死と隣り合わせの日々 SNSに見る、ガザの人々の声

(訳注:原文掲載日は2021年5月23日であり、記事内容は当時の状況を反映している)

リハーム・アルコラクがFacebookに残した最後の投稿。この投稿の数日後、彼女はイスラエルによるガザ攻撃の犠牲者の一人となった。爆弾はリハームの家を直撃し、彼女は家族全員とともに命を落とした。この投稿に対して何千人ものFacebookユーザーが反応し、多くの人々が彼女とその家族に祈りを捧げた。

人は皆、死を恐れる。しかし、実際に死を待ち構えているとき、その恐れは身がすくむような恐怖に変わる。

イスラエル軍がガザ地区に爆弾の雨を降らし始めた5月10日以降、停戦協定が発効するまでの11日間もの間、包囲されたこの地に住む 200万人以上のパレスチナ市民は恐怖に怯えながら生活していた。空爆は激しく、ガザにいるパレスチナ人は次のミサイルで今すぐにも、がれきに埋もれた死体になるかもしれないと覚悟しながら、家の中で死を待つことしかできなかった。

少なくとも248人のパレスチナ人がイスラエルのガザ攻撃によって亡くなり、犠牲者の中には66人の子供と9人の女性が含まれていた。一方、ガザを支配するイスラム原理主義組織ハマスのロケット弾によって、12人のイスラエル人が亡くなった。イスラエルの防空システム「アイアンドーム」がハマスの何千発ものロケット弾を迎撃し、イスラエル人がシェルターの中でハマスの攻撃から身を守ることができる一方で、ガザにいるパレスチナ人には死や恐怖から身を守るものが何もなかった。

これはバンヤス・ジャワドがガザで5月16日に感じたことを投稿したツイートである。

これが最後の夜なのだろうか。
アッラーよ、私たちに最後の夜が来たようです。

イスラエルのガザに対する空爆は、ハマスがイスラエル占領下のエルサレムに向けてロケット弾を放ったことに対する報復であった。エルサレムでは、イスラム教徒の聖地であるアルアクサ・モスク周辺やシェイク・ジャラ地区からの撤退期限をハマスが示していたにもかかわらず、イスラエル警察やイスラエル人入植者がそれを無視していたため、何週間にもわたって暴力的な衝突が続いていた。イスラエル警察は、住居を立ち退くよう求めた退去命令に抗議するパレスチナ人デモ隊に対しゴム弾と銃弾を用いて、両地域で何百人もの負傷者を出していた。これら一連の出来事は4月中旬のラマダン開始以降に進行し、最終的に「ダマスカス門攻撃」として知られるようになった。

イスラエルの空爆はガザに破壊と死をもたらし、ガザの人々は苦痛な思いを世界に向けてツイートした。

5月14日、アフメド・モータージャは以下のようにツイートした。

あぁ、私たちは数字ではないし、このような死に方をする動物でもない。どうか私たちの名前、外見、特徴、物語、そして夢を覚えていてほしい。私たちはただの数字ではないんだ。

一方、ガザ在住のジャーナリストであるマラ・エルワディアは、2014年のガザ戦争での経験を思い起こしていた。その戦争は7週間続き、2200人以上のパレスチナ人が亡くなったが、その大半は一般市民だった。母親となった彼女は、現在の状況を2014年と比べた。

2014年の戦争では、私は家族と共にいて、(当時の状況に)耐えることができなかった。現在、私は母親で、私と共にいる息子、外で働いている夫、そして昨夜上空にロケット弾やミサイルが飛び交う中で家を包囲された私の家族のことを考えている。

もう1人のガザ市民であるヌールは以下のようにツイートした。

人生における最も困難な経験は、戦時下に父親や母親でいること。怯える子供を目の前に、完全なる無力感を味わうことになる。子供を安心させてあげられない無力感は、言葉で言い表すことができない。

一方、5月15日、リハーム・アルコラクはFacebookに次のように投稿した。「あぁ神よ、どうかご慈悲をください。こんなの耐えられない。」翌日、リハームは最後に次のように投稿した。「あぁ、アッラー、私たちを守ってください。」この投稿は、彼女と彼女の家族全員がイスラエルの空爆によって亡くなった後、8300人を超える人々にシェアされた。

現在ガザで暮らす人々に限らず、海外で暮らす全てのパレスチナ人、特にガザ出身者は同様の恐怖を感じている。

イギリス在住のガザ出身の医者であるサイード・ヤコウビは、5月18日、Facebookに以下のように投稿した。

「私の父は壊された家の前で、がれきの中に座り込んでいた。前の晩、近所では10人もの人が (2人の女性と8人の子どもが) イスラエルのテロリスト軍によって殺されていた。彼の瞳は苦痛に満ちていて、身体は疲れ果て、左手は負傷して服に血がついている。胸を締め付けられるような彼の表情は、私たちが感じている多くのことを語っている。」

空爆との共存、レジスタンス、死からの逃避

ガザ在住のラシャ・アブシャバンは頻繁にツイッターを更新し、ガザの外で暮らす人々が知らないような詳細を伝えた。ガザの人々はイスラエルが空爆を続ける中で、一見普通に見えるような日常を送り、ラマダン明けの祭日イード・アル・フィトルを祝うことで、空爆と共存しようと努力していた。彼女は、自分の家族がパレスチナの伝統を守って、この祭日を祝うための牛肉の煮込み料理を作る様子をツイートした。

空爆が続く中、私たちはスマギヤを作るためにチャードの下ごしらえをしている。母は、死んでも死ななくても、スマギヤ無しでイードを祝うべきではないと断言した。これはレジスタンスなのだろうか?(訳注 : スマギヤはガザの伝統的な料理で、特別な日に作られる。チャードはほうれん草に似た野菜。)

しかし、彼女のツイートにはガザの人々が耐え忍んでいる恐ろしい状況も映し出されている。彼女は別のツイートでこの状況を、まるで「最後の審判の日に向けたリハーサル」のようだと表現した。

どうやって私たちの神経がこの現状を受け入れているのか、もしくは必死で受け入れようとしているのかわからないけれど、この武力攻撃が終わった後に生き残ったガザの人々は皆、一生かかっても癒せない心の傷を抱えて生きることになるだろう。

別のガザ人の母親は「死から避難」する試みについて以下のように綴った。

強い衝動を感じて、私は子供たちの顔を洗い、美しい髪の毛をとかして、最も美しい服で着飾った。私は彼らを長く強く抱きしめて、そのいい匂いをかいでいた。子供たちはとても美しくなった。死の標的にできないくらいに。どうか今回も見逃してください。

同様に死を欺こうとする試みについて綴ったハリード・サフィのツイートは、何千回もリツイートされた。

とても奇妙なことだが、今日私は兄と自分の子供を交換した。私は彼の子供2人を預かり、彼に自分の子供2人を託した。こうすれば、もし占領軍の空爆を受けたとしても、私たちの子孫は生き延びるだろうから。どうか神が私たちとパレスチナ人をお守りくださいますように。

ガザ市民はまた、携帯電話やカメラを用いて住宅ビルが街中で爆撃された瞬間を記録しSNSで実況した。その中には、国際報道機関のオフィスが入っていたにもかかわらず5月15日にイスラエルの空爆の標的にされたアル・ガラ・タワーも含まれていた。

恐ろしい光景だ。@AlarabyTVの特派員@salehalnatoorが報じた、アル・ガラ・タワーが崩れ落ちる瞬間の映像と音声。

停戦により空爆が止んだ今、多くの人々は停戦が一時的であることを恐れているが、ガザの生存者たちは、11日間の容赦のない空爆によって、町のインフラが受けた多大な損害や心の傷の大きさについて、SNSで詳細をシェアしている。

校正:
Yoko Higuchi

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