本文は、2020年1月9日に掲載されたものです。
台湾の法的地位は、国際関係の中で最も意見の分かれる問題の一つである。台湾では、2,300万人の住民の大多数が自分たちの島を中華民国(ROC)という名の主権国家であるとみなしているが、一方で完全な独立を求める人も少なからずいる。中国では、現在台湾は中華人民共和国(PRC)の政治的あるいは行政的支配下にはないのだが、中華人民共和国の省の一つであるという政府的立場をとっている。北京は台湾を主権国家であるとか独立国家であるとかいう表現に強く反対している。中国本土の市民は台湾の立場については様々な見方をしているが、少なくとも表向きには、政府見解に沿う傾向がある。2020年1月の台湾総統選挙に向けた選挙戦でも、この問題は白熱する争点である。
分裂はいつ起きたのか?
中華民国と中華人民共和国という二つの独立した組織が存在する起源は、かつて同盟関係にあった二つの異なる政党が、のちの内戦で、別々の領土を統治することになった結果に遡る。
一つは 国民党 (KMT、中国語表記は中國國民黨、英語表記はChinese National Party、日本語表記は中国国民党)という政党で、これは中国王朝最後の清朝崩壊により中国が共和制になった1911年に生まれた政党である。その理念は、民族主義、民権主義、民生主義の三民主義に基づいている。中国共産党(CCP)も初期にはそのような理念を掲げており、当初は両党共にソビエト連邦の支持を得ていたことも重要な点である。
二つ目は中国共産党(CCP、中国語表記は中国共产党)で、1921年に設立されている。当初ソ連をモデルに、共産主義を基調とし、のちに独自の発展をした。1927年までは、CCPはKMTと概ね同盟してKMTの主張を支持した 。
その後、両党は数年間、主にイデオロギーの違いから袂を分かっていたが、日本の中国侵略に対して、連携して対抗するために1931年に再び手を結ぶこととなった。この時期は第二次国共合作と呼ばれ1940年代初頭まで続いたが、両党間の野心の対立で再び分裂し今日に至っている。
1946年に両者が始めた内戦は、1949年に中国共産党が中国大陸を支配することで終結し、国民党は200万人の兵士と難民とともに台湾島への移住を決意した。1949年以降、両党は中国の唯一の法的代表者であると主張している。
台湾の中華民国
冷戦が続き、世界がモスクワの支持する政府とワシントン及び西側の支持する政府に分断されたとき、台湾は重要な位置を占めるようになった。朝鮮戦争 そしてベトナム戦争を経て、台湾はアジアにおけるアメリカの戦略的、軍事的、政治的拠点となった。 このためワシントンは中華民国を政治的、軍事的に支援することを公約し、台湾に経済的援助を行い、中華人民共和国を国家として承認しないとする外交方針をとった。この時期は、国民党にとって台湾社会を全面的に支配する力を確保し、近代的な台湾経済を段階的に構築していくための重要な時期であった。
台北から北京への切り替え
しかし、政治的にも経済的にも中国の台頭は、欧米諸国にとっていつまでも無視できるものではなかった。それゆえ、1960年代から多くの欧米諸国は、台北との外交関係を解消し、北京に切り替えることにした。中国は、国交樹立の前提として「一つの中国」政策を維持しているからだ。米国は1979年1月1日に中国と国交を樹立した。
しかし実際には、約50カ国が台湾に駐在員事務所を置き、その事務所が、通常大使館や領事館に帰属する業務のほとんどを担っている。2019年末時点で、台湾と完全な外交関係を維持する国はわずか15カ国である。
国際社会では、台湾を表すのに「チャイニーズ・タイペイ」という言葉を使うことがある。この表記は主にオリンピックの際に使用されるが、世界貿易機関などの組織でも使用されている。
台湾共和国?
現在、国際社会は台湾と中国に別々に対応することで現状を維持することに満足しているが、両国の特定の政治勢力は変化を求めている。
台湾では、「中華民国」という言葉や表記をやめ、「台湾」または「台湾共和国」という言葉に置き換えることを求める運動がある。特に 台湾同盟と台湾団結聯盟(台湾団結連盟)の2つの政党がこの問題を声高に主張している。この運動は1895年から1945年までの日本の台湾植民地支配に端を発し、1990年代以降、いくつかの政党、市民運動、文化的・言語的権利の主張へと発展している。
この政治的見解に最も対立する意見を持つのが、中華民国のアイデンティティを受け入れ、長期的には台湾と中国本土との統一実現を確信する国民党である。
民進党の見解ははるかに曖昧で、グリーン連合の一員として、台湾は主権国家であり、中国との統一を求めないという考え方を支持している。しかし、台湾が中華民国の領土に限定されているのか、それとも台湾共和国の宣言にまで発展しうるのかといったあいまいな問題を抱えている。事実、選挙日程や民進党の指導者や幹部の個人的見解によって、その都度さまざまに解釈されている。
北京の「一国二制度」論
北京にとって、台湾が独立するという考えは一切受け入れられない。北京は中国共産党の下での統一が将来の公式な政策と戦略であると言い続け、軍事力の行使も排除していない。現在、香港とマカオに適用されている「一国二制度」が統一のための枠組みだと考えている。
一方、北京は外交などで台湾封じ込め政策を強めている。台湾を承認している多くの国に対して、関係を断ち切り、中国に鞍替えするよう説得することに成功している。このほか、経済活動においても、海外の航空会社、オンラインショップ、文化・学術関係者に対し、報復や制裁、中国市場へのアクセス拒否を避けるため、サービスの宣伝やイベントの告知に「台湾、中国」という言葉を使うよう強制し、自らの見解を押し付けることに成功している。