HIV患者のゲイを支援するウズベキスタンの活動家たち

(原文掲載日は2020年5月21日。リンク先には英語のページも含まれます)

Inge Snipによるイラスト。許可を得て使用。

ディマ(仮名)はビールに口をつけ、目にいっぱいの涙を浮かべる。自身の活動を休止する理由を語ることはほとんどない。彼の記憶にあるのは、2017年のある雨の日。晴天の多いウズベキスタンの首都タシュケントで、住民たちが家に籠っていた日だ。

彼は、連絡を取った男性と一緒に地元の感染症クリニックへ行く予定だった。男性はウズベキスタンの有名なミュージシャンで、長く具合が悪かったため、彼が初めてHIV検査を受ける際にサポートする約束をしていた。これはディマの活動の一部だった。出会い系アプリを使い、HIV陽性ではないかと疑っているゲイたちに支援やアドバイスを行っていた。自らも数年前にHIV陽性となり、長い恐怖と絶望を味わっていた。

しかしその雨の日、彼は家にいることにして、面会を延期した。1日遅らせても何も変わらないだろうと考えたのだ。ディマは翌朝、ミュージシャンの男性に電話した。しかし男性がその電話を取ることは二度となかった。

「あの日に会っていたとしても、彼はおそらく亡くなっていたと思います。ひどく具合が悪かったので」と、目の前のビールグラスを見つめながらディマは言う。「だけど僕にできることはそれだけでした。それ以上の力はありませんでした。こうして僕は限界を感じてしまったのです」

差別への恐れから、記事では自身の名前を伏せてほしいと頼まれた。彼は、ゲイにHIV検査を受けるよう勧め、そのプロセスを支援する、数少ないウズベキスタンの活動家のひとりだ。

ディマによると、新型コロナウイルスによるソーシャルディスタンスが求められる前から、ゲイのウズベキスタン人が仲間やコミュニティを作ることはなかったという。彼らには、シェルターのような支援を受けられるゲイクラブなどの組織もなければ、公共の場で大規模な集団になることもない。

「オープンに生きたいと思っているゲイはほぼいません」とシュフラト(仮名)は語る。彼はコーカンドの保守的な街で育ち、現在はタシュケントに住む起業家のゲイだ。「私たちは、『社会の独裁体制』の中で暮らしています」と彼は教えてくれた。

刑法第120条:男性同士の恋愛の禁止

ウズベキスタンは、2つしかない旧ソビエト連邦の国のひとつだ。なお、もう1つはトルクメニスタンである。女性同士の性行為は合法だが、男性同士の性行為は未だに違法である。逮捕されると、忌まわしき刑法第120条に基づき、最長3年の禁固刑に処される。実際に執行されることはめったにないが、人権活動家たちは、この刑罰化によってウズベキスタンが「反LGBTの国」という汚名を被っていると語る。

現大統領のシャヴカト・ミルズィヤエフが2016年末に権力を得てから、ウズベキスタンは自由主義的な改革を称えられてきた。社会的地位のある政治犯を50人以上解放したり、市民が公然と政府を批判できるようにしたりしている。

しかしゲイのコミュニティには自由が与えられていない。2018年、ウズベキスタンの官僚は、国連が推奨する人権に関する法律の改善を数々受け入れた。拷問の撤廃もその中に含まれる。だが、男性同士の恋愛を禁止する法律には手がつけられないままだった。ゲイの人々に対する敵意もウズベキスタンの社会に広がり、時に残酷な結末を迎えている。2019年9月、当時25歳だったゲイのショキル・シャフカトフは、インスタグラムでカミングアウトした数日後、自宅マンションで殺害された。

国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)によると、HIVを患うウズベキスタン人は年々増加している。国内のLGBTの人々の間で流行しているという特定のデータはないものの、同性と性交した男性は世界的に大きな患者人口である。ウズベキスタンの人権擁護派は、特に郊外の小さな町に住む多くのゲイは、医療関係者が彼らの性自認やHIVの状態を知って、職場や家族に伝えてしまうかもしれないという恐怖から、定期的なHIV検査を拒んでいると主張する。HIVがどのように伝染するかという知識が欠けている人も多い。学校での性教育が義務ではないからだ。2010年、活動家のマキシム・ポポフは、HIVの認知を高めたという理由で懲役7年を宣告(その後釈放)された。国の文化に背いたとみなされたためである。

大都市の全面的なロックダウンなどの新型コロナウイルス対策の下、HIVセンターに行くのはもちろんのこと、検査を受けることがより困難になっている。郊外だとなおさらだ。

HIVへのアドバイスや支援を提供するアプリの使用

イリナ(仮名)はこの難しい現状をよく理解している。彼女は2011年から2018年までの間、ソーシャルワーカーとしてHIV陽性患者を支援していた。プロジェクトが終わり職も失ったが、支援業務そのものを辞めることはできなかった。「給料も出ませんし、仕事でもなくなりました。けれど人々はいるのです。彼らを無下に扱うことができるでしょうか」と彼女は言う。

「私は目の前に人が立っている時、何をすべきか知っています。医者が彼を診察し、『あなたはHIV患者です』と告げます。そして彼は診察室に残され、私と二人きりになります。その時の反応はたいてい、泣く、ヒステリーを起こす、気を失う、冷たく笑う、の4パターンです。陽性と告げられた彼は座りこみ、笑うのです。これが何よりもつらい瞬間です」

そのため、イリナはゲイ向けのデートプラットフォームに男性の名前でプロフィールを登録し、HIVへのカウンセリングや支援をしていると記載した。

「私はニキータという名で通っています」と彼女は言う。「多くの人がメッセージを送ってきます。私はHIV検査を受けられる場所を伝え、さらに必要であればできる限りサポートします。助けを必要とする友人がいる人は、その人を私のところに連れてきます」

他の活動家たちとともに、イリナはTelegramにチャンネルも作った。Telegramはウズベキスタンで最も人気のあるアプリのひとつであり、HIVの予防や治療について、より多くの情報を提供するためだ。

そのチャンネルでは、HIVの投薬治療を受ける方法を教えている。2021年の夏までは、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)やウズベキスタン政府が資金を出すため、無償で治療を受けることができる。ただ、それ以降も治療が無償かどうかは不透明だ。

イリナはオフラインでも活動しており、医療関係者にきちんと患者を治療して正確な情報を提供するよう促すため、クリニックでボランティアを行っている。

ウズベキスタンにおいてゲイの人々への治療は違法でなく、医師には患者の個人情報を保護する義務があるものの、ホモフォビア(同性愛嫌悪)によって専門的な治療を受けられないケースがあるという。

彼女は、ある若い男性に起こった出来事を話してくれた。「彼はクリニックに行って匿名で検査を受け、電話番号を残しました。程なくして看護師から電話があり、その日のうちに戻ってこなければ警察を呼ばないといけなくなると言われました。彼はショックを受けました。理由は、自分の病状がわかってしまったことと、その看護師の態度でした」

彼は、家族にも伝えていなかったという。「私が彼を登録させ、治療を受けさせました。しかし親類が何らかの方法で見つけ出し、彼の中には人を惑わす悪魔がいるからモスクに行けと言うのです。同性愛者はモスクが引き受けてくれるからです」

「私はこれでも生きていくのか?」

もっと寛容な家族もいる。ディマはボーイフレンドと一緒に暮らしており、両親もその関係を受け入れているという。彼は職場でもカミングアウトしたが、多くのゲイのウズベキスタン人、特に郊外に住む者にとっては、オープンに生きることなど論外であるとも語る。

つまり、彼は「いかなる変化も下から始めるべきだ」と主張している。このため、イリナもディマも隠れた活動を続けている。ディマにとっては、今は自分のコミュニティにいる知り合いのゲイたちを支援するということだ。イリナはオンラインでの活動を続けている。

しかし彼らは、公共団体の支援やHIVに関する全国的な周知運動、学校での性教育や同性愛の非刑罰化がなければ、自身の活動やその影響は今後も限定的であり続けると結論付けている。

これからも、耐えがたいものにもなるだろう。「毎日のように目の当たりにします。その人はあなたを見つめています。体重はわずか40キログラム。リンパ節は肥大し、40℃に迫る高熱です。下痢も止まりません。彼は問いかけます。『こんな状態でも生きていくのか?』と」。イリナは言う。「もちろん生きていきましょう、と答えます。ですが、私自身にもわからないのです」

記事中の名前は仮名です。

この記事は元々、openDemocracy50.50のLGBTQ+と女性の人権のセクションに公開されたものです。許可を得て再掲し、グローバル・ボイスの様式に沿って編集しています。

ウズベキスタンの社会の変化について、詳しくはこちらもご覧ください。

校正:Moegi Tanaka

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