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異教徒間対立の融合に奉仕する女性神学者レジーナ・ポラック

カテゴリー: 東・中央ヨーロッパ, 西ヨーロッパ, オーストリア, 女性/ジェンダー, 市民メディア, 科学, 科学界の女性
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レジーナ・ポラック。ジョセフ・クレプラン撮影写真。 www.derknopfdruecker.com [2]、使用許可済み。

科学界の女性 [3]に焦点を当てる一環として、 グローバル・ボイスはウイーン大学神学部実践神学科長 [4]で、人種主義、排外主義、および差別に立ち向かう OSCE議長国議長の個人代表 [5] である准教授レジーナ・ポラック博士に話を聴いた。

1365年にルドルフ4世が創立した [6] ドイツ語圏で最も古い大学であるウイーン大学は、哲学部に限定して 1897/1898学年度女性の入学に門戸を開いた。 [7]わずか3人であった女性入学者は、今や学科にはよるものの入学については平等といえよう。ここ数十年の博士課程を修了した女性の減少といった問題に特定して、公開の場で討論することによって、大学はジェンダーの平等を進める動きを続けている。その分析が浮かび上がらせているのは [7]、女性が学術的なキャリア昇進の階段を昇りつめる時に対処を余儀なくされる、保守的なピラミッド型組織や賃金の不平等などの構造的な問題である。 

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スタッドテンペル [9]、ウイーンの主要シナゴーク。撮影写真 [10]ウィキペディアユーザー・ベラ47、 CC BY-SA 3.0 at.

一人の女性そして母親として学術的なキャリアを持ち続けるために直面した課題、また得ることのできたサポートについて、ポラックは自身の研究に関するインタビューの中でも語っている。彼女の研究は、社会における異教徒間・異文化間の出会いを統合するもので、移民たちがヨーロッパ社会に加わる際に対処せざるを得ない人種差別を始めとする社会集団に関わるあらゆる形の敵意を取り上げている。

ポラックは対話が重要で、対話を実現して育むことはキリスト教徒の使命だと確信している。2021年を希望と回復の年にするために、特にキリスト教とユダヤ教そしてキリスト教とイスラム教の関係における現代の課題を踏まえると、コミュニケーションと理解が何よりも重要である。

グローバル・ボイス(以下GV):宗教間の問題に取り組む場合、 何が最も大きな課題で、その解決法は何だと思われますか?

RP (Regina Polak): I think dealing with the question of truth is the biggest challenge – the conviction that what he or she believes in and what he or she bases his whole life on, is true. This is a great intellectual, psychological, and above all spiritual challenge, which can be quite painful and irritating. Respect and real friendship forms a long-lasting solution.

RP(レジーナ・ポラック):真実とは何かという問題を扱うことが最も大きな課題だと思います。つまりその人が信じているものや人生すべての基盤としているものは真実であると確信していることが課題なのです。これは理性的、心理的、そして何よりも精神的に大いなる課題であり、強い痛みと苛立ちを伴う場合があります。尊重と真の友情が、将来を展望する解決を生みます。

GV:異なる宗教を信奉する人たちに対する敵意を人は乗り越えることができると思いますか?

RP: Structured encounters, authentic dialogue following rules, and education are all important ways to overcome animosities. presupposing that I am willing to understand the other person better. Be critical: Where and from whom did I learn prejudices?

RP:構成的エンカウンター、ルールに従ったオーセンティック・ダイアログ(自分らしさに関する対話)、そして教育はすべて敵意を克服するための重要な方法です。他人をよりよく理解しようとすることが前提です。批判的に考えるのです。自分はどこで誰から偏見を学んだのだろうと。

GV:そうすると、無神論者や原理主義者についてはいかがでしょうか?

RP: Dialogue in a plural society with these groups encourages to better justify one's own belief. Exhausting, but enriching. However, fundamentalist atheism, – like religious or political fundamentalism – is incapable of dialogue and wants to enforce its own worldview by all means. But, there is no alternative to dialogue!

RP:このような集団を含む複合社会では、対話をすることで自分の信念の根拠をより良く説明しようする姿勢が強まります。対話は、疲労困憊しますが実りあるものです。とはいえ、 宗教的あるいは政治的原理主義に似た特質のある新無神論は対話を受け付けませんし、何としても自身の世界観を押し付けたがります。それでも、対話にとって代わるものはあり得ません!

GV:異なる信条に対して寛容でないのは、それぞれの信心深さ次第ということなのでしょうか?

RP: Yes and no. Yes, because in all religious traditions, there are interpretations of the sacred texts that are associated with a fundamentalist understanding of truth, and a derogatory attitude towards people of other faiths. No, because such interpretations often have historical and cultural causes as well as political interests, or are favored by authoritarian personality structures.

RP:そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます。そうであるというのは、どんな宗教伝統においても、原理主義者が理解する真実に結びつく教典の解釈があり、その上他の信奉者に対して、一種見下すような考え方があるからです。そうでないというのは、そのような解釈には政治的な利益はもちろん歴史的で文化的な要因がしばしばあるからです。言い換えれば権威主義的な人格構造に好まれるのです。

GV:神学は現代の社会問題にどう関わっているのでしょうか?

RP: Over the years, my theological research has become significantly more political and part of public debate. In German-speaking countries, I am currently observing a reception of postcolonial theologies among young scholars, but also socio-ethical issues such as bioethics, digitization, and gender issues. The theological reflection of the climate crisis is, for example, a core theme of theology, since it is about the question of our continuing existence. 

RP:年を重ねるにつれて、私の神学研究はずいぶん政治的になり、公の議論でも取り上げられるようになりました。私がいま注目しているのは、ドイツ語圏の国々では、若い研究者たちの間でポストコロニアル神学が広まっていること、それに、生命倫理学、デジタル化、ジェンダー問題などの社会倫理問題です。

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聖トリニティ・ギリシャ正教会
[12]写真 [13]ウィキペディアユーザー・Bwag 撮影、 CC BY-SA 4.0.

GV:オーストリアは最近数十年、バルカン諸国からは、ほとんどが非カトリック教徒の新しい市民、主としてボスニアからはイスラム教徒そしてセルビアからはキリスト教正教徒の流入を受け入れましたが、この地域の政治はどのように異教徒間対話に影響しているでしょうか?

RP: With regard to Christian Orthodoxy, there is a long and proven ecumenical movement in Austria. Interestingly, politics in the Balkans region plays little role in the dialogue with Muslims. At the same time, the dialogue with Muslims in Austria has become much more difficult because it takes place in the context of political and public discourses that show massive anti-Islamic traits.

RP:キリスト教正教会に関しては、オーストリアには長い実績のある世界教会運動があります。興味深いことには、バルカン半島地域の政治は、イスラム教徒との対話においては取るに足りない役割しか果たしていません。それに加えて、オーストリアでのイスラム教徒との対話はさらに困難なものになってきています。圧倒的反イスラム性が明らかな政界や一般社会での議論の文脈で対話が行われているからです。

GV:中央ヨーロッパ全体の平和と紛争という観点から見ると、あなたの研究は過去の遺産を上手く処理することに成功していますか?

RP: The Catholic Church in particular has made a great conversion since the Second Vatican Council [14] and recognized Judaism as a sister religion. Many faithful unfortunately do not know this history, yet. Unfortunately, it is different in the dialogue with Muslims. As for migration, it is regrettably clear that the historical inheritance of racism and xenophobia is still very much present. 

RP:特にカトリック教会は、第2バチカン公会議 [15]以来大きく転向し、ユダヤ教を姉妹宗教として受け入れました。多くの信者は残念ながらまだこの過程を知りません。不運なことですが、イスラム教徒との対話においては状況が違うのです。移民についていえば、人種差別とゼノフォビア(外国人嫌悪)の歴史が依然として継承されているのは遺憾ながら明らかです。

GV:OSCEの一環として、博士の研究は機構の使命にどのように反映しているのでしょうか?平和に貢献する政治ということについて、宗教はあるべきものとして重要だとみなされていると思いますか?

 RP: Yes, the OSCE takes the topic of religion very seriously, but as part of its comprehensive approach to protect and promote security and peace. This means that the OSCE has a human rights approach to religion – protecting and promoting respect for the freedom of religious or belief. 

RP:はい。OSCEは宗教の話題を極めて深刻に捉えます。でも、それは安全と平和を守り促進する包括的アプローチの一環としてということです。OSCEは宗教を人権として捉えたアプローチをします。つまり、信教の自由を擁護し促進しているのです。

GV:では、オーストリア、ヨーロッパ、さらに世界にとってイスラモフォビア(イスラム教徒に対する偏見や憎悪)の増大に関して、宗教間の対話はどのような解決策を提供できるとお考えでしょうか?

RP: Interreligious dialogue cannot solve the social, political and economic causes that underlie the hostility towards Muslims. But it can, most importantly, contribute religious ideas to a more peaceful and just coexistence.

RP:異教徒間の対話でイスラム教徒たちに向けられた敵意の根底にある社会的、政治的、経済的な原因を解決することはできません。それでも、一番重要なのは、対話が宗教的な考え方をもたらすことで、より平和で公正な共存が可能になることです。

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ウイーン・イスラミック・センター。 [17]写真 [18] ウィキペディアユーザー ・Bwag 撮影 CC BY-SA 4.0.

GV:学術的なキャリアに関して、個人的なお話をもう少し聴かせてください。

RP: I have always been a curious child with a strong interest in questions concerning the meaning of life and the role of God in the entire whole. I had a great teacher who inspired me to keep exploring my curiosity for everything around us and later on to pursue religious studies. Of course, from that starting point to today, it was a long road with unexpected turns.

RP:私はいつでも、人生の意味と万物一切における神の役割に関する問題に強い関心を持つ好奇心旺盛な子供でした。私には素晴らしい師がおりました。私たちを取り巻くすべてに対する好奇心を探求し続け、後に宗教学に進むようインスパイアしてくださいました。もちろん、その出発点から今日までは、予期せぬ変化を伴った長い道のりでした。

GV:予期せぬ変化ですか?

RP: Theology is the most fascinating discipline I can think of encompassing spiritual wisdom, ethics, literature, philosophy, history, social science, and many other disciplines. However, I took a detour into philosophy and journalismbefore working as an assistant at the department for Practical Theology and studying theology in 2000.

RP:神学は崇高な知恵、倫理学、文学、哲学、歴史学、社会科学、その他さまざまな学術分野を包含する、私の知る限り最も魅力的な学術分野です。とはいえ、2000年に実践神学部で助手として働いて神学を学ぶ以前には、私は哲学とジャーナリズムに回り道しました。

GV:女性として母親として、その後のキャリアをどのように進めていかれたのですか。

RP: Two years later, at the beginning of my 30s, I became head of the department. It was a tough time as I had to do research for my Ph.D., my exams, teach, and take care of my son. My incredible colleagues and family supported me so much – I would not be in my current position, and without regret, if it had not been for them. Maternity leave would definitely have ended my career.

RP: 2年後、30代の初めに私は学部長になりました。そのころは博士号のための研究と私自身の試験と指導、加えて息子の育児をしなければならなかったので大変な時期でした。私の素晴らしい同僚たちと家族は大いに私を支えてくれました。彼らの支えがなければ、私の現在の立場はありませんでした。しかも後悔もしませんでした。支えがなければ産休で間違いなく私のキャリアは終わっていたでしょうね。

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シュテファン大聖堂 [9]、ウイーンの主要ロマンカトリック教会。 写真 [20] ウイキペディアユーザーBwag 撮影 CC BY-SA 4.0.

GV:研究職で仕事をして信仰を深めていくことと博士が女性であることと、どのようにバランスをとっておられますか?

RP: My Catholic identity results in a duty to explore interfaith dialogue. I do not see a conflict to be devoted to the church, my work, and being a woman. I am true to my church as I believe they people from the church bring valuable pearls of wisdom to humanity. And if one wants to change a faulty system, what better way to do so than from within? History proved, minorities are the ones who bring in innovation and possibilities.

RP:私がカトリック教徒であることは、異教徒間対話を探求するつとめに帰着します。教会に献身して自分の仕事を大切にすることと女性であることに葛藤を感じることはありません。私は教会の人々が人類にとって貴重な知恵の宝庫をもたらすことを信じておりますので、教会に忠実です。さらにもし、不完全なシステムを変えたいと思えば、内側から変えることより他に良い方法はあるでしょうか?歴史が証明しています。新しい切り口と実現性を運び込むのは少数派なのです。

GV:宗教信条の違いから派生する女性蔑視は、あなたの研究にどう影響していますか?

RP: I sharpen my rhetoric against it. As a woman, you need to take responsibility for yourself as my mother and sister taught me from a young age onwards. The world is not a utopia, and when you do feel fear, you need to act accordingly.

RP:私はそれに対抗するレトリックを研ぎ澄ましています。女性としては、母や姉が私に小さいころからずっと教えてくれたように、自分自身に責任をとる必要があります。この世はユートピアではありません。ですので恐れを感じるときは、適切に行動すべきです。

GV:ご自身の進路に迷いが生じるような、身をおびやかす状況を経験したことはおありでしょうか?

RP: When situations occur, I speak up about it. My age does keep me safer in this environment. However, I am extremely lucky violence never happened to me, but if it had happened, I think I would have continued my work as this is my vocation. At least, I hope I would make that choice.

RP:問題が起きた時には、私は声を上げます。私の年齢が、この環境で私をより安全に保ってくれています。私は極めて幸運で、暴力にさらされたことは無いのです。しかしもし暴力に遭っても、これは私の天職ですから研究は続けると思います。少なくとも、その選択を希望しますね。

GV:他の女性研究者に一言アドバイスをするとしたら、どのようなものになるでしょうか。

RP:  An academic career is like climbing a mountain. Never do it alone and have a safety net if you do fall. Especially as a woman. In Austria, it is still hard for a woman to enter the field of academic research.

RP:学術的なキャリアは、山を登るようなものです。一人で登ってはいけませんし万一のためにセーフティーネットを持つことです。特に女性として。オーストリアでは、依然学術研究の分野に参入することは、女性にとっては困難です。

GV:有色人女性にとってはいかがでしょうか?

RP: There is much denial in society when it comes to racism, and dialogue about it includes layers of talking around it till the point is softly conveyed. After the defeat of the Nazis, the German word for race, ‘Rasse’, was abolished from the language. With that, it seemed even the phenomena of racism as being an actual thing disappeared, including addressing the harsh reality we still live in today.

RP:人種差別のことになると、社会の多くの人が現実から目をそらしますので、人種差別に関する対話は、論点が静かに伝わるまで、さまざまな議論を重ねます。ナチスが敗北した後、ドイツ語で人種を意味する「Rasse(品種)」という語は廃語にされました。それと一緒に、私たちが今なお生きている厳しい現実に向き合っていることなど、現に目の前にある人種差別の現象さえ消滅したかのようです。

校正:Shigeru Tani [21]