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チェルノブイリの大惨事から35年、ウクライナとベラルーシの今

カテゴリー: 東・中央ヨーロッパ, ウクライナ, ベラルーシ, デジタル・アクティビズム, メディア/ジャーナリズム, 健康, 写真, 市民メディア, 歴史, 災害, 環境, 言論の自由, 音楽
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チェルノブイリ原発付近にあるプリピャチ市の観覧車  画像は イアン・バンクロフト [2] Flickrより [3] (CC BY 2.0)

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の定期安全点検の際に4号機が爆発を起こし、放射性ちりが巨大な雲となって噴き出した。その雲はキエフの北150キロにあるプリピャチ [4]の町から北西に流れ、ウクライナを覆い尽くし国境を超えてベラルーシとヨーロッパ諸国に広がって行った。そして数100万人とは言わないまでも、何10万人もの人々が目に見えない高レベル放射線を浴びる結果となった。

チェルノブイリ原発の爆発とそこから出た死の灰は、死傷者や被災者という点で人類史上最大の核災害とされている。事故原因 [5]については今日まで議論が続き、原子炉設計のミスと職員の危機管理意識の欠如が最も大きな原因とされている。しかし災害がこれほど拡大したのは、発電所経営幹部や州の役人たちを含むソビエト当局が災害規模を隠蔽したためだ。

ゾッとするほど腐ったソビエト官僚社会と事故の初動要員の英雄的努力が、最近再注目を浴びている。2019年の受賞ミニテレビドラマシリーズ「チェルノブイリ [6]」で事故がドラマ化されたことが大きい。このドラマの制作と脚本はクレイグ・マジン、監督はヨハン・レンクだ。

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チェルノブイリ近辺、プリヒャチ市の遺棄された建物 写真はウェンデリン・ジェイコバー   [8] Flickrより [9] (CC0 1.0, パブリックドメイン).

今年、ウクライナやベラルーシをはじめとする国々がこの事故の35周年追悼を計画している。チェルノブイリの物語は総体的には地球環境のもろさと人間の活動が及ぼす脅威を象徴している。しかしウクライナやベラルーシに住む多くの住民にとっては、チェルノブイリはいまだに個人的な悲劇である。愛する人との死別や家族の離散、そして生活や健康の破壊といった悲劇なのだ。そのためこの地域各所で行われる追悼行事は、よりひとりひとりの心情に訴えるものになった。

夜を徹して祈るプリピャチの町

プリピャチはいまだにゴーストタウンで、約5万人が暮らしていたビル群は無人のまま生茂る草に覆われている。ここ数年、被災地を巡る旅行者たちがチェルノブイリの立入禁止区域を頻繁に訪れている。当初は非公式なものだったが、その後は当局も歓迎するようになった。市内では野生動物が通りを自由に歩き回っているが、それ以外に生き物の姿には滅多に会えない。2017年にポーランドの冒険家がチェルノブイリの31周年を追悼してある象徴的なパフォーマンスを行った。発電機を使ってプリピャチのビル数棟に電力を供給し、事故から30年以上たって初めてこの廃墟の街をライトアップ [10]したのだ。

今年、地元の活動家とアーティストたちが、プリピャチでチェルノブイリ.35と題するアートイベント [11]を開催した。記念日の前夜祭には、町の中央広場で写真展が開かれ、音楽のライブやポエトリーリーディング、そしてライトショーなども夜通し行われた。音楽と詩のパフォーマンスグループ「ユーテルパ」のメンバーが、チェルノブイリの詩人の作品をプリピャチ・ピアノ [12]が奏でる即興演奏をバックに朗読した。プリピャチ・ビアノとはプリピャチ付近で発見された古い廃棄ピアノの録音音源を元に、作曲家ボロジミール・サビンが設計したバーチャル楽器のことだ。

 チェルノブイリ.35というアートイベントが4月25日の夜から26日にかけて行われました。人々が集いチェルノブイリ原発事故で犠牲になった初動要員たちを追悼しました。参加者は35本の蝋燭に点火。爆発の瞬間からそれだけの年数が経ったのです。

徹夜祭の主催者のひとりオレクサンドル・シロタはかつてプリピャチの住民で、the Civic Council of the State Agency for Management of the Exclusion Zone(立入禁止区域管理のための州機関の市民評議会)の議長を務めている。彼はFacebookにこんな投稿をしている [15]

Вже кілька років поспіль ми збираємося у м. Прип'ять в ніч проти 26 квітня, щоби вшанувати пам`ять тих, хто віддав свої життя та здоров`я, покинув рідний дім та все, що було йому дорогим, через аварію на Чорнобильській АЕС.

私たちはここ何年間も、4月26日の前夜にプリピャチに集まってきました。チェルノブイリの事故に命と健康を奪われ、家も大切なものも全てを残してきた人たちを忘れずに追悼するために。

チェルノブイリを忘れない

ウクライナでは、原発事故の死の灰が原因で何千人もの人々が受けた心と体の健康被害 [16]を記録に残すだけでなく、チェルノブイリの事故がウクライナで急速に広がっている環境運動に与える影響力を認識している人たちもいる。ドキュメンタリー・マルチメディア・プロジェクトの「ナシ.30(Nashi.30)」 [17]は、ウクライナの独立30周年を記念してウクライナ公共サービス放送とウクライナの英国系「パブリック・インターネット・ジャーナリズム・ラボ」 [18]が共同制作し、チェルノブイリのその後に焦点を絞ったものだ。インタビューと記録文書の集約、ボッドキャストや記録ビデオなどで、ソビエト当局によって災害の報道が故意に遅らされたり何日も隠蔽されたことが明らかになった。その結果、市民たちが環境正義 [19]の大義を掲げて集結することになったのだ。

35年前にチェルノブイリ原発の大惨事が起こりました。この重大事故のおかげでウクライナ住民は環境保護の必要性をより強く意識するようになり、最初の環境抗議行動につながったのです。目に見えない脅威から家族を守ろうと住民たちが力を合わせた様子は#ナシ. 30の続編を見てください。

ベラルーシには、放射能を帯びた風を最もひどく受けたウクライナに接する地区がある。そこでは市民たちが疑惑の選挙とその後の政府の取り締まりの強化に対して抗議を続けている。抗議者たちは紅白の民族衣装を黒色と黄色の服に着替えて、チェルノブイリの暗黒の記念日を祝った。

この女性たちは普段は紅白の服を着て街を歩いていますが、チェルノブイリ原発の大惨事の犠牲者を悼んで服と傘の色を変えました。そしてチェルノブイリ住民と原発事故の除染作業員たちが移住させられた首都のビル群のひとつの前を練り歩いたのです。

立入禁止区域は世界遺産登録可能か

チェルノブイリ原発跡地とその周囲地域は、暗黒の歴史に包まれ現状は悲観的だ。しかしウクライナはなんとかその地域を再生させ、その象徴的な存在を有効活用しようとしている。最近のロイター通信の報道 [26]によると、ウクライナ政府はチェルノブイリとプリピャチがユネスコ世界遺産の指定を受けるべく、すぐにでも申請可能にしようと作業を始めたそうだ。ユネスコからそのような認定を受ければ、もしかすると立入禁止区域により多くの資金と旅行者を呼び込むことができるかもしれないと目論んでいるのだ。

ウクライナのオレクサンドル・トカチェンコ文化相はロイター通信に次のように語った。 [27]

We believe that putting Chernobyl on the UNESCO heritage list is a first and important step towards having this great place as a unique destination of interest for the whole of mankind. The importance of the Chernobyl zone lays far beyond Ukraine’s borders… It is not only about commemoration, but also history and people’s rights.

チェルノブイリのユネスコ世界遺産リスト入りは、この偉大な場所が全人類が目指すふたつとない興味深い場所となる最初の重要な1歩なのです。重要なのは、チェルノブイリの立入禁止区域にはウクライナ国境という以上の意味があること……これはただ追悼するのが目的ではなく、歴史と人権に関わることなのです。

校正:Motoko Saito [28]