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郷愁の母国、エルサルバドルに戻らない理由

カテゴリー: 人権, 市民メディア, 開発, 架け橋

2019年6月、エルサルバドルを最後に訪れた際に著者が撮影した写真

この記事の原文は De Wereld Morgen [1] に掲載されたもので、許可を得てグローバル・ボイスで再掲載します。

エルサルバドルの夜明けは瑞々しく、蒸し暑い。常夏で温暖、火山の多い中央アメリカに位置するこの国を訪れると、私はきまって朝6時にパンを売る少年の声で目を覚ました。「El pan, el pan(パンはいかが、パンはいかが)」と自転車のベルを鳴らしながら声をあげている。まどろみのなかでも、この場所のありふれた日常に幸せを感じることができた。ところが母国への最後の旅は、私のこの郷愁を窒息感というありふれた感情へと一変させてしまった。

この少年が、町外れに住む残虐なギャングに代わり地域を監視していると聞かされたのだ。自転車で毎朝パンを売りさばくのはカムフラージュだと。それからというもの、わたしが温かみを感じていた朝を味わっていない。

メキシコから南に数百キロのこの国へ帰るたび、私は窒息感が増してゆくのを覚える。家族がエルサルバドルとベルギーにルーツを持つため、私は、エルサルバドルの親戚を訪ねてはジャーナリストとしてこの地を見つめてきた。

私の親戚が住むのは、暴力と破滅が蔓延る、一般に「スラム街」と呼ばれる地域だが、私にとっては、従兄弟とのゲーム、そしておいしい家庭料理、愛する家族との素晴らしい時間そのものだった。 しかし、年を経て、親戚の暮らしがいかに不安に満ちているかということに気が付いた。

暴力の連鎖

エルサルバドルの暮らしといえば、なんといってもサーファー [2]の間で有名な太陽、ビーチ、そして常夏の気候だ。そして、この国の人はダンスを愛している。いつまた再び踊れるかわからないからだ。エルサルバドルで生き抜くためには、家の外で起こるあらゆる動きを察知しなければならない。ギャングは、暗黙の掟により、人々の生活のあらゆる場面を支配 [3]している。そのため人々は、そんな社会をうまく乗り切っていかなければならない。エルサルバドル人は、貧困と犯罪の悪循環、1980年代の内戦 [4]による負の遺産、もろく信頼のおけない [5]国家権力、そして食糧不安、ひいては新たな貧困につながる気候変動 [6]の影響から逃れようとしている。近年、私の家族を含む何万もの [7]エルサルバドル人が、米国、メキシコ、スペイン、ベルギーで難民申請を行っている。

「2014年から2017年にかけて2万人近くのエルサルバドル人が殺害された。これは、同時期に紛争中であったリビア、ソマリア、ウクライナなどの国と比べても凄まじい死者数である」とブリュッセルを拠点とするシンクタンクのCrisis Group(国際危機グループ)は報じている [3]。エルサルバドルはまた、世界で最もフェミサイド [8](訳注:性別を理由に女性または少女を標的とした、男性による殺人)の割合が高い国の一つでもある。

難民申請者は、ギャングによる暴力の脅威をよく話題にする。ギャングは恐喝や小規模な麻薬取引を資金源 [9]とする未成年者や成人の社会的集団で、元々はエルサルバドルの内戦中に米国で生まれた [10](編集者注記:何十万ものエルサルバドル人が、米国によって訓練された死の部隊からロサンゼルスへ逃れたが、運に見放され、若者の多くが犯罪に手を染めた。90年代後半、彼らの多くは、エルサルバドルへと送還された)。 現在、彼らは国の規則とは別に独自のルール [11]を設けている。

たとえば、私は家族の居住地へ入るために、その地区に住む親戚に入り口まで迎えにきてもらう必要があった。ギャングのメンバーにとって私はよそ者と見なされ、脅威と映るからだ。車で行く場合は窓を開け、ヘッドライトも消さなくてはならない。ギャングのルールに従わない者は彼らを侮辱したと見なされ、その場で殺される可能性がある。恐喝による月々のみかじめ料を支払わない者も、それが裕福な運輸業の経営者であろうと、つましい生活を送る市場の売り子であろうと殺されてしまう。

毎月の恐喝

ある日、イライラした私は、路上で大麻を吸う10代の少年たちの周りをびくびくして歩くのがどれほど苛立たしいか、年上の親戚にこぼしたことがある。「そう、あの子たちは少年、ほんの子供」と彼女は答えた。「だけど、すでにその手を血に染めているのよ」。

エルサルバドルでは、殺されたり行方不明になった知人について話すことは、ありふれた日常のひとコマだ。私のいとこは、日曜に母親を訪ねたとき、コーヒーを2口飲み、クッキーをひと口頬張りながら、隣人のタクシー運転手がみかじめ料を支払わなかったために殺害され、遺体となって発見されたと話した。

10代の少年少女は命の危険を感じながら通学バスに飛び乗ることに慣れているし、多くの人が路上で白いシーツに覆われた血まみれの遺体を目にしてきた。若者たちは、日没後の午後6時を過ぎると車に乗ろうとはしない。「人気のない場所で車が故障したら何が起こるかわからない。そうなって同級生が暴行され殺されたから」。

エルサルバドル人なら皆、国外へ逃げなければならなかった人、ギャングに殺された人、夫に殺された人を身近に知っている。家族の中で誰も殺されなかった人は幸運だと思われている。近頃は若者の失踪事件 [12]が話題に上ることが多く、失踪は殺害と同じ意味だと考えられているようだ。

そのため、エルサルバドル人は殺害予告を受けると、それを深刻に受け止める。 彼らはまず、自国内で安全な避難所を探すが、エルサルバドルがベルギーよりわずかに広いにもかかわらず、人口がその半分であることを考えると、これは難しいことである。自治体の94% [3]がギャングに支配されているこの国で、 2010年には50万人 [13]近くが国内避難民となった。それに加え、誰であろうがいくつかの連絡先から行方が分かってしまうため、組織化されたマフィアから身を隠すことは簡単ではない。

2019年6月、エルサルバドルを最後に訪れた際に著者が撮影した写真

「自主帰還者」

ベルギーで難民申請をしていた「エリック」(彼の身の安全を考慮し仮名)は、「自主帰還者」と大々的に報じられ、2020年11月に政府チャーター便 [14]でエルサルバドルへと送還された。彼はエルサルバドルに戻ってからレストランでの仕事に就いた。現在は職場で寝泊まりし、食料を買う時にだけ外出している。

「ここで暮らし始めてかなり経つのに、どこに行けばよいのかわかりません」。12月、エリックはWhatsAppで私にこう語った。「[ギャングのメンバーと]遭遇するたび、彼らは私の全身をくまなく見回して、時にはどこから来たのか聞いてくることもあります。私はおびえています。また問題が降りかかってくるかもしれない、家を出たらもう二度と戻ってこられないのではないかと思うと、とても怖いです」。

25歳のエリックは2年前、住んでいる家をギャングに突き止められ、所持品を盗まれ、このことを他人に漏らしたら「殺すぞ」と脅されたことでベルギーへと向かった。「それまでも、ちょっとした些細な問題は起きていた」とエリックは話した。「バスでの強盗や暴行」、銃声に終わることもあった。しかし、彼のすべてを変えた脅威の始まりは、ギャングが彼の住まいを見つけたことだ。エリックによれば、ベルギーへ発ってからも、ギャングはかつての家を訪れ彼を探し続けたという。

ベルギーでは、エリックの難民申請は認められなかった。証明書が足りなかったからだ。難民申請は却下され、彼は数ヶ月ブリュッセルの路上で眠った。

社会構造へ入り込むギャング

エリックは、エルサルバドル当局から必要な証拠や支援を得るのは不可能だったと主張する。ギャングの活動は特定の貧しい地域に止まらないことが知られている。 つまり、警察署 [15] から市長室 [16]、子供たちのクラスメイトやその両親に至るまで、社会構造に組み込まれているのだ。歴代の政府 [17]や政党は、選挙運動 [18]を有利に進めたり殺人率を人為的に引き下げたりするために、密かに彼らと取引を行ってきた。

エリックがエルサルバドルに戻った数日後、彼は知人の一人が行方不明 [19]になっていることに気がついた。発見されたのは、若い男のバイクだけだった。

エリックのように、多くのエルサルバドル人がベルギーへ庇護を求めてきた。2015年、35人のエルサルバドル人がベルギーで難民申請を行った。その 4年後には、1,365人の中央アメリカ人がベルギーの扉を叩いた。 2018年、ベルギーはほぼすべてのエルサルバドル人(96.5%)を難民として認定した。 欧州の統計局であるユーロスタット(Eurostat) [20]の最新データによると、2020年までにその割合は9.5%まで低下した。

ベルギーはエルサルバドルを非常に危険な地域と認識する [21]一方、難民認定の可否を審査する独立機関は、現在ベルギーに辿り着くほとんどの人が実際には [22]エルサルバドルで危険にさらされていないと主張する。その結果、難民申請者は中央アメリカに強制送還されるのではないかと不安を感じている。

声をひそめて

一方、エルサルバドルでは、人々は暴力や行方不明者について家で話すとき声をひそめる。「壁に耳あり」だからだ。窓の多くは鉄格子が嵌められているが、窓ガラスはない。 壁はコンクリートブロックに過ぎず、ささやき声で話さなければ、あのパン売りの少年のような誰かが会話を聞いているかもしれないのだ。

エリックは、移住し再び身を守るべき時がいつきても良いように、フランス語と英語の勉強を続けるつもりだ。私は、いつまた家族を抱きしめ、あの瑞々しく蒸し暑い夜明けを迎えられるのだろうか。危険を背負って母国へ戻る日を、決められずにいる。

校正:Sumiyo Roland [23]