップ写真で街の住人を紹介。世界を身近に感じられる「ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク」シリーズ』 [18]をご覧ください。