ケニア自動車産業の技術革新と製造の歴史を辿る

The Opibus, the first-ever electric bus designed and developed in Africa. Image source; https://twitter.com/Opibus1

このオピバスはアフリカで設計開発された初の電気バス。https://twitter.com/Opibus1から転載。

スウェーデンとケニアの合弁によるテクノロジー企業オピバス社は、2022119日、アフリカですべて設計開発された初の電気バスの試験運用を開始すると発表した。電気自動車(EV)がケニアに登場したのは初めてであり、ケニア人技術者が国内の協力会社を使って設計開発を全て行った。このグループは2023年末の量産開始に先立ってナイロビの道路で試験運用を予定している。

グローバル・イノベーション・インデックス2021年でケニアは現在、エジプト、ルワンダ、ナイジェリアに次いで4位につけている

ケニア初の電気バスを発表できることを光栄に思います。このバスは設計も開発もすべてアフリカで行われました。
国内のメーカーと世界的なサプライヤを活用してアフリカの公共交通部門にマッチした車を開発しました。
この電気バスについて詳しく知りたい方はこちら:https://t.co/Xlhjq1H0YE

— オピバス (@Opibus1) 2022年1月19日

工業生産に関して言えば、自動車は国における工業開発の水準を最も象徴するものとみられている。しかし、オピバス社がケニアで急成長した初の国産車メーカーというわけではない。

ニャヨ自動車 

1986年、ケニア政府は自動車の設計製造に向けたプロジェクトを開始した。ケニアの第2代大統領ダニエル・トロイティッチ・アラップが指揮を執るニャヨ自動車製造プロジェクトは、大統領の名セリフ「フアタ・ニャヨ(fuata nyayo)」にちなんで名づけられた。この言葉はスワヒリ語で「後に続け」を意味し、大統領自身もニャヨというあだ名で呼ばれるようになった。

ケニア初の国産自動車設計製造という大胆なプロジェクト第一陣の先陣を切ったのはナイロビ大学の研究者たちだった。研究者たちは試作車を5台製作し、パイオニア・ニャノ・カーと名づけた。この試作車は時速120キロまで出せたものの、大量生産され国内市場に投入されることはなかった。資金がすぐに底を尽きてプロジェクトを断念せざるを得なかったからである。

このプロジェクトはマレーシアに触発されて始まった。マレーシアでは、同国政府と三菱自動車との提携の後、198579日に初の国民車プロトン・サガがリリースされている

アフリカのためにアフリカで作られた高級SUV

2010年、イギリスのコンピュータ技術者ジョエル・ジャクソンが、アフリカ市場に向けた自動車を製造する完成車メーカー(OEM)のスタートアップ企業、メビウス・モーターズ・ケニア社を設立した。

第1号試作車メビウス Iは、高級SUVから必要最小限の機能だけを残した頑丈で実用的なモデルである。このモデルはジュア・カリ(「暑い日差し」という意味のスワヒリ語)と呼ばれる私的な小規模製造業に従事する溶接工や機械工によって組み立てられた。

それ以降、このスタートアップはメビウス II(第1世代、第2世代)、オリジナルのメビウス Iの設計をベースにしたメビウス III を製造した。

メビウス II(第1世代)は201410月にリリース。小売価格8,800米ドルで、ケニアで最も手頃な価格の新型車として賞賛された。しかし、発売以来まだターゲット顧客の心をつかみ切れていない。SNSでは賛否両論を巻き起こし、中にはこの車は真のケニア製ではないという主張さえ見られる

最近国産のメビウスに乗ってみました。かなり頑丈な車です。ケニアを買ってケニアをつくろう。
— キプロノ・キトニー、 EBS (@KipronoKittony) 2021年9月7日

別のツイッター・ユーザー、モーリーンはこの会社の業績を讃えた。

ケニアの製造業についてサクセスストーリーが書かれるときには、アフリカの市場に向けて自動車を製造した初めての会社として、メビウス・モーターズ・ケニア社が登場するでしょう。

— モーリーン・ワンブイ (@WambuiKikuyu01) 2021年9月23日

20213月、ケニア政府の歳入庁(KRA)が法外な課税を行ってから、同社が資金難に陥っていると伝えられた

帰ってきたプロトン・サガ

マレーシアの国民車プロトンをベースにケニアが初の国産車製造に着手して35年以上が経過した2021年。この年、自動車産業に関心を寄せる統合ビジネス企業シンバ・コープとの国内組み立て契約が成立し、プロトン・サガがケニア市場で再デビューを飾った。このセダン車は日本からの中古車に席巻されてきた市場を掴もうと狙っている。

政府は競争力強化と国産製品及びサービスの消費拡大を目指し、『ケニアを買ってケニアをつくろう』キャンペーンを展開してこの車を売り出した。メーカーは6千台の生産を約束している

スポーツくじの会社ショッピングモールではこの自動車は極め付けの景品として引っ張りだことなった。

国産トゥクトゥクのライキピア

ボダボダと呼ばれるバイクタクシーの運転手から機械工に転身したサムエル・ガトニエは5人の子どもの父親である。彼は自宅のカレージにあった金属くずで組み立てた最初のトゥクトゥク(力車)を2年前に売り出した。

今年47歳になるガトニエは義務教育を2年ほど残して学校を辞めたが、その後すぐに最初の発明に取りかかった。16年後、BJ-50と名付けた彼のトゥクトゥク第1号車は地元の発明博覧会でデビューした。その車は最高速度時速70キロで7人乗ることができる。

ガトニエはそれ以来、車の発注や認可からトレーニングや組み立て工場に至るまで、郡政府にも中央政府にも多大な援助を受けた。その間に、モデルにはライキピア BJ-50という名称が与えられた。

山あり谷ありの人生を送ってきたガトニエだが、彼の発明品はSNSで議論の的となった。彼のBJ50が地元ライキピア郡の発明博覧会に初お目見えした直後、ケニア人がそのデザインや色について荒らし投稿をしてあおったのだ。

ツイッター・ユーザーのカマウのように、ニャヨ自動車とライキピアBJ-50に対する政府の援助には似ているところがあると指摘する者もいる。

現大統領ウフル・ケニヤッタは第2代大統領モイの失敗を1から10まで真似るだけにとどまらず、その失敗の基準のハードルを懸命に上げようとしています。恥ずかしい話です。ニャヨのパイオニア I の方がずっと良かった。1986年の話ですよ。これは酒ではありません。なにやら政府の連中が吸ったり嗅いだりしているものがあるのです。

— カマウ (@kamauwawangari) 2020年7月24日

別のツイッター・ユーザー、デービッド・ムゴが書いているように、BJ-50と違いメビウスはケニアの人たちの信用を、いやそれよりもっと重要な政府の信用も得るのに四苦八苦したのだ。

真実を直視してください。メビウスはライキピアのトゥクトゥク以上に私たちがサポートしたりPRするに足るケニアブランドなんです。なぜ政府はメビウスを使っていないのでしょうか? 無理やり株式投資して失敗した政治家でもいるんですか。ケニアの技術革新について語りましょう。それが出発点です。

— デービッド・ムゴ (@raidarmax) 2020年7月24日

昨年、ガトニエの新しい組み立て工場がBJ-50のピックアップトラック版をリリースした。重量物が運べる低コストでメンテナンスが楽な車に対する需要に応えるためである。

19時57分 ライキピアBJ-50にトゥクトゥクバージョンが登場、2分の1トンの荷物が楽に扱える。まだ荒しをしているのですか。自分を信じれば道は開かれます。

— Ma3Route (@Ma3Route) 2021年8月16日

工業開発を強力に推し進める国になろうとして様々な失敗を重ねたことはさておき、ケニアはオピバスに導かれ他国との新しい関係構築の時代に入った。今年の中ごろには初の電気バスの商品化が予定されている。アフリカ大陸諸国が国産の持続可能な輸送手段を開発しようとしているなかで、これは画期的な出来事である。

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