これは湾岸地域人権センター [3](GCHR)事務局長、カリド・イブラヒム [4]による記事だ。GCHRは中東・北アフリカ [5]地域で表現・結社・集会の自由を推進している独立非営利団体である。
人権擁護者が人々の市民権や人権を守る手段はことばしかない。他方で彼らを敵とみなす人々は投獄をはじめあらゆる攻撃手段を昔から意のままに使ってきた。そして全ての国民のために幸せな未来を築こうという平和的な活動を阻もうとするのだ。
しかし、たとえ独房に幽閉されても人権擁護活動は止まることを知らない。バーレーンの人権擁護者、アブドゥルハディ・アル=カワジャ [6]は「投獄によって人権擁護活動が終わることはない」と言う。彼は2017年に平和的な人権活動に対して科せられた終身刑に服しながら、自身を含む良心の囚人の権利を要求して6回のハンガーストライキ [7]を打った。
彼の発言を得て、アラビア語、英語、ペルシャ語による『囚人とペン』と題されたオンライン・ミーティング [8]は大いに盛り上がった。このミーティングはGCHR [9]とアムネスティ・ウエストミンスター・アンド・ベイズウォーター [10]が2020年10月22日に開いたものだ。では入獄中の人権擁護者とミーティング参加者の意見をいくつか紹介しよう。
自らも活動家 [11]であるマリアム・アル=カワジャ [12]は自作の詩『父への手紙』(”Letter to my father”)の中で、良心の囚人たちの家族の心に荒れ狂う激しい苦しみを次のようにうたいあげた。
How do I tell you
That there are days I long to be a child again
To live in a world I thought I understood
In a world I felt safeBecause you and mama were my superheroes
どういえばパパにわかってもらえるだろう
もう一度子供に戻りたいと思う日々があることを
子供でもなんとなくのみ込めて
安心できる世界で暮らしていたあの頃
だってわたしにはスーパーヒーローのパパとママがいたから
自由で公正な世界で夢を実現できない失望感を表現して次のようにうたう箇所もある。
Baba you’ve been in their prison for 9 years
And to understand me,
I need to tell you about the world
The dreams we had
The dreams we fought for
The price you paid so your daughters could grow up in a better world
Did not go as we hoped
パパは9年間も奴らの牢屋に閉じ込められているけれど
わたしのことをわかってくれるでしょう
この世界で起きていることをパパに話さなきゃ
わたしたちが抱いた夢も
わたしたちが戦いとろうとした夢も
もっと良い世界で娘たちが大人になれるようにとパパが払った犠牲も
願い通りにならなかったと
そして彼女は抑圧的な政府が支持され、活動家にとって安全な場所がなかなか見つからないことについて、力を込めてきっぱりとこう語る。
And the suffering of the immigrant activists
We live in the same world
Where the West talks about human rights
Then props up those who violate them
In the name of creating jobs and economics
Then rears its ugly head
To those who dare seek refuge from the prop ups
To punish them for existing
活動家たちが入国して受ける苦しみは
どこにいても同じこと
西の世界は人権を口にしても
舌の根の乾かぬうちに人権侵害者の肩を持つ
仕事と経済の創出を名目に
奴らは醜い顔を
支えてくれる人たちからもあえて身を隠す者たちに向けて
この国にいるという理由で裁くのだ
アーメド・マンスール [13]は夢想的な詩人だ。人々に降りかかる柔らかい雨粒のように愛をまき散らし、「私の手であなたに太陽を作ろう。そして私の心のバルコニーへかけておこう」とうたう。このアラブ首長国連邦の詩人は2007年に処女詩集『失敗を越えて』(”Beyond the Failure”)を出版した。次に紹介するのはこの作品集の『強すぎる火』(”Excess of Fire”)と題された詩からの抜粋で、時間と痛みについてうたっている。
Time does not bore my wound anymore
For I have no wound and there is no such a thing as time and no consolation
時が経ってもわたしの心の痛手はこれ以上おさまることはない
だってわたしは痛手など受けていないし時も慰めもここには存在しないから
シリアの人権法律家兼活動家ラザーン・ザイトーネ [14]は、シリアでの生活を続け人々の苦しみを分かち合い援助する道を選んだ。誘拐 [15]前には深刻な脅迫を受けたが、それから逃げようとはしなかった。西欧への移住の申し出を受け取ったにもかかわらず出国しなかったのだ。ダマスカスの郊外グータで包囲網の中で暮らしていた。2013年11月18日に『包囲日記よりーただ待つだけの抵抗』(“In the Diaries of the Siege … The resistance is consumed by waiting” [16]) という1文を書き次のように語る。
「何かの巡り合わせでしょう。私は何年も投獄生活をしていた友人と共に包囲されるという経験をしたのです。彼女は何事においても包囲を投獄に例えるのでした。彼女に言わせるとこの2つの経験は色々な意味でとてもよく似ているのです」
有名な男女同権活動家ハラ・アル=ドサリ博士 [17]は、ヌーフ・アブドゥルアジズ [18]の2018年6月6日の逮捕後に出版された日記を読んだ。その中の次の1節は、人権擁護者や活動家がその平和的な人権活動を理由に敵対者扱いされる時に直面する悲劇について語っている。
「こんにちは、私はヌーフといいます。私は挑発も扇動もしなければ破壊もテロも行いません。それに犯罪者でも裏切り者でもありません。私は私のせいで(私はそう思います)苦しんでいる立派な母親の娘です。私の身に起こったことでとてもひどい目にあった高潔で正直な家族の娘なんです。私は卒業する機会を失った大学院生です。いつも自分の特徴をかいつまんでこう説明します。私は物書きで6歳の時から読書にはまっていて、父に言わせると物わかりが良いそうです。つまり心の中に疑問が湧き上がる時以外は物静かな少女なのです」
「この馬鹿げた自己紹介の締めくくりに、私の心いっぱいにあふれる疑問を皆さんにも分かって欲しいのです。私の祖国はなぜこんなに狭く窮屈で、なぜ私が祖国を脅かす犯罪者や敵対者とみなされるのでしょうか」
ナシマ・アル=サダ [19]はサウジアラビアの有名な人権擁護家で2018年7月30日に拘束された。彼女は公民権擁護の記事を数多く書いている。その中には自身の自動車運転の権利をはじめ数々の女性の権利が含まれている。以下は『サウジアラビアの女性が前進する2014年の夢』(“Dreams of 2014 for the Advancement of Saudi Women,” [20] )からの抜粋で、未だ実現しない夢についてこう語る。
「まだまだ残っている人権を獲得するまでには長い道のりが続いています。それは割り切ることも譲渡することもできないことです。人々がその権利を行使するには、仕組みや手続きが文書化され、それを保護し監視して取締まる制度上の仕組みが必要なのです」
最後にペルシャの詩人、マフムード・ダルウィーシュリ [21]の『わが母に』(”To my mother”)という詩から一部紹介しよう。
I yearn for my mother's bread,
My mother's coffee,
Mother's brushing touch.
Childhood is raised in me,
Day upon day in me.
And I so cherish life
Because if I died
My mother's tears would shame me.
母の焼いたパンがとても懐かしい、
母がいれたコーヒーも、
母が優しく髪をといてくれたことも懐かしい。
子供の頃が心に蘇る、
毎日毎日心の中に。
こんなにも人生は愛おしい
わたしが死んだとき
母が流す涙を思うととてもつらいから。
拘束された仲間への思いは萎えず日に日に募っていく。そして公正、自由、平等や人間の尊厳といった原則で統治される祖国を求める私たちの夢も、また大きく膨らんでいくのだ。