- Global Voices 日本語 - https://jp.globalvoices.org -

独立と自由を求め、ミャンマーの詩人たちは先頭に立ち続ける

カテゴリー: 東アジア, ミャンマー (ビルマ), 人権, 市民メディア, 戦争・紛争, 抗議, 政治, 検閲, 歴史, 芸術・文化, 行政, 言論の自由, 架け橋, Myanmar Spring Revolution
[1]

2021年2月1日のクーデター以降、3人の詩人が軍政に殺された。左からケーザウィン、チーリンエー、ケッティー。写真提供: イラワジ。使用許可取得済み。

ミャンマーの独立系ニュースサイト、イラワジの記事 [1]をコンテンツ共有契約に基づきグローバルボイスに編集、転載します。
(訳注:この記事は2021年5月15日に公開されました。地名の呼び方は元記事に準じています)

詩人ケッティーは5月8日の夜、約100人の軍人に取り押さえられ、翌日死んでいた [2]。妻の話では、遺体をモンユア [3]の病院から引き取るために当局の許可を得ねばならず、内臓は検死のために取り除かれていた。

45歳の詩人は爆発物の所持を理由に逮捕されたが、彼の家から証拠物は発見されなかった。この2ヶ月でサガイン地方域にあるモンユワで軍政により殺された詩人は彼で3人目だ。詩人のケーザウィン (39) とチーリンエー (36) は3月の衝突時に射殺された。

軍政に対抗して結成された国民統一政府 (NUG) の国防大臣で元詩人のウー・イーモン [4]はFacebookで次のように述べた。

Khet Thi and K Za Win, two Monywa poets have fallen. I am sad. I am committed to fight until we win.

ケッティー、ケーザウィン。2人の詩人がモンユワで倒れた。悲しいが私は誓う。勝つまで闘い続けると。

軍政 [5]に反対する人々に連帯を示す詩人が、ヤンゴン、エーヤワディのパテイン、タニンダーリのミェイクでも拘束されており人数は12名以上になる。

独立、軍政からの脱却と長く続くミャンマーの社会・政治闘争史の中で、詩人は言葉の力で不正義と戦ってきた。

ビルマ王朝最後の君主、ティーボー王 [6]が廃帝となりこの地を去って後、サヤペー、セブンニーサヤドー、ウー・チョ、マウンタンウーチョーフラと王城のあったマンダレーの有名詩人は王国を想い、祖国を讃える詩を書いた。サヤペー [7]はペンだけでは足りず、剣を手に取るためにシャン州におもむき、その地で死んだ。マウンタンウーチョーフラは反植民地主義の詩を書き植民地政府に逮捕された最初の詩人だ。

植民地時代最大かつ最高の詩人タキン・コウドーマイン [8]は本名マウンルンで、対英独立のため詩で戦うことを表明した。ミャンマーの人々の心に独立への願望と祖国意識をもたらしたのは彼の詩の力でもある。

彼は反植民地主義のナショナリストでタキン党 [9] (われらビルマ人党) の有力な支援者であったため、1941年には英国植民地当局の「ビルマリスト」に名を連ね、「体制の敵」となった。タキンたちはミャンマー独立闘争で重要な役割を果たすが、彼らは政治意識を高めながら、ナショナリスト的要素と新しい政治的理想を結び付けていった。

独立後の反ファシスト人民自由連盟 (AFPFL) [10] 政権の時代、詩人のダウンヌエスエ、ネートゥエニー、マウンインモンはほかの詩人と共に、反戦詩や官僚主義を風刺する詩を書く一方で学生、労働者、農民の社会運動を詩作で支援した。

しかし1962年にネーウィン将軍が権力を掌握後、厳しい検閲がひかれるようになった。詩人ミンユワイは、独裁者を暗に批判する詩を書いたため、軍が発行する雑誌ミャワディーの編集長を解任された。

詩人のウインラッとPerspective誌編集長ウィンケッは、ネーウィンと彼の妻キンメイタンを風刺する詩を出版したとして2年間の服役を宣告された。

ビルマ社会主義計画党 (BSPP) の支配の時代には、多くの詩人が政権の抑圧に抵抗するあらゆる運動に参加し刑務所に入れられた。

1970年代にココ諸島で政治犯として服役していたマンダレーの詩人レイ・マウンは、他の囚人と共にハンガーストライキを打ち、ビルマの「悪魔島」として恐れられたココ諸島 [11]の刑務所の廃止を要求した。50日以上のハンガーストライキの後、彼は刑務所で死亡したが、詩人と他の7人の犠牲の後、BSPPはすべての囚人をヤンゴンのインセイン刑務所 [12]に移送した。ミャンマーの刑務所の歴史の中では画期的な出来事であった。

ネーウィンの一党独裁政権を打倒した1988年の民主化運動でも詩人は人々と団結した。1988年運動の有名な学生運動家ウー・ミンコーナイン [13]も詩人である。

ターヤーミンウェーというペンネームで後にベストセラーの作家そして詩人として名をはせるシュエポンルーは、当時学生リーダーであったが、1988年の民主化運動弾圧後に軍政が大学や学校を再開したとき、学生たちに授業のボイコットを詩で訴えたために5年間投獄された。

有名な作家ミンルー [14]は、クーデターの主導者ソーマウン将軍と軍を批判した風刺詩「いったい何が起こったのか」によって1989年に逮捕された。この詩は大変な社会現象となり、彼と出版社の両方とも5年の懲役を受けた。

ミャンマーの第9代大統領であり国民民主連盟 (NLD) 初の大統領であるウー・ティンチョーの父、詩人ミントゥウン [15]も、NLDの選挙運動を積極的に支援したため、1990年の総選挙でNLDが勝利した後に軍政によって自分の詩を公表できなくなった。

NLDの著名な詩人ティンモー [16]も、民主主義を広めるために詩を書き、全国で公演したため5年間投獄された。釈放後彼は亡命を余儀なくされ、2007年に国外で死んだ。

2008年には詩人ソーウェー [17]が逮捕された。バレンタインデーの詩に隠されたメッセージで当時の独裁者であったタンシュエ上級大将を嘲笑したためだ。詩の各行の最初の文字をつなげると「上級大将タンシュエは権力の虜」と書かれていた。

1885年のティーボー王廃帝から、2021年2月1日のミンアウンフライン上級大将の権力奪取までの136年間、詩人は市井の人々と連帯し、ミャンマーのあらゆる大きな変化の最前線に立ってきた。ケッティーの詩はその証だ。

In heads, they shoot

Never do they know

Revolution lies in hearts.

頭めがけてパン、パン、パン

そんな奴らに分かってたまるか

頭ではなく、人の心にこそ革命が宿るのだと

校正:Moegi Tanaka [18]